2.歓待
ひとまずシュウの部屋へとやって来た葉茅は「冷蔵庫の在庫処理」と称した歓待を受ける。1LDKのシンプルな間取りはさっぱりと片付いている。
「さっき食べたばかりではないですか……と言いたいですところですがお客様とは」
シュウの影から現れた、自らを泉の炊士と称する男ヌェジェは赤い調理服をまとった姿で一礼をする。
「まぁセレフトーからも聞いてるとは思うけど」
「私は歓迎しますよ。シュウは小食なので中々食材が減らないのです」
「おいおい、どんな食生活してんだお前?」
思わずシュウを凝視する。身長が2mほどもある偉丈夫で中々筋肉質な体をしているのだが、それでいて小食とは意外だった。
「ワンプレートで済ませたいからね」
「あなたはそれ以前に偏食すぎます。アレルギーでもないのに炭水化物を一切受け付けないのはどうかと思いますよ」
「肉と野菜があれば足りるさ。それに牛乳」
「……案外子供っぽいな」
厳しい顔の料理番の意見を左から右に流すばかりの姿に呆れてしまう。人智を超える力を持つ人造悪魔が子供並みの好き嫌いをするなど想像しにくい。
「葉茅と言いましたか。あなたからもきつく言ってあげてください。偏食は体に毒だと」
「いや、その……悪魔にそういう説教はうかうかし難いというか、あんたの料理を食べてから判断させてくれよ」
「成程、それは道理です。少々お待ちを」
ヌェジェは頷くと冷蔵庫から切りかけの野菜や滅多に使わない白米などを取り出して手早く料理を始めた。
その様子を眺めながら葉茅はシュウに質問する。
「なあ、あいつが料理上手ってんなら、お前も出来るってことなんだろ?」
「ですね。ただしヌェジェ本人よりは劣るから、本人が動けるならばそのほうが美味しいご飯にありつける」
「……嫌がるわけだな」
料理人からすれば自分の模倣で偏食を助長された上に「そっちのほうが美味しいから食わせてくれ」では立つ瀬がない。
「炭水化物以外なら全て食べているから文句は言わせないよ」
「パンも米も穀類もない食事はどこか味気に欠けるものですよシュウ……さ、どうぞ。粗末なものではありますか」
そういって差し出されたカップ入りのスープリゾットを受け取った葉茅は熱気を軽く払いつつ一口食す。
「……美味い」
「美味しそうに食べるね葉茅」
「素晴らしい第一声を頂き光栄です」
二人の声は聞こえているがそれより食べるのに忙しくなる。組織ではろくな食事が出なかったし、ここ数日シュウの家付近で張り込みっぱなしで空腹だったのもあるが、何よりもヌェジェの料理が美味しく感じられる。五臓六腑に染み渡るようだった。
瞬く間にリゾットを完食した葉茅は美味しい料理を作ってくれた名料理長に素直に頭を下げる。
「……ゴチになったぜ。誰かを婿にするならあんたみたいなやつが良いな」
「もったいない言葉です。やはり美味しそうに食べてくれる人の笑顔が一番ですね」
「僕も感謝の言葉を欠かしたことはないよ」
「嫌なときは露骨に顔をしかめるあなたに言えることですか」
図々しい言葉を発するシュウに顔をしかめたヌェジェは取りあわず「夕餉の際にまた会いましょう」と言い残しあっさり影に戻っていった。
「出入りが軽いんだなお前」
「……僕は全員の総意で形作られている虚像に過ぎないからね」
疲れたようにつぶやく。影としてある十三のかけら、そして形になれない無数の意志が棲家として選んだのがシュウ・マドカという青年の姿である。
「お前の偏食は誰に似たんだ?」
「特定する気はないよ。自分が不愉快になるだけだからね」
「……それもそうだな」
葉茅は頷くと雑談を止めてシュウに問いかける。
「で、引っ越すとしてどこかあてでもあるのか?」
「すぐには無理かな。半年も持たずに引っ越すとは思ってなかったし」
「追われる身は辛いな」
肩をすくめる。そういう自分も追われる身になっている以上、住処の確保は最重要課題である。
「次はもう少し狭い場所にしようか」
「俺が増えるのに狭い場所もねえだろ」
「嫌なら女にもなれるけど?」
「そういう話じゃねえよ」
それにしてものんきなことばかり言う人造悪魔がいたものである。これならセレフトーやヌェジェのほうが余程まともな感性をしている。
そこで葉茅は彼に聞きたかったことを思い出した。
「お前も前に組織に居たんだよな」
「何ですか?」
「菜々、って名前に聞き覚えは」
「……僕の中にはたくさんの『なな』がいるので、それだけでは……」
「そうだよな……つまんねえこと聞いちまった」
済まなそうに話すシュウに手を振り話を引っ込める。あまり期待してはいなかったが、対応してくれただけでも価値はあった。
ふっと気を緩めた葉茅は直後に感じた殺気にはっとして気合を入れ直す。シュウも表情を引き締めた。
「駄目押しを用意してたってわけだ」
「ますます引っ越しを急がせたいと……面倒な」
「その都度追い返すのなんか楽勝じゃねえのか、お前なら」
「……管理人や家主の顔に泥を塗り続けても、ですか?」
真剣な顔で言う彼に、それじゃ仕方ねえなと返す。そんな物騒な場所にしてしまったら住人が消えてしまうのは明白である。
「どうするよ。一気に切り込まれたらこちらが不利だぜ」
「踏み込まれるのは遠慮願いたいですから、こちらも速攻を仕掛けましょうか」
その言葉に反応して影から現れたのは短い金髪にシャツとショートパンツという身軽な出で立ちの女性。
「あたしの出番ってわけだな。ひと暴れしてくるか」
「あんたの名前は?」
「雷の盗賊、エナだ。ま、よろしく頼むぜ葉茅」
軽い調子で片目をつむる。相手は馴れ馴れしい態度が好きでないことをよく弁えている。葉茅も目をつむって感謝に代えた。
「俺たちに仕掛けてくれってか」
「僕が前線に出てもいいけど目立ちすぎるからね」
「今更そんなことを気にしてるんじゃねえよ……」
「ま、お前はそこで見とけ。危ないと思ったら援軍を頼むぜ」
そういうとセナは扉から出ていき、葉茅もあとに続く。
「あんたたちは影にいる間は何してるんだ」
「それぞれだな。ヌェジェは料理の試作してるし、セレフトーはパッチワークに夢中だしよ」
「博打とかは?」
「あたしたちの中に強いやつがいるからな。たまにそいつが胴元になって賭場を立ててる」
「何でもござれだな」
そんな会話を交わしながら階段のを降りていく。シュウの部屋は八階でエレベーターのそばにあるが、微弱な刺客の気配は階段を登って来ている。
「中々気配を殺すのが上手いもんだな」
「後詰だからな。俺と同等以上でなければ務まらねえさ」
「そうか? あたしの見立てじゃお前以下な感じがするけどよ」
葉茅はそれに無言で応じると動きを止める。六階の踊り場。相手は変わらずゆっくりと登ってくる。途中で迎撃を察知したらエレベーターに切り替えて一気に詰める気なのだろう。
二人は静かに呼吸を整えながら相手を待つ。そして五階から六階へ来ようかというところでエナが機先を制し、相手に奇襲をかけた。刺客の一人は為すすべもなくナイフで喉を切り裂かれて倒される。構わずに駆け上がろうとした一人も葉茅に地上へ投げ飛ばされた。
しかし、まだひとり残っている。二人はその場に構わず階段を駆け上がり、シュウの部屋へ戻るが、二人が戻ったときには既にケリが付いていた。部屋の前には盾を構えた屈強な体の老人が部屋を守るように一人でたたずんでいる。
「手間を掛けさせちまったようだなフェム」
「なに、たまには運動も必要じゃ」
「あんたは?」
「お前さんが葉茅か。ワシは盾の門番フェム。見ての通り盾しか扱えん暇人じゃよ」
フェムは陽気に笑う。そんなに厳しい感じもないが、その実、一本気の通った真面目な性格をしている。
「ともあれ用件も済んだことじゃ。そろそろ戻るぞエナ」
「なんでぇ。久々に不味い外の水でも飲んでかねえのかよ」
「部屋を越す準備をせにゃならんで」
「あいよ。一休みしたら頑張るとするか」
二人は葉茅に会釈すると先に部屋の中に入っていき、少し間を空けて葉茅が入ると、そこにはシュウの姿だけ。
「……ややこしいな」
「僕もそう思うよ」
「これまでに出会った相手にはどう説明してたんだ?」
「住心地の良い体、かな?」
「もうちょい良い説明を用意しとけ」
相変わらずピントのずれたことを言うシュウに苦笑いすると冷蔵庫の中にあったオレンジジュースを取り出し、それは僕のだという言葉を無視して美味しそうに飲み干した。
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