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※愛人、不倫、妊娠、不妊、死産等などの描写・表現があります。不快に思われる方はご遠慮ください。

※残酷な描写があります。ご注意ください。

          

  

 花恵たちが駆け付けた時には曜子の遺体はすでに地下の霊安室に安置されていた。

 曜子の顔に掛けられた白布の下にはエンゼルケアが施されたきれいな顔があった。だが、微かに苦悶の表情が見て取れる。

 花恵は膨れているはずの腹の辺りが平坦になっていることに気づいた。だが、安置された遺体は曜子だけしかない。病院の配慮で曜子に抱かせているのかと考えたが、そんなふうには見えないので別に安置されているのだろう。

 遺族の目に触れないようにしている? 確かなことはわからないが、そんな気がした。

 曜子ちゃん、いったい何があったの?

 花恵の脳裏に赤いボールが浮かんだ――

 遺体に縋ったままの多永子をなす術もなく見つめる。さっきまで泣き喚き、浩一を責めていた。

 涙が枯れたのか、今はもうただ茫然としたままだ。

 浩一は葬儀屋に連絡を取ると行ったままここに戻ってこない。

 最後までしっかり責任を果たせ。

 そう言って叱咤したくても、すべての家族を亡くした彼の気持ちを(おもんばか)ると何も言えなかった。

 頼りの圭司はまだ来ない。

 憔悴しきっている浩一の代わりに采配を振るなど、ゆくゆく他人になる花恵にはできそうもなく、今の多永子にも無理だ。

 花恵は多永子に責められながらも一通り説明していた浩一の話を思い返した。


 帰宅した浩一は階段下で血濡れになり死亡している曜子を発見した。すぐ救急に通報したが、事故として不審な点があるということで、警察の関与が必要になったらしい。そのため浩一はパニックになり、片倉家への第一報が遅れたのだという。

 現場検証の結果、自宅に人の侵入等の形跡がなく、争った跡もないことから、階段を踏み外した転落事故と判明した。

 落下の際に腹部に強い衝撃を受け胎児も死亡。よほどの圧がかかったのか、曜子の腹から外へと押し出された胎児はぐちゃりと潰れていたそうだ。

 みなに望まれ、幸せに生まれてくるはずだった赤ちゃんの悲惨な死に花恵はぞっと背筋に怖気が走った。それを父親の浩一はまともに目にしたのだ。嗚咽に声を途切れさせながらも説明する彼を哀れに思った。

 だが――と花恵は思う。直接腹部に衝撃を受けたとしても、曜子自身の身体が潰れていたわけでないのなら、落下した圧で腹内の胎児が潰れるものだろうか――

 そこに何らかの意志を感じた。

 曜子は本当に足を踏み外しただけなのだろうか。

 もしかして、赤いボールが――

「曜……子ちゃ……ん……」

 ずっとベッドに縋りついたままの多永子の弱々しい声に、花恵の意識が現実に戻る。

「お義母さん……大丈夫ですか? 椅子に座ってください。このままでは体調を悪くしますよ」

 そう言っても首を横に振るだけで、曜子を離さない。

 ノックの音がしてドアが開くと、久しぶりに見る圭司が立っていた。

 蒼い顔の圭司は花恵と目が合うと目を伏せた。

「圭司ぃぃ」

 多永子が泣き叫びながら息子に縋りつき(くずお)れた。慌てて抱き支えた圭司は壁際に置かれた椅子に誘導して母親を宥めた。

 花恵は開いたままのドアの向こうに視線をやり、圭司が一人だと確認すると、ほんの少しほっとした。

「圭司さん、お義母さんを落ち着かせたら一度病院側に手続きの確認をして来てください」

 泣き続ける多永子の声にかき消されないよう、花恵は声を上げた。

「浩一さんは?」

「葬儀屋に連絡してくるって行ったまま戻って来ないんです――たぶん、手続きはしていると思うんですけど、すごくショックを受けていたからどうなっているのか……お義母さんもこんな状態ですし、圭司さんが率先して動いてくださらないと……」

「君は?」

 思わず眉を(しか)め、はぁ? という顔をしてしまった。他ならぬ曜子ちゃんのことであり家の一大事、自分が行動するぐらいなんでもない。だがそれで、恩着せがましくいつまでも片倉家に縋りついているなどと勘繰られたくもないし、家から放り出される身でそこまでする義理もない。

 その表情を汲み取ったのか、「あ、その……わかった」と、圭司が気まずそうに視線を逸らした。

 花恵は溜息をついて、「浩一さんを捜してきます」と廊下に出てドアを閉めようとした。

「花恵」顔を上げた圭司が呼び止め、「……君が家を出たら……その……泰兄と?」そう訊いてじっと見つめてくる。

「え?」

 泰兄? 泰斗さんと何? 

 再び顰めっ面を向けると、圭司はそのまま黙り込んで視線を逸らした。

 多永子の泣き声が廊下にまで響いていたので、花恵はそれ以上何も問うことなくドアを閉めた。

「はあああ」

 肺の奥から深い溜息を出す。

 彼は何を言いたいのだ?

 花恵は顳顬(こめかみ)を揉んだ。

 非常灯の微かな光に照らされた廊下は思ったよりは暗くなかったが、それでも沈む影は濃い。

 ――とん。とん。とん。

 廊下の片隅で音がした。何かが跳ねているような音。

 とん。とん――音が止まると、ころころと花恵の前を何かが転がっていく。うっすら光に浮かび上がっているのは赤いボールだった。

 まるでボールに意思が、いや、見えない誰かの手で転がしているように、行ったり来たりを繰り返した後、廊下を走り出す。

 花恵は追いかけた。

 エレベーターホールを過ぎ、廊下の行き止まりまで転がっていった先には、壁際に座り込んで項垂れる浩一がいた。泣いているのか肩が震えている。

 ボールは浩一の前でぴたりと止まった。

 花恵はその少し手前で足を止め様子を窺う

 浩一はまったくボールにも花恵にも気づかず、項垂れたまま――

 あっ。

 思わず声が出そうになり、花恵は口を押えた。

 浩一の前には赤いボールではなく、小さな女の子が佇んでいた。

 やはり浩一はそれにも気付いていない。というより、彼には見えていないのだろう。

 あの子は――由姫ちゃん?

 顔はよく見えないのに、なぜかににこにこと笑っているのがわかる。

 嬉しそうに父親の首にしがみついた女の子が、ふと顔を上げて花恵を振り返った。


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