Why don’t we take it slow?
家に着くころには酔っ払い娘はノウドの腕の中で寝入ってしまい、彼女の両親をしこたま驚かせた。
「夜分にすみません。ノウド・スシュッテルトと申します。お嬢さんをお届けにきました」
くったりと男に身を預けているキャルメリアに、父親は取り乱した。
「うちの娘がなにか?!」
「寝ているだけです。私が酒を飲ませ過ぎました。申し訳ありません」
「そ、そうか……。うん、悪いけどとりあえずベッドに運んでくれるかね」
突如としてやってきた青年は、体つきはがっしりしているし、どこか甥のスティーフと類似した動作をする。キャルメリアを抱きかかえるにも、恋人ではなさそうだが姫のように扱ってくれている。父の目からはそう見えた。だからこの男に娘が酔態を見せても、憎めずにいる。
「娘は成人しているし、自分の判断できみに着いていったのだろうけど……娘とどういった関係だい?」
「お嬢さんには、二人きりで食事ができるくらいには気を許していただいています。私はスティーフ・ヴァン・ホルンと同じ騎士団に在籍しております。彼がきっかけでキャルメリア殿とは知り合いました」
友人? 恋人? 二人はどこに区分けされるのだろう。明言を避けた。
「ああ、スティーフの」
身近な名前で一気に父親の警戒が解けた。
そういえば、と遅れながらに記憶が蘇る。キャルメリアが失踪してスティーフを頼りにペリベイルへ行ったとき、スティーフのそばにいた青年か。
「家まで送ってくれて感謝するよ。今日は遅いから、また娘も交えてゆっくり話がしたいものだね」
はい、とノウドは騎士の礼をとる。それほどスティーフの同僚だ、娘に危険はないと印象づけたかった。
保身のための足掻きか。今夜は自分に失望してばかりだ。
しかし、なにを目指しているのだろう。
思いも伝えずキスをして。はじめから告げられていたキャルメリアの好意に付け込んで、危うく襲うところだった。
好き、なのだろうか。ぼんやり全体は好ましいと思う。彼女は恥ずかしがり屋だけれども、一度話すことに慣れれば大胆に自分の意見も主張できて冗談も言える女性。そばにいると穏やかになだらかに時が過ぎる。気づけば自分は笑っていることが多かった。
ただし恋、と断言するには弱い。
ひたすらに彼女といるのが居心地がよすぎて、キスをしたのが欲の発散なのか、恋心が高じてなのかがわからない。
十代のころノウドが経験したものは、燃え上がるようで、無理矢理なほど熱情を伴っていたと思う。会えば二人で肉欲に飛び込んだ。騎士団で使えるようになってきて、増加する魔の退治に駆り出され遠征が増えて恋人とはすれ違い、そのまま関係は消滅した。それで五年が過ぎた。聖女の護衛を務めてさらに二年。
恋人だと思っていた女に持っていた感情も思い出も、身の内に残っていない。それにここ数年は生きることに必死で恋愛とはほど遠く暮らしてきた。
どこかでかつての恋人を見かけたら、どう思うのだろう。
昔とは全く違うこれを、恋と呼べるのか。
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キャルメリアは、目覚めてから体がもぞもぞするのを止められなかった。
とんでもない夢を見た。これまでは手を繋ぐだけの健全な、友人同士でもできる触れ合い。しかし夢はキャルメリアにとって卑猥な内容だった。
生まれて初めてのデートでご飯を一緒に食べたのがそんなに刺激的だっただろうか。
そこではキャルメリアが大胆にも硬い胸元にしなだれかかって、唇を押し付けた。そうしたらノウドが悪戯っぽく笑ってーー。彼の舌先が歯裏をくすぐる感触が生々しく残っている気がする。夢の出来事なのに。好きすぎておかしくなってしまったのだろうか。
冷たい水で念入りに顔を洗った。
父親がダイニングチェアに静かに座っている。キャルメリアが起きてくるのを待っていたようだ。
「昨夜はノウドくんという男の子が送ってくれたよ」
「あー……のね? スティーフと同じ騎士団の人よ。私がご飯食べに行きたいってお願いしたの。調子乗って飲み過ぎたんだわ」
「そうか。酒には気をつけなさい」
相手がスティーフの同僚だったこと、起きてきたキャルメリアが平生通りだったことで、父はそれ以上のことは言わなかった。
「はい、ごめんなさい」
ご飯は美味しかった。けれども酒は自分の許容量を超えてしまったらしく、それ以降の記憶がない。二杯目までは覚えている。ノウドに甘えたい、とは感じていたような。
それからどうなったのだろう。現状では飲酒して眠ってしまったことしかわからない。送ってくれたのなら、お礼を伝えなければ。
休日を終えて出勤すれば、同僚女子がささっとやって来た。デート場所についてあれこれ指南してくれたフィリーナだ。
「行ってきた? どうだった?」
「ご飯もお酒も美味しかったわ。酔っちゃって、半分は覚えてないけど」
「うそ、大事な夜を覚えてないの……残念」
そりゃあ、二人きりでご飯なんてデートのつもりで挑んだけれども。大事な夜、なんていかがわしい。
「彼が上手いかどうかもわかんなかったの?」
声に哀れみがほんのわずか混じった。
「なにが上手いって?」
テーブルマナーとかだろうか。普通に綺麗だったと思う。
彼女は顔を見合わせて、言い淀んだ。
「だって、泊まったんでしょ」
「泊まる? ご飯処に?」
「部屋にベッドあったでしょ」
「え……テーブルとソファはあったけど」
「衝立で仕切られてるけど、ベッドがあったはずだよ」
指摘されて、大きな衝立が立ててあったことを思い出す
向こう側までは見に行かなかった。
となれば、目的は男女のあれそれしかない。そんなところにノウドを能天気に誘ってしまったのか。ノウドも知らずに予約を取ってくれた? まさか。
確かにテーブルごとに仕切りのあるレストランがいい、とは言ったけれどベッドまでついてくるとは思わないではないか。
「その先には行った覚えないわ。起きたら家だったもの」
「女から誘われてなにもしなかったって……。ものすごい紳士か、ほんとに興味ないかだわー……」
同僚の言葉が突き刺さる。
真実はその中間なのだが、キャルメリアは交わされたキスを覚えていない。
「ふゃぁぁぁぁぁ……」
家へと送ってもらって感謝してる場合じゃない。
ーー謝罪案件かしら、謝罪案件だわ。
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お昼に抜け出して、ノウドがいるであろうペリベイルまで走った。
「ごめんなさい!」
いえ、と否定しようとしたがキャルメリアは謝罪をかぶせた。
「私、あの場所のこと知らなくて! ごめんなさい!」
「行ったこともなかったでしょう。ああいう店が存在することも知らなそうでしたし」
「だって、普通のレストランだと思っててっ」
ノウドは手を握って言葉を止めさせた。小さな手はひんやりしている。あたためなければ。
「わかってます、ぜんぶ」
彼女のことだから、いくらノウドに慣れてきて、度胸があってもきっと連れ込み宿などには誘わない。
「どういう場所かわかった上で店を予約したのは俺ですし、黙っていたのも卑怯でした。すみません」
あの夜勢いでキスしただなんて教えたら、彼女はさらに謝ってくるだろう。乗せられて調子づいたのはノウドなのだし、記憶があってもなくてもあのキスについては、謝ってほしくなかった。ノウドも、ごめん俺が悪いとは言いたくなかった。謝るべきだとは思うのに。口づけが悪かったことにすれば、この関係が間違いだと公言するようで、それは嫌だった。
ここで終わりには、したくない。
「ゆっくり、俺たちのペースでいきませんか」
キャルメリアが持つような、目を潤ませて頬を赤くする情熱をノウドはいまいち自分の中に感じ取れていない。ほんのり、蝋燭のような温もりはあるのだが。
これが恋なのか友情なのか、見極めたかった。
Why don’t we take it slow?
(ゆっくり進めませんか?)
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下に小話置いてます。
もしかしたら 胸くそ かもしれない、ノウドと元カノの再会(決別の会話してるだけ)です。
嫌な予感がする方は以下を飛ばして次話をお読みください。
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町中を歩いていて、探してもいない人物とかち合ってしまった。相手もばっちりノウドを認識している。
「……ノウド」
「テイシー……?」
以前の二人なら抱きしめあっていたのだろうけれど。いまここには、大きな違和感が存在していた。
記憶よりも大人びた女性は苦渋の表情を浮かべる。
「会うなんて思ってなかったけど、会ってしまったからには仕方ないわ。立ち話になるけど、いいわね」
こっちに来い、と小道を指差した。お互い手を伸ばせば届くのに、向かい合っても体は触れない。見えないはっきりとした壁があった。すぐそこには街の喧騒があるのに二人の間は妙に静かだ。
「いまは、どこに?」
「隣町よ。今日はたまたま用事があって王都まで来ただけ」
「そうか、引っ越したんだな」
「あたしとしてはとっくに終わったつもりだったんだけど。あんた、はっきり言っておかないと踏ん切りつかないでしょ」
「引きずってなどいないが」
顔を見てしまえば、あのころの感情が蘇るかと思ったが、拍子抜けするほどなにもない。心がぴくりとも動かないことのほうが不思議だった。
「真面目なのはいいけど、とっくの昔のことに義理立てされても困るから」
お互いが男女関係として初めての相手だった。けれど、愛を囁き合う間柄ではなかった。欲を満たして、吐き出し終わったらそれでよかった。恋愛とはこういうものだとテイシーは当時言っていた。
「わかってたと思うけど正直、体目当てだったの。だからあたしのこと忘れていいわ」
「本当に容赦なく言ってくれるな」
ノウドが苦笑しても、テイシーは冷めている。
彼女は強くて、好きなものにのめり込むのも早くて、その雪崩のような情に飲み込まれてーー弱くて未熟だったころのノウドはその強さに憧れてもいた。好きだと言われれば、嬉しくて自分もそうなのかと思い込んで引きずられていた。
「ここで別れたらそれっきり、あたしたち他人よ。わかった?」
「そうしよう」
快い返事にようやくテイシーが笑う。こんなふうに笑う女だっただろうか、覚えていない。体だけ重ねて、なにも彼女の内面を理解していなかったのだ。
背を向けて歩き出す。
子供の声がママ、と呼ぶのを、それに応えるテイシーも聞こえないふりをした。
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ノウドは平民でいい歳だしそれなりの経験あります。