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婚約破棄から始まる革命の物語【短編集】

魔女令嬢と人狼、あるいは既知への憂鬱

作者: 若宮 澪

これは、魔女っ子令嬢と、暗殺者の少女が出会った頃のお話。

あるいは、世界を変える令嬢と、世界を守る少女が、まだその運命の舵輪を回す前のお話。

 トンネルを抜けたらそこは雪国であった、といえばどこぞやの文学的な文章となるのだろうが、残念なことに、そこにあるのは相も変わらぬ淋しい田園風景だった。ふう、と少し息をつく。


 「さて、と。父上からは探ってこいと言われたが、さてどうするか」


 今私がいるのは「爪先イタリクス」半島基部、私の父が総督を務める公国連合の、事実上の属国である南方諸侯国群の統治領域だ。隣国、ヴェネシリオス共和国と現在領土係争中である「未回収地域」をあえて通ってきたわけだが、別に戦争間近というわけでもないらしい。

 こうしてトンネルを歩いて抜けられるのがその証拠だ。


 さて、とローブを羽織り、「騎士用キュロットスカート」のポケットから魔道具を取り出す。


 「総督閣下、言われたようにワレンチーノ侯国に入りましたが?」

 「おお、アリサ! 待っておったぞ」


 魔法〈トランスミット〉で通信回線を開いた先にいるのは、私の父上─現公国連合総督閣下だ。


 「念の為、状況を確認させてください。現在、ワレンチーノ侯爵とその令息が反乱のために軍を招集している、そういうことでよろしいですか?」


 途端に父上が難しい顔をした、ような気がした。

 残念なことに、機能としては電話とさして変わらない〈トランスミット〉だ。相手の表情がわかるわけでもない。


 「正確には軍ではないがな。私兵団、といえば分かるか?」

 「……、あぁ、なるほど」


 碌な噂がない私兵か……。

 貴族の私兵が刈田狼藉を働いたという話はつい最近聞いたが。


 「治外法権集団ですか、身には気をつけます」

 「危なくなったら帰ってこい、よいな? これは父からの命令だ」

 「畏まりましたよ、父上」


 そう言って、私は〈トランスミット〉を切った。


 「にしても、ワレンチーノ侯爵か……」


 あまり良いイメージはないな。


 大陸の中心部に位置する、公国の連合体─公国連合に対して、どちらかといえば大陸南方、大陸から突き出した「爪先」の半島に位置するのが南方諸侯国群だ。悠久の帝国の中核であり、今となっては後進国。

 とはいえ、植民地にされてないだけ、世界的に見れば中進国といったところか。産業革命にやや立ち遅れて、帝国主義全盛期にはあやうく植民地になりかけたと聞くが、そんな面影は、見た所はあまりない。


 ただ、ワレンチーノ侯爵に関していえば─なんというか、遅れた分を取り戻そうとするあまり失敗する、中進国の独裁者の顔が見える。実際、無茶な工業化によって、本来農業をするには問題ないはずのこの地域で大飢饉が起きたという話を小耳に挟んだ。

 これが、数世紀前ならまだ分かる。


 だが、旱魃に強い穀物が遺伝子改良で開発されているのに、そんな事が起きたのだ。工業化を推進するあまり農業人口が急激に減少し、それがその飢饉を招いた、といったところだろう。


 「……、ほう……」


 この都市─トランテアノ自由市は、海に近い。

 そして、イタリクス戦争後の講和条約─ヴェストファーレン条約により、どこの諸侯にも属さない自由市と定められた、はずだ。


 だが、今目の前にいるのはヴェネシリオス共和国海軍の艦艇だ。

 確か、"ヴェーゼル級"だったか? 四十サンチ砲搭載戦艦で、今は通商路の防衛のために南方大陸へと向かっていると聞いていたのだが。


 「父上」


 再び〈トランスミット〉を繋ぐ。


 「どうした? なにか伝え忘れでもあったか?」

 「現在、ヴェネシリオス共和国の艦艇がトランテアノにいるのですが、理由を御存知ですか?」

 「ああ、親善訪問ではないか? 一週間後には、テュイローで会談が開かれる予定だ。事前通告で、二日か三日程度トランテアノに停泊すると聞いているが、トランテアノとの兼ね合いで早くなったのだろう。何か分かったら近々連絡しよう、何れあちらからも通告があるはずだ」


 親善訪問、ね。

 四十サンチ砲搭載艦で親善訪問とは、いやはや砲艦外交極まれり、といったところだな。全世界でも、たった十四隻しかない、大口径艦艇での砲艦外交─よほど切羽詰まったなにかがあるらしい。

 ヴェネシリオス特有の青い十字が掲揚されているのを見ながら、考えを巡らせる。


 さてさて、本当に砲艦外交だけが目的か、あるいは、……。


 いや、まだ断定するには早いな。

 情報も足りん。


 「ワレンチーノ侯国本土には、明日入ることにするか」


・・・・・・


 ワレンチーノ侯国。

 南方諸侯の一人である、ワレンチーノ侯爵が統治する侯国だ。隣国には帝国期からの名門であるエステ侯国や、軍事強国として知られるスフォルツァ侯国などがある。

 また、ヴェネシリオス共和国との国境問題を抱えており、領土係争中である、ここ、トレンテアノ自由市もその一つだ。名目上の宗主権はワレンチーノ侯爵が持つものの、経済的にも民族的にもヴェネシリオス共和国に近い。


 まあ、こういった政治的なことは後で考えるとしよう。

 とにかく今日は休みたい。なんせ、アドノルト山地トンネルを二日間歩き通しだったんだ、しかも人目につかないように警戒しながら。いくら夜ふかしに慣れているとはいえ、これはキツイ。


 「すまない、ここに泊めてもらえるかな?」


 ということで、適当な民宿を見つけて、泊めてもらうことにした。

 見た所、一泊あたりざっと3.4基準通貨スタンダード、ただしイタリクス貨幣なら、換算して約2.7基準通貨スタンダード。ここらへんだと、基準通貨スタンダードよりも地方通貨リージョンの方が使い勝手が良いのだろう。


 大グレア帝国に行ったときには、基準通貨スタンダードでの支払い不可だったからな、それよりは幾分マシだろう。


 「はい、何泊でしょうか?」

 「一泊、夜食はいい。基準通貨スタンダードでの支払いでいいか?」

 「はい、……、ひょっとして公国からの人ですか?」


 受付の、初老の女性にそう尋ねられたので、軽く笑ってごまかす。


 「二階の三号室、鍵はこちらです」

 「ああ、ありがとな。ついでに聞いていいか?」

 「何でしょうか?」

 「最近、ここらで人攫いの話を聞かなかったか? あるいは、盗みとか」


 うーん、と少し考えている様子。


 「あまり聞きませんね。警察の見回りの方が、最近少し増えた気がしますが」

 「なるほど、貴重な情報ありがとう。対価は必要か?」

 「いえいえ。にしても、お綺麗ですね」

 「そうか? 身だしなみにはあまり気を遣わんのでな。話し方もこうだし、正直言ってあまり実感がわかん。だが、褒めてくれてありがとな」


 くすっ、と笑って返してくれた。

 トレンテアノはアホみたいに陽気な人が多いと聞いたが、まあ噂は噂ということか。少なくとも、陽気というよりは落ち着いた感じの人だ。


 「おい、そこの美人! 俺達と情熱的な一夜を過ごさないか?」

 「あー……、噂は噂通りか?」


 陽気そうな人達が階段から降りてきた。


 「悪いが、乙女の貞操は重要だろう?」

 「ハッハッハッ! それはそうだな! じゃあ、部屋に行くまでに少しばかりチェスでもしないか?」

 「それなら喜んで。だが、生憎チェスは不得手でな、相手になるかはわからんぞ?」

 「美人なお嬢ちゃんとチェスできるんだ、これ以上の至福はあるまい!」


 陽気だが、節度は守るらしい。

 どこからか相手方が出したチェス盤と駒を並べ、床に座り込んでのゲームを始める。


 「それで、まずは誰から?」

 「俺からだ!」

 「ほう……、では、よろしく頼もうか」


・・・・・・


 「いやあ、嬢ちゃん十分強えよ! 俺達じゃ勝てなさそうだな」

 「そいつはどうも」


 結局、相手三人に私は全勝した。

 いくらやったことがないとはいえ、流石に初心者というわけではない。貴族の遊戯の一つとして、何回か、したことはある。それに対して、多分、相手は初心者だな。途中で駒の動き方を互いに教えあってたようだし。


 「にしても、嬢ちゃん、気をつけなよ」

 「? 何かあるのか?」

 「ここらへんは狼が出ると聞くからな。そんな派手な格好してたら、食われちまうかもしれねぇぞ」

 「言うほど派手か? まあいい、教えてくれてありがとう。対価でも払おうか?」

 「いやいい、チェスに付き合ってくれたお礼だ」


 そう言い残すと、三人は二階へと上がっていった。

 いやまて、チェス盤置いていきっ放しだが?


 「すまない、これどうすればいい?」

 「ああ、それはうちの店においてあるやつですから、私が片付けておきます。どうぞ、お休みになってくださいな」

 「おお、そうか、ありがとな」


 一本結びにしていた髪を解く。

 さくっと髪をけずって、私も二階に上がった。


・・・・・・


 目が覚める、と同時に殺気を感じた。

 近くからではない、随分と遠くからだ。だが、明白に私を狙ったものだ、ここにそう長くいるのも迷惑だろう。


 服を着替えて、髪を結ぶ。

 ローブを羽織り、騎士用キュロットスカートを履く。まだ殺気を向けてきている相手はかなり遠くにいるみたいだが、着実に近づいてきている。


 階段を降りる。


 「世話になったな」


 まだ夜は明けていないが、早く出るに越したことはない。

 それに、夜が明けてから襲われても、色々迷惑だ。


 一応書留を残しておいて、荷物を纏める。

 とはいっても、手持ちの荷物といえばローブと騎士用キュロットスカートの換えそれぞれ一着、それに財布や魔道具だけだ。肩掛け鞄に収まってしまう量でしかない。


 民宿を出て、町の郊外へと向かう。


 「さて、そろそろ出てきてくれても良いんじゃないか、暗殺者さん?」

 「……、どうして分かった?」


 瞬間、木陰から小さな少女が現れた。

 私と同じくらい、いや一回り小さな、多分十代前半の、見てくれだけは可愛らしい女の子。青字の服が綺麗だな、と場違いに思った。


 「……、ほう、なるほどな」


 途端、少女が身構えた。


 「その目の色っ!」

 「ああ、これか? 気になるか? それとも恨みでもあるのかい?」

 「どっちでもいい!」


 刹那、少女が消えた。


 「はあ……、化け物じみた身体能力だな」


 戦闘用サバイバル短刀ナイフを抜き、相手の一撃を防ぐ。

 相手の武器は、見た所は銃剣といったところか? ただ、その割には銃が短い、拳銃と剣の組み合わせか?


 「なっ!」

 「殺しに来たのだろう? 本気を見せたまえよ」

 「舐めやがって!」


 今度は右から、銃撃。

 同時に左側から剣の一振りが飛んでくる。人としては到底考えられない速度だが、些か単調だし、不注意だな。


 「それは悪手だと思うが?」


 短刀を銃弾にかすらせ、角度をわずかに変える。

 銃撃はそのまま少女へと向かい─刹那消えた。


 「なるほど、本命は後ろか」


 投げナイフの類だろう。

 銃撃を放った時に、同時に投擲していたらしい。確かに、意識は銃撃や少女の方へ向いていたから、その搦手は良い勝ち筋だ。普通なら気付くまい。


 「だが、それも不注意だな」


 体をくるりと回し、投げナイフを蹴り飛ばす。

 それは、先程銃撃を躱した少女の方へと向かい─また消えた。


 「どうやっているのか聞きたいところだが、教えてくれないか?」


 代わりに左右二発の銃弾、それに前と後ろから「同時に」斬撃。


 「なるほどな」


 確かに、詰みの譜面だ。

 だが、そもそもとして。


 「つい先程、躱してみせたろう?」


 銃弾を短刀で弾き、腰を屈めて斬撃避ける。

 そして、足元に蹴りをいれる、が。


 「むぅ、これも躱すのか……」


 今度は、銃弾三発が目の前に現れる。

 目にも止まらぬ速攻、まあ文字通り見えていないが。


 「そいつもだめだな」


 短刀で全て弾く。

 が、いつの間にやら後ろに少女が回り込んでいる。


 「そろそろ本性を見せたらどうだ?」


 ターンして膝蹴り、モロに受けた少女が蹲っている。

 私の、武力強化の赤眼が、ガラスに反射して見えた。


 煽るやいなや、少女が立ち上がる。

 と同時に、刀を振るってくる。


 「おっと! さすがにそれは聞いてないぞ!」


 慌てて体を捻り、同時にその場から逃れる。

 不可視の爪撃と斬撃が、直前までいた空間を全て切り裂いていた。


 「姿を捉えられない、爪撃に斬撃、さらに銃撃まで組み合わせたか。なるほど、まるで私が来ると知っていたかのようだな」


 それらを全て躱しながら、私はその少女を観測しようとする。

 さすがに、超速で襲い来る爪撃や斬撃まで蒼眼で解析できるとは思わないが、少女なら可能なはずだ。ただ、速すぎる。


 「随分と動き回るものだな」


 さて、私は先程から銃撃を全て「弾いて」きたわけだが。


 「どうして銃弾を弾いたか、分かるか?」


 爪撃と斬撃が、私が先程までいた空間を貫く。

 後ろに一歩下がると、そこには銃弾の群れ。それらを全て短刀でさばく。


 「答えは、このためだ」


 短刀のスイッチを入れる。

 直後、少女の動きが止まった。


 「魔術結界。かつての大帝が用いたとされる、対魔術用の結界だ。もっとも、神話の時代だから、魔術ともども実在するとは思っても見なかったが─」


 目の前にいるのは、少女─ではなく、狼のような耳が頭から生えている、人狼だった。姿形は人間と殆ど変わらないが、運動能力が異常なまでに高い。神話の時代にしか登場しないし、現実にいるとは思っていなかった。


 「まさか、これを使う時が来るとはな。いやあ、未知にあふれたこの世界はいいな」


 さてさて、と私は埃を払う。


 「推察しよう、君はヴェネシリオスの者だな。私を殺しに来た、というのは建前だろう?」

 「へえ、随分と推理が得意なんだね」

 「蒼眼だからな」


 知力強化の蒼眼が、ガラスに反射して目に映る。

 まあ、あまりあってもなくても変わらないが、雰囲気は重要だろう、多分。アンリもそう言っていたしな。


 「まあ、推理というものは全て見通してからするものだろう? 現状、私の手元には情報が不足でな。せっかくだから一緒に来ないか?」

 「……、あなた、正気?」

 「ああ、至って正気だとも。何せ、早朝から運動したわけだからな、頭は冴えているぞ」

 「……、なんで、私が会う人は揃いも揃っておかしな人ばかりなんだろ」


 ほう、ヒントがまた一つ増えた。

 いや、これはヒントというか、おまけだな。推理に必要なポイントではないし、放置しておいてもよいが─まあせっかくだ、記憶しておくことにしよう。


 「さて、拘束は解いた。殺そうとはしないでくれると助かるがな」

 「しないよ。そんなことしたら、今度は私が死んじゃうから」

 「実力差が分かっているようで結構。では、少しばかり歩こうか。証拠が揃うまではあと少しだしな」


・・・・・・


 証拠といっても、今回揃えているのは状況証拠。

 裁判をするなら、敗訴確定だな。まあ、私がしたいのは裁判というわけでもない。相手の陰謀を暴けたらそれで終了、別に状況証拠だけでも構いはしない。


 「えっと……、あった、二五カ年軍事平和条約の項目」

 「何してるの?」

 「証拠集めだよ」


 ……、やはりか。

 まあ、推測通りと言ったら推測通りだが─ワレンチーノ侯爵もまた、苦労人だな。半分くらいは本人の気質なのだろうが、状況も中々悪い。


 「にしても、図書館なんてあるんだね」

 「見たことないのか?」

 「うん」


 どうにも、自分が観察されているという自覚がないらしいな。

 ヒントをこうもまあポロポロ話してしまうとなると。


 「あと確認するべきなのは、ヴェネシリオス共和国の方だな」


 手に取ったのは、ヴェネシリオス全史。

 編纂しているのはヴェネシリオス当局だが、中々に客観的な資料が多い。ここからトレンテアノについての記述を探して、後は─。


 「おっ、近くにあってラッキーだな」


 今のヴェネシリオス共和国の収支報告、それに貴族についての情報。流石に細かいことまでは載っていないが、そんなに必要はない。今の勢力分布がわかれば、それで終了だ。

 そして、目の前にあるのはヴェネシリオス共和国の収支報告書。雑な置き方をしているようだが、まあそんなこともあるかもしれない。


 「ところで、ヴェネシアの夜景は綺麗なのか?」


 本を開く傍ら、そんなことを聞く。

 うん、と少女は返してくれた。


 「街の光が凄く綺麗でね! うっとりしちゃうの」

 「そうかそうか、今度そちらに伺いたいものだ」


 ヴェネシリオスの、今の権力闘争状態を確認してみる。

 ヴェネシリオス共和国は、正確には「共和国」とは言い難い。世襲制の公爵が国のトップだからだ。

 とはいえ、公爵にはそこまでの権限はなく、代わって、「十六人委員会」と呼ばれる秘密警察組織が権力を握っている。だが、やはり公爵の権威も強く、毎年行われる公爵会議や国家議会では公爵派が委員会派と伯仲しているらしい。

 そして、公爵派は更に、現公爵派と第一公太子派に分かれ、今は公爵位継承権を放棄している第一公女の派閥も僅かに存在している。


 問題は、委員会派と第一公太子派だが……。


 「予想通りだな」


 本を閉じる。

 もちろん、直接的に派閥の描写があるわけではない。だが、会議の速記などをみれば、嫌でも見えてくる。そして、これでほぼ証拠は揃った。


 「よし、少女よ、ここを出ようか」

 「分かった。次はどこに行くの?」

 「警察がよくやるだろう? 証拠が揃ったら、令状を突きつけにいかねばな。と、いうわけで。次に向かうのは、ワレンチーノ侯爵家だ」


・・・・・・


 私兵が守衛する侯爵家を突破しながら、侯爵のいる部屋を目指す。

 もちろん殺しはしない。少しばかり眠ってもらったり、昏睡させたりするだけだ。まあ、それでも手刀の当たりどころが悪ければ死ぬが、今のところはそんな人はいない。

 気分も悪くなるし、できる限り致命的なところは避けているが。


 「ここは通さ……」

 「ほいっ!」


 衛士リクトルの首元に手刀を落とし、暫く気絶してもらう。


 「さて、失礼するとしよう」


 ドアを蹴破って、中に入る。

 うーん、調度品が多いな。中には南方由来と思わしきものもある。

 目の前にいるのは、体付きの良い中年ぐらいの男性と、やや痩せた少年。それぞれ、ワレンチーノ侯爵とその令息だ。


 「ご機嫌よう、私はアリサ・アド・ダンドーロ公爵令嬢。ドアを蹴破った失礼は詫びよう」

 「なっ……、アリサ、だと……」


 絶句している侯爵を余所目に、私は最後の証拠を手にする。

 これは、流石に状況証拠とはいえないな。


 「言っておくが、手を出すなよ、少女」

 「……、分かった」


 さて、謎解きといこうか。


 「推察しよう。ワレンチーノ侯爵、貴方が目論んでいるのは、ヴェネシリオス共和国との同盟、そうだな?」

 「……、何を、言って……」

 「最初からおかしいとは思っていた。一つ目に、ヴェネシリオスの戦艦、それも主力戦艦の、トレンテアノへの長期停泊を許したこと。今、ヴェネシリオスと侯国の関係は、悪くもないが、かと言って良くもない」


 それなのに、仮想敵国の主力戦艦を長期停泊させる?

 その時攻めてきたらどうするのか? トランテアノは、敵国の射程圏内。しかも、ここまでなら四十サンチ砲でも届く。

 戦争開始と同時に頭と首根っこを抑えられるわけだ。戦争開始については、そこまでリスクがあるとは思えないが、だからといって警戒するに越したことはない。それなのに、約一週間前後も停泊させるのは不自然だ。


 「二つ目に、今、侯国の置かれた現状はかなり厳しい。ここだと基準通貨スタンダードよりも地方通貨リージョンの方が流通しているが、これは十分な基準通貨スタンダードの貯蓄がないからだ。ないものは回せない。

  基準通貨スタンダードは、国際通貨だ。一国の政府が勝手に為替を操作できるわけではない。だからこそ、ここでは地方通貨リージョンの使用が推奨される」


 宿屋で基準通貨スタンダードの方が高かったわけだ。

 しかも、地方通貨リージョンの方が基準通貨スタンダードよりも安い値段で宿に泊まれた─これは、地方通貨リージョン基準通貨スタンダードよりも価値が低いということを示している。

 貨幣安は、基本的にはその国の経済的基盤が弱い時に起こる。これも、今の侯国経済の危険な兆候を示していたわけだ。


 「もう一つあるぞ? 最近、ここでは大飢饉が起こったらしいな。当然、人口は他国へと流れる。その結果として、労働人口も減少してしまった。工業化を推進しようにも、人がいないのではどうしようもない」


 工業化に力を注ぎすぎた結果、農業がだめになり、そして人口が流出する。それを解消するために工業化に力を注ぎ、さらに農業が割りを食う。これでは悪循環だが、抜けようにもその方策がない。


 「そして三つ目、現在ヴェネシリオスでは絶賛権力闘争中だ。特に、委員会派と第一公太子派、そして公爵派が()派伯仲状態だ。議会での重要な議決には、三分の二の賛成が必要になる。

  委員会派と第一公太子派が手を組めば、十分に可能だな? しかも、委員会派は現在やや落ち目、一発逆転の機会が欲しかったのだろう。だから、貴方がたにこう呼びかけた」


 耳元に囁くような演技をする。


 「トレンテアノを、売りませんか?」


 瞬間、二人の顔が青ざめた。


 「トレンテアノは港として優れた町だ。海上帝国であるヴェネシリオスにとっては是非とも欲しい町だろう? そして、これはワレンチーノ侯国にとっても願ったりかなったりだ」


 くすっ、と私は笑う。


 「二五カ年軍事平和条約、ヴェネシリオスとの平和条約だな。ここには、両国の武装的中立が謳われている。だが、それだけの軍事力を維持する金も人口も、今のワレンチーノには無い、さてどうするか。

  答えは、隣国のスフォルツァと軍事条約を結ぶ、だ。もちろん秘密条約だろうが、対価は払わねばならない。その貢納金を、果たして用意できるか? 工業化によって得た金で、最近までは払えていたのだろう。しかし、大飢饉が全てを台無しにした」


 結局の所、これは地理的要因と政治的失策に伴う、陰謀劇だった、ということだ。


 「ワレンチーノ侯爵、結局の所、貴方に選択肢は二つしかなかった。このままの状況を放置して、ヴェネシリオスに攻め滅ぼされるか、あるいはヴェネシリオスと手を組むか。

  スフォルツァとは利害は一致するが、向こうとしては経済的に弱体なワレンチーノを助けても何の益もない。南方諸侯国群にとって、ヴェネシリオスの拡大は避けたいものだろうが、それと戦争に伴う損失を鑑みれば、放置の方向に天秤が傾きかねない。そんな相手を信用するわけにはいかなかったのだろう。

  というわけで、藁にも縋る思いでヴェネシリオスに縋り付いた、というわけだ。とはいえ、完全に信頼していたわけではない。だからこそ、わざわざ私兵を集めたのだろう?」


 そこは、褒めてやっても良いところだ。

 腐っても貴族、強かなところは強か。まあ、だからといって救えはしないがな。


 「私兵を集めると同時に、ワレンチーノ侯爵が公国連合への叛乱を企んでいるという噂を流す。公国連合としては、これを見過ごすわけには行かない。だからこそ、有力な誰かが内密に派遣されてくる、そう踏んだ。

  あとは簡単だ。万一ヴェネシリオスが約束を違えてワレンチーノへと攻撃を仕掛けたとしても、ワレンチーノの叛乱に備えて公国連合が集めていた軍団が、そのまま転用できる。派遣されてきた誰かが連絡を入れれば、軍団は二日もしないうちに「爪先イタリクス」半島へと到達できる。

  ヴェネシリオスといえど、流石に公国連合との全面戦争は荷が重い。適当なところで終止符が打たれ、ワレンチーノは、多少は領土を失うかもしれないが存続はできる」

 「……、証拠は?」


 ふっ、と。

 私は、笑った。


 「南方由来の調度品。後ろにおいてあるそれらは、かなり高価な品物だ。ヴェネシリオスに要求したのだろう? いざとなればそれを売って金にするつもりだった」

 「……、隠し立てできぬものよな」

 「私は、父には報告していません。ヴェネシリオスと手を切るなら、今のうちですよ」


 そう言って、私はその場を辞した。


・・・・・・


 「よかったの?」

 「? 何がだ?」


 ワレンチーノの件が片付いた翌日。

 私は、トレンテアノにあるカフェでコーヒーを啜っていた。結局、翌日にヴェーゼル級は出港した。交渉失敗、といったところだろうか?


 「あの人たちは、公国連合にとっては良くない人達なんじゃないの?」

 「それはそうだがな。だからといって、状況証拠だけで突き出すわけにもいかん。なにより、貴族ってのは意外と強かだ、潰すとなれば相当の代償が必要になる。そこまでする必要もないか、と思った」

 「……、公爵令嬢としてはどうなの、それ?」

 「まあ、父上には後で内密に連絡しておく。警戒するに越したことはない。

  公爵令嬢としては、まあ確かに是非とも突き出したいところなんだがな。まだ起きてない事件を盾に裁判することになる。陰謀の証明はなかなか難しい、ヴェネシリオスとの国際問題にもなるだろう。そうまでして、ワレンチーノ侯国を潰す理由はあるまい」


 うーん、ここの珈琲は少し苦いな。


 「さて、最後に少女、お前さんの出自をあててやろう」

 「……、興味ない」

 「じゃあ、私が奢ってやる。それで聞いてくれるか?」

 「……、勝手にして」

 「よし、じゃあ決まりだな」


 珈琲の中に砂糖をいれる。


 「君の主人は、ヴェネシリオスの第一公女、理由としては二つ。一つ目に、図書館を見たことがない。二つ目に、"ヴェネシアの夜景が綺麗"だな。両方とも、ヴェネシアとは若干離れた島─カプリア島でしか暮らしたことがないなら妥当だ。

  ヴェネシリオスの首都であるヴェネシア、その町並みは基準通貨スタンダードで一億程度に相当するとすら言われているわけだが、それを"外から"眺められるのはカプリアからだけだ。

  そして、前に君はこう言った─"街の光がすごく綺麗"。ヴェネシアではイルミネーションなんてしないし、町中から見ればただ気障ったらしいだけだ。外から見る分には、きれいなんだがな。カプリア島は第一公女の隠遁先だ、君の主人が第一公女なら辻褄が合う」

 「……、どうだろうね」

 「おや、答え合わせはしてくれないのかな?」

 「教えちゃいけないと思って」

 「じゃあ、今度あった時には答えを聞こう」


 珈琲を飲み終わる。

 そういえば、最後の答え合わせが残っていたな。メモ帳を取り出して、少し書き込みをする。


 「何を書いてるの?」

 「日記だ、日課なんだがここ最近書けてなくてな」

 「へえ……」

 「さて、最後の答え合わせをしよう」


 ペンをローブのポケットの中にいれる。

 メモ帳は肩掛けカバンの中だ。


 「君の本当の目的は、ワレンチーノ侯の暗殺だ。だが、公国連合の動きを見て、先に渡しを排除したほうが良い、そう思ったわけだ。その連絡は、おそらく第一公太子派から来たんだろうな。

  というか、今回の動きに第一公女は無関係、そうだろう?」

 「それは認める。でも、どうして分かるの?」

 「第一公女とは親しく文通する中でな。君も言っただろう、どうして変なやつばかりと会うんだ、と。変な奴同士は惹かれ合うんだよ」


 くすっ、と少女が笑った。


 「変なの」

 「さてと、そろそろ私は帰る時間だ。あまり「爪先イタリクス」半島にも長居できなくてな」

 「なんかあるの?」

 「それは秘密だ」


 席を立って、コーヒーカップを回収口に置きに行く。

 とことこ、少女もついてくる。そういえば、この少女、珈琲が飲めるんだな。割と苦いし、小さい頃は苦手だったんだが。


 カップを置き、ごちそうさま、と厨房の人に言う。

 何も返してはくれなかったが、すこし顔に笑みが浮かんでいた気がする。それを見て、すこし嬉しくなった。


・・・・・・


 「お姉さんは、謎解き好きなの?」


 別れ間際に、そう聞かれた。


 「いや、つまらないな」

 「楽しそうな顔してたのに?」


 まあ、楽しいは楽しいんだがな。

 それは認めても良い。だけど。


 「謎解きっていうのは、結局、既知を積み重ねて結論に至るだけの作業だ。私がこれまで知らなかったことに出会えるのはまあ、面白いんだがな。結局、既知を積み重ねて得られる結論なんて、つまらないものだ。

  いいか、少女。謎解きってのは、憂鬱なんだ」

 「ゆう、うつ?」

 「そう。人の昏い所、見たくない所、そういったところを見なきゃいけなくなる。それは、つまらないだろう? 謎解きを好きになっても、そんなに良いことはない。それよりは、未知を知る楽しみに気づき給え」


 おっと、迎えの車が来たみたいだ。

 黒い車、ナンバープレートも記憶済みのもの。


 「じゃあな、少女、また会おう!」


 手を振りながら、私はその少女と別れた。


・・・・・・


 「名前、聞き忘れたな」


 総督別荘ヴィラに帰ってから、ふと思い出した。


 「まあいいだろう。既知なんて憂鬱だ」


 名前を知らない少女、だからこそ私にはミステリアスに映る。

 名前を知ってしまったら、それはそれで憂鬱になるだろう。


 未知こそが、私にとっての生きがいだ。


 さてさて、と。

 私は、今日もまた、"目"の実験をする。


 魔術の研究も進んできた。

 UFOを空に浮かべたりできる日も近いうちに来ることだろう。その時には、アンリとも仲直りしたいものだ。


 そんなことを思いながら、私は、メモ帳を取り出した。

いかがでしたか?


最後まで名前を聞かなかった魔女っ子令嬢、後でちゃんと名前を聞く日が来るんでしょうかね……。恋愛ジャンルかと言われれば少し違いますが、視点違いの短編との兼ね合いで恋愛ジャンルに含めています。


面白かったら、高評価やブクマ登録等よろしくお願いします。

反応が良ければ、視点違いの短編ともども連載するかも、です。

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