1.お気に入り
住んでいるマンションの地下駐車場で待ち伏せをしていた刺客は標的と相対する。他の住人の行動時間や車の配置をしっかりと把握し、不測の事態にも対処が出来るように仕掛けるポイントをいくつか用意していたが一番良い位置を取れていた。
「また引っ越しの算段をしないとな……中々住み心地良い所だったのに」
「呑気なことだな、シュウ・マドカ……一撃がかわされる訳だ」
白い髪をいじりながら言うシュウに刺客はじりじりと下がる隙をうかがう。初撃で外したからには逃げるのが一番だったが動けない。
「直前まで全然分からなかったな。良い腕してるね」
「それはどうも」
「急いで逃げることもないんじゃないか? 戻ったところで先は長くないと思うけど」
組織は秘密にうるさい。だからこそ脱走したシュウをしつこくつけ狙い、役立たずも容赦なく切り捨てる。
「お前に殺されるよりマシだ」
「……本当にそうかな?」
刹那、シュウの背後から素早く何かが放たれて刺客の背後に打ち込まれる。鈍い悲鳴が上がり、潜んでいた監視役は事切れた。
「今のは……」
「相変わらず見事な手際だねセレフトー」
「折角の穏やかな朝が台無しですわね、シュウ」
そう言って彼の背後から現れたのはグレーの給仕服を身にまとった中年女性。柔らかく上品な印象を与えているが、一方ではシュウと刺客を射抜くかのような視線で見比べている。
「なるほどな、そいつが『一かけら』か」
「まあ、人を物のように扱うなど……不躾ですこと!」
「セレフトー、落ちついて。思案のしどころだよ」
「もう満員です」
簡潔な拒絶。気難しい彼女は入口が広くない。
「やるならさっさとしやがれ」
「……穏やかな朝をこれ以上台無しにしたくないだろう?」
「仕方ありませんわね。ですが縫い付けはさせていただきますわ」
セレフトーは苦い顔で承諾すると、先程監視役を葬ったのと同じ動きで刺客の足元に何かを打ち込み、そのまま素早く手を動かす。
短い作業を終えると彼女は相手に宣告する。
「針の機織、セレフトーが貴方を縫い付けました。私の手がそれを断つまで貴方の体は時を刻めない……仮初を生きるのです」
「分かりやすく言えば彼女が許すまで君は死ねない、死んたとしても今の状態からやり直しにされてしまう」
「仮死状態みたいなもんか?」
「死なないわけではありませんわね。死は死ですがその度に引き戻される……今という振り出しに戻るのですよ」
その身で覚えたほうが良いですかしら、と言った瞬間に相手の喉笛を鋏で掻く。血は流れない。裂かれたはずの喉にも傷はないが、その顔は苦痛で歪んでいた。
「いかがかしら? 流石に一度では対応出来ないでしょう」
「……死ぬほど痛かったぞ」
激痛と共に血を噴いて倒れたのに、次の瞬間には何事も無かったかのように二人の前に立って先程と同じ言葉を聞かされる。言葉が終わったところで再び喉を狙われ身構えようとしたが間に合わずに同じ目に遭い、完全に回避できたのは七度のやり直しを経た後のことであった。
「無理やり従わせるのとどう違うんだよ?」
「君がセレフトーを説得するのはまず無理だけれど、僕が交渉すればその限りではないし、何より縫い付けみたいなやり方が好きではないからね」
シュウは肩をすくめる。セレフトーの顔を立てているということなのだろう。
「意地悪ですのね、シュウ。そこの人間を試したかったのはあなたですのに」
「そう言わない。君の機嫌を損ねるのも嫌だけど、気に入りそうなものを目の前で逃すのはもっと嫌なんだ」
「そこまで仰られるのならばこれ以上は問いません。糸は切っておきます」
彼女は手にした鋏で刺客を時に縫い付けていた赤い糸を切って抜くとそのままシュウの影の中へと帰っていき、残された刺客は再びシュウと相対した。
「……何故そこまでするんだ?」
「単純さ。君のことが好きになったんだ、可愛いお嬢さん」
「お前に可愛いとか言われると寒気がする」
少女は嫌悪を隠さない。声を聞いたシュウは困ったような表情を浮かべた。
「困ったね。かなり嫌われているらしいけど、僕も死にたくないし」
「……サシでやりあった方が早いんじゃねえか?」
「一対一なら勝てると言いたいのかい?」
「一対十四よりマシだ」
本音だった。聞いた話ではシュウの影にいるかけらは十三。用心せよとは言われていたが実際にセレフトーの実力を見てしまうと、とてもではないがまとめて相手に出来るとは言えない。しかし、シュウ一人ならばまだ何とかなる気がする。
「なるほどね。じゃあ遠慮なくどうぞ」
「……!」
相手の言葉を待たずに少女は動いていた。素早く短刀を取り出すと左胸を一突きにしようと襲いかかる。
しかし、それは紙一重で交わされる。体勢を崩しているのを突くがそれもかわされる。同じことを数度繰り返すうちにからくりに気づく。
「……自分自身を縛っているな?」
「正解。結構な回数をやり直ししたから流石に疲れたよ」
「……手出ししないというのは嘘か」
「それは不正解。セレフトーにしか出来ないというのは悪い思い込みだね」
その言葉の意味は明瞭だった。怯んだ隙に一瞬で間合いを詰められて首元を掴まれる。ひやりとした感触が伝わってくる。
「だから『かけら』ということか」
「僕らは平等だよ。皆が影にいなきゃいけないのは組織の小細工に過ぎない」
シュウは語気を強めて何も知らない少女を視線で射貫く。その瞳の中に宿る測り知れない深淵を感じて彼女は無意識に体を震わせた。自分では眼の前の相手には勝てないと認めてしまった。静かに手にした刃を下に落とす。
「……で、俺をどうするつもりだ?」
「……とりあえずは引越しの手伝いをしてほしいかな。あと、そっちに転がってる死体と流れた血の後始末も」
「……面倒くさい仕事だな」
「別に組織と喧嘩するつもりも無いしね。降りかかる火の粉は払うけど」
体を伸ばしながら苦笑いする姿につられて少女も仕方なさそうに微笑む。力でも精神でも相手が上である以上は構えていても疲れるだけである。
「……あてはあるのか?」
「特にないけど、保証人を捏造せずに済むのなら手間が一つだけ減るからね」
「……自分で自分の保証をしていたとは笑えねえぞ」
「しょうがないさ、無闇に付き合いを増やしていい身分じゃないし」
組織を離反し逃亡中とは思えぬほどのんきな話であるが、世の中そんなに都合よく社会の影に隠れられる訳もない。必要最小限の接点も必要であろうか。
「……分かったよ。その代わり、俺の身の保証も忘れないでくれ」
「君が僕を信じてくれるのならば、僕も君を信じるよ……そういえば名前をまだ聞いていなかったね」
「……葉茅」
素っ気ない名乗り。まだまだ警戒は固いが、彼はそれで納得する。
「歓迎するよ葉茅。僕はシュウ・マドカ、永遠の連なりたるウロボロスに囚われし人造悪魔の中枢……さあ、行こうか」
差し伸べられた手をそっと握り、葉茅は前へと踏み出した。
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