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片倉多永子が参加する御義母会は毎週水曜日に開かれる義母ばかりの昼食会だった。
集まるのはだいたい十人ほどだが、七、八人の時もあれば十二、三人の時もあって、会員数は決まっていない。
資産家の未亡人がいたり、会社役員の妻がいたりと、ハイソな老婦人の会だが、会名の通り、嫁のいることが入会の条件となっている。
高級料亭で昼懐石を頂いた後、嫁や孫の自慢を繰り広げるのだが、実際は愚痴を発散する場でもあった。
食事を頂いた後、多永子は少女のようにおしゃべりに花を咲かせる仲間たちを横目に、ちらりと腕時計を見た。
曜子ちゃん、うまく花恵さんを説得してくれたかしら――
多永子は昨日のことを思い出す。
曜子の家に行って、花恵に離婚を勧めるよう頼んだのだ。
だが基本、義姉のことが好きなあの子はすぐにうんとは言わなかった。
多永子自身も子が出来ないこと以外、非の打ち所のない嫁を手放すのは残念に思っている。
でも孫をこの手に抱けるのなら、花恵さんを切り捨てても構わないわ。尻軽女の子供でも、わたくしの孫に違いない。ふふふ、それにあんな女だからこそ、わたくしが育児や教育の主導権を握れるでしょうし。
「ところで片倉様、お孫ちゃんの誕生はいつですの? 息子さん娘さんどちらもなんて、待ったかいありましたねぇ」
向かいの席に座る某会社会長夫人が多永子に話を振ってきた。
「どっちもまだまだ先ですわ」
「待ち遠しいですわねぇ」
その言葉にうなずきながら「ええ」と笑顔を返すと、会長夫人はまた隣席の夫人との会話に戻った。
多永子は何となく付き合いで御義母会に入ったが、当初、花恵に不平不満などなく、できた嫁と自慢だけをしていた。時々出る不満と言えばまだ懐妊しないということだけ。なので、多永子に未だ孫がいないのは会の中では知れ渡っていた。
先週、嬉しさの余り、うっかり「息子にも娘にも子が出来る」と口走ってしまった。みな手放しで喜んでくれたが、曜子はともかく、息子の子を産むのは愛人だとは口が裂けても言えなかった。
醜聞を避けるため、嫁が産んだという事実にしなければならない。
そのために早く花恵に離婚してもらわねば。
幸い、御義母会の面々は花恵の顔まで知らない。もしこの先、どこかで美土里といるところを見られても、入れ替わった後なら差し支えないだろう。自慢していた嫁が『これか?』と思われるのは心外ではあるが。
それにこの先あの女ではもう嫁自慢は出来なくなる。かといって、教養のない尻軽女の不満を愚痴ることさえ叶わない。
なんのための御義母会なのか――もう脱会しようかしら……
多永子は手に取った湯呑みで口元を隠しながら、そっと溜息を零した。
それよりまず花恵の説得が成功するかどうかが問題だ。
曜子の完璧であるべき結婚を妥協したのだ。せめて母親のささやかな頼みを成功させて欲しい。
茶をこくりと飲んで、思いはその娘へと移っていく。
世間には様々な恋愛や結婚があり、それらを多永子も十分理解している。そう、これが他人のことなら心から祝福できた。
だが、娘の恋愛、結婚に関しては自分の考える完璧であって欲しかった。
跡取りの圭司も大切に育てたが、曜子も目に入れても痛くないほど大事に育てたのだから。
わたくしの言うことはなんでも聞く子だったのに……恋って怖いわね。
子連れ男と交際していることを初めて告白してきた時、曜子はすでに結婚を視野に入れていた。
「由姫ちゃんっていうの。とってもかわいい子よ」
頬を染め、今まで見たことのない幸福な微笑みを浮かべた曜子にショックを受け、多永子はしばらく返事が出来なかった。
この子は一体何を言っているのかしら……
「わたしに懐いてくれているの。あの子のママなら、わたしなれるわ」
「は?」
「ママもすぐお孫ちゃんが出来て嬉しいよね」
「あなた何言ってるの? 片倉家の血が一滴も流れていない孫なんて欲しいわけないでしょ」
どうして? という表情で、自分を見る我が娘が怖くて震えが止まらなかった。
怒って諭しても、泣き落としをかけても、曜子は一歩も引かず、絶対認めない多永子に反発して、男の許へと出て行ってしまった。
だが、ある日唐突に帰ってきて、にこにこ笑って妊娠の報告をした。
もう認めるしかないわね。妻子ある男と不倫したわけじゃないのだし。
そう考えて、多永子はあっさり降参してしまった――
不本意なことばかりで、まだ完璧とは言えないけれど、曜子ちゃんも近くに住まわせたし、概ねわたくしの求めるものに近付いたわ。後は花恵さんの動向ひとつ……
多永子は、唇を噛み眉間に皺を寄せた頑固な嫁の顔を思い浮かべた。
今は早く離婚を成立させようと嫌味な言動を取っているけれど、元々彼女を石女などと蔑んでいるつもりはなかった。
花恵も圭司も健康だ。ただ単に今ではないだけ、もう少し待てば懐妊するのかもしれないと思ってもいた。以前の嫌味はそののんびりさにイライラしてのものだったが、先に愛人が妊娠してしまったのだ。離婚させたいがため躍起になるのは当然だろう。
あの花恵一筋だった息子が浮気して愛人を作るなど普通ならありえない。でも実際はこんなことになってしまっている。
だからこれは言わば『運命』なのだ。こうなるべくしてなった道筋。誰にも抗えないもの。なので、花恵には退いてもらうしかない。
「――あっ!」
ふと肝心なことを思い出し、思わず声が出てしまった。多永子は口元を押え、周囲を見回したが、おしゃべりに夢中で、誰も気づいていない。
ほっとしながら、多永子は心の中で続きをつぶやく。
欲しいだけ慰謝料を支払うって、曜子ちゃん、ちゃんと伝えてくれたかしら?