序
※愛人、不倫、妊娠、不妊、死産等などの描写・表現があります。不快に思われる方はご遠慮ください。
毎日が針の筵だった。
リビングのソファに凭れた片倉花恵はずきずき痛む顳顬を細い指で押さえ、深い溜息をついた。
「若奥様、頭痛薬ご用意いたしますか?」
ミルクティーを持ってきた家政婦が心配げに顔を覗き込む。
「必要ないわ夕子さん。まだ大丈夫よ」
花恵はいつでも自分に気配りしてくれる木内夕子に微笑みを向けた。夕子が不安な表情を浮かべたままうなずく。
ここ最近は鎮痛剤を飲んでも頭痛が治まることはなかった。ほんの一時間ほどましにはなっても、すぐ痛みがぶり返してくる。針の筵に座っているのだから当然だ。だから服用しても意味がない。
針の筵か――
花恵はカップを口に近づけ「ふっ」と自嘲した後、甘いミルクティーを一口飲んだ。
「ああ、おいしいわ。ありがとうね」
それを聞いた夕子は軽く頭を下げて、リビングを出て行った。
季節の花が咲き乱れる中庭の見える大きな窓に目をやり、花恵はまた溜息をついた。
圭司と結婚し、片倉家に入って三年以上経つが、花恵たちにはまだ子がなかった。
子がなくても幸せな夫婦は巨万といる。
だが、彼女の幸せは、子がいてこそ成り立つものだった。
結婚後一年経った頃から、義母の多永子にまだ子供ができないのかと嫌味を繰り返されるようになった。
嫁いびりというほどではなかったが、じわりと圧をかけて来た。
半年ほど前まで、圭司は多永子の嫌味から庇ってくれてはいたものの、従兄の泰斗に連れられて行った場末のスナックのホステスに入れ揚げ、愛人にした。
それを知った多永子は放蕩者の泰斗にのこのこついていった圭司に激怒したが後の祭り。
結果、愛人は妊娠し、圭司は開き直り、愛人と腹の子を優先するようになった。たまに帰宅しても花恵と会話もない。
自分を慈しんでくれていた彼はいったいどこへ行ってしまったのか。わたしは確かに愛されていたはずなのに――あの女に唆されているだけなのか、愛などすでに消え去ってしまっていたのか――
しかもあんなに激怒していた多永子まで手のひらを返した。
泰斗のことも立腹していたが、尻軽ホステスを囲っていることにも外聞が悪いと圭司を咎めていたのに、女の妊娠を知るや、逆に花恵に非難の目を向け始めた。
子供のできない嫁はいらない――
そう口に出し、離婚を仄めかされている。
もし圭司から離婚を求められなくても――いや、もう時間の問題だが――なにをするにも決定権は義母が握っているので、強行されればいとも簡単に妻を切り捨てるだろう。
まだ仄めかしだけなのは外聞を気にしているのか。
きっと『夫と義母の身勝手で嫁を捨てた』ではなく、『石女自ら離婚を決意した』と周知させたいのだ。
なぜ? わたしは何も悪くない。
まだ授からないだけで、医師から「できない」と宣告されているわけではないのだ。
だが、女が出来てから圭司は花恵と夜を共にしない。裏切られた上に授かる機会さえ失くされている。
針の筵――
今でも圭司を愛し求めている花恵にとって、あらゆる面で針の筵なのだ。
痛くて辛い場所に座させられていても、花恵は唇を噛みしめ、ずっと我慢していた。