9:そういえば公爵家に嫁ぐとか無理じゃない?
貴族院にギース様と向かう。
公爵家の馬車は、広くて快適だ。
「それにしても……、あの者たちは本当に貴族なのか?」
「ええ。可もなく不可もない貴族なんて、きっとあんなものでしょう」
私の言葉に、彼は一つ頷くと私の顔を覗き込んだ。
「ないとは思うが……、後悔は?」
「それはあの人たちと、縁を切ることですか? それとも、あの屋敷の者たちをやり込めたことですか?」
「どちらも」
私を見る彼の瞳は優しい。
この人、どうして冷徹とか言われてるのかな、と思うくらいに。
「ないですね。ギース様こそ、私がこんな性格だってわかって、後悔してません?」
「するはずがない。むしろ、我が公爵家の窮状を共に乗り越えるには、そのくらいの方が安心だ」
まぁ、煮ても焼いても食えない感じですもんねぇ。
貧乏公爵家ってどのくらいかはわからないけど、まぁあの家で私が食べていたものよりは、良いもの食べられそうだし。
人間、食がどうにかなれば生き抜けるわ。
それに、公爵邸という住まいも得られるわけだし。
「ああ、貴族院についたな。法務卿には連絡してあるから、件の子爵家と男爵家へは書類での通達だけで良いぞ」
貴族院に書類を提出した時点で一次受付となる。そこで受領成立となり、相手方に通達。面談を経て成立となるのが通常だ。
この一次受付で、その時点の貴族名登録がされる。そのため、一次受付が終わればあの家からの離反をしても問題がないのだ。
「顔、合わせなくて良いのですか?」
「法務卿とは仲が良くてね。事情を話したら、完全に相手方有責となるから貴族院通達でいけるとなった」
す、すご……。これが公爵家の力、ってやつなの?
まぁせっかくなので、ありがたく恩恵に与ることにする。使えるものは親でも使え、ってね。
貴族院の門をくぐり、聳え立つ大きな扉の中を進む。馬車から降りるときには、当たり前のようにギース様がエスコートをしてくれる。
なんだろう……。だんだん慣れてきてしまった……。恐るべし私の順応性。
受付に向かうのかと思えば、個室に案内される。嘘でしょ。ギース様は普通にしているから、これは……上位貴族アルアルなの?
ふかふかのソファで、ギース様と横並びになる。いや、この並び大丈夫?
私の立場的に大丈夫?
まぁ……、今はまだ伯爵家の娘だけれど。
と、ここでふと気づいてしまった。
「ギ、ギース様。私このあと、伯爵家の籍を抜きます」
「うん、そうだね」
「ということはですよ?」
「うん」
この人、ニコニコして「うん」だなんて……。あんまり誰にでもそんな顔見せない方が良いですよ。あまりにも美しいのに、可愛いわ……。
「私、平民になるから、さすがに公爵家の嫁にはなれないのでは?!」
そう。
伯爵家から籍を抜くということは、私は平民になる。
婚約破棄と慰謝料については、籍を抜く前に受領登録されるので、私個人に紐づくから、貴族籍を抜けても受け取ることができるのだが、さすがに公爵家に嫁ぐとなると、平民は無理だ。
うーん。割とギース様となら、うまく夫婦になれるかなぁなんて思い始めてきていたから、ちょっと残念。でも仕方ないわよね。
私にとっての優先順位は、あの家と縁を切ることの方が上なんだもの。
「それは大丈夫だ」
「え、でもさすがに平民は」
「平民じゃないよ」
「は?」
ギース様はちょうど入ってきた文官に、声をかける。
おかっぱ頭の彼は、確かスンデルネ侯爵家の次男さんだわ。数年前の学園首席卒業者だから、顔を知っている。おかっぱ頭なのにイケメンに見えるの、顔面偏差値が高すぎるんじゃないかな。
いやまって?
この部屋、顔面偏差値が高い男性だらけよ。
スンデルネ侯爵家の彼の後に入ってきたのは、スジューラク公爵閣下。さっきから話題に出ている法務卿本人じゃない。
慌てて立ち上がろうとしたけれど、皆に手で制されてしまった。
全員同じタイミングで同じ所作だなんて、ちょっとコントみたいで笑いそうになる。
必死で顔を作って、座り直したけれど、ギース様には気付かれたようで、肩を震わせていた。
「これは驚いた。堅物公爵なんて噂されるフォルティア卿が、笑いを堪えるなんて」
「スジューラク法務卿、私はいつも笑顔に溢れていますよ」
「そうだったそうだった」
かなり砕けた会話に、二人の関係性が見えてくる。
スジューラク公爵閣下は、銀髪をオールバックにしていて、こちらもかなりのイケメン。イケおじって言うのかしら? 前世の私の年齢からしたら、全然アリ! アリアリのアリ。でもご結婚されているのでアリではないし、そもそも平民になる──その前の立場からでも──私は想像することだって不敬にあたるのかもしれない。
「あぁ、ヒローク殿。例の書類を」
「こちらですね。いやぁ、ギース殿が結婚する気になるとは」
「一目惚れでね」
そう言いながら、私の頬に触れるだけのキスをする。
ちょ……。
真っ赤になって動けなくなる私に、ギース様は優しく微笑む。
ダメ……。こういうの、弱いのよ。この世界で生きてきたレダは勿論、前世でクズと結婚し、離婚した私にとって、大切な女性と言わんばかりに扱われるのは、たまらなく──嬉しいのだ。
……再婚相手のあの人も、優しかったのよね。
いかん。それは忘れなきゃ。
もう戻れないんだもん。あの人なら、子どものことも大切にしてくれていると思う。私の大切なあの子……。
いかん。考えても仕方ないことを考えちゃダメ。今はとにかくこのレダをどうにか幸せにしないと。
まぁつまり自分で自分を幸せにするってことだけど。
「そうそう、それでね、レダ嬢。先ほどの質問だけど」
あ、そうだった。
私が平民になっちゃう、という件。
「あなたはこの後、スジューラク公爵家の養女になるから、問題ないよ」
……はああああああああああああああああああああああ?!