25:一方そのころ公爵は
「生き地獄とはこういうことを言うのか」
「旦那様、いかがなさいました」
執事のソワが、執務室の机に体を預けている俺に声をかけてくる。
昨夜のことを話せば、一気に同情の色を濃くした顔で、茶を勧めてくれた。
「奥様のお気持ちもわかりますが──同じ男として、同情いたしますね」
「だろう? いくらその前までは、と言ってもだ」
深く頷いた後、ソワは窓を開ける。
「気分転換をしましょう! 庭でも散歩してきてはどうです」
「そうだな。今このままここにいても、俺は仕事が手に付くとは思えん」
「奥様にお声をかけますか?」
「いや……、一人で心を落ち着かせよう」
「確かに、それがよろしいですな」
公爵家のタウンハウスの庭は、経費削減でずいぶんと荒れていた。
こちらで雇っていた庭師は、ちょうど年齢も年齢だからと退職してくれたのだ。だが、今の庭を見たら、きっと心を痛めるのだろう。
長い間美しく庭を保っていてくれたのだ。
「あら、ギース様もお散歩ですか?」
埃が溜まっていたガゼボをチラ見したあと、屋敷に戻ろうと振り向くと、奥からレダの声がした。
「レダも散歩かい?」
「ええ。侍女たちとの話もひとしきり終えたので、朝食前の気分転換にでも、と」
「侍女たちとの話?」
「そう! 新しい事業を思いついたので、あとで聞いて下さいな」
彼女はいつも、俺が思いも寄らないことを話し出す。
侍女たちとの話ということは、何か彼女たちと行う事業なのだろうか。
「それから……、あのね」
急に、私の袖を引き寄せる。その仕草があまりにも可愛らしくて、思わず抱き寄せてしまった。
「ちょっ、ギース様!」
「あなたがあまりにも可愛いことをするから」
「何がギース様の琴線に触れたのかわからないです」
「わからなくて良いよ。無意識にまたやって欲しいから」
「それもどうかと思いますが!」
くすくすと笑いながら、彼女が俺の腕の中に収まる。こうして彼女を抱きしめていると、心の底から穏やかな気持ちになれるのだから、不思議だ。
「それで、どうしたの?」
彼女が俺に話そうとしていたことがあったと、思い出す。
言いたいことを中断させてしまったのは、反省すべき所だ。以後気を付けたい。気を付けたいが……できるだろうか。可愛すぎて。
「昨夜のこと……ごめんなさい。マティに、公爵夫婦に子どもができることも、領民の希望だって言われて……」
「そうか……。でも、レダも同じように領民のことを考えてくれたんだろう?」
「はい」
「だったら、できるだけ早く一区切り付けよう。そうしたら、子どもも」
「……はい」
ふと腕の中の彼女を見ると、耳が真っ赤になっている。
確かに、この会話は男女の関係になることを話しているのだからな。あからさまな言葉はなくとも、赤くなってしまうのは当然だろう。
……可愛い。
本音を言えば、今すぐにでも食べてしまいたい。
領主としての矜持が、それを耐えさせているだけだ。
──ちょっとつまみ食いくらいなら許されるよな。
「レダ」
名前を呼べば、彼女はこちらを見上げる。
唇を攫うと、少しだけ潤んだ瞳を見せた。
そのあまりの色気に、意識が酩酊しそうになる。
……つまみ食いは、自分の身を追い詰めるだけだったと、その瞬間気付いたのだった。




