A dinner date.
二人で決めた日がきてしまって、ノウドは待ち合わせ場所で彼女を見つけた。真っ白なスカーフを巻いていたので目印になったが、その白さがキャルメリアの純真さそのものを表している。これから向かう場所を思うと後ろめたさを覚えた。
無邪気な様子から、どちらかが騙されてるのではないかと邪推したくなる。
「考えたら男の人とお食事って、初めてです」
「スティーフとは?」
「……あれは、従兄です……」
喉で笑うノウドを恨めしそうにしつつ、行きましょうと踏み出す。
店内では他の客とすれ違ったり鉢合わせすることもないように考慮されている造りだった。貴人御用達というほどではない格のようではあるが、キャルメリアは好きな人と二人きりという人生最大の事態にさまざまなことを深く疑問とする余裕がなかった。ただひたすら浮かれている。
やたら長くて大きな衝立があるが、団体が入れば開放される部分かな、などとさして気にしなかった。
部屋には長いソファとテーブルがあるだけという、灯りも間接照明などで補い控えめで雰囲気を大切にしているお店のようだ。
ソファが一台しかない、ということはノウドと並んで座ることになる。恋人専用の席か。異性の友人同士で来たらおおいに気まずいことになりそうだ。
「ちょっと変わったお店ですね?」
「……ですね」
これは完全にこの宿の仕組みの知識はないんだな、とノウドは逆に安心した。ならば衝立の向こうのことは何も言わずに食事をして軽く酒を飲んで帰ればいい。
乾杯をして、料理に舌鼓を打って。それだけで、きっと楽しい。コース料理の前菜と果実酒が運ばれてきて、ナイフとフォークを手に取った。
「最近は聖獣は見かけませんか?」
「あれからは、なにもないです。『封印』のおまじないが効いてるのかな」
今夜も髪に飾られている艶やかな紺色のレース。
「ならいいですが。異変があったらすぐに教えてください。ペリベイルまで来てもらえれば、スティーフか俺が対応できますから。門番には話を通しておきます。それか王都教会でもいい、カデルという司祭を頼ってください」
「はい。ありがとうございます。そんなにしていただいて……。もしかして、スシュッテルトさまには下にきょうだいでもいますか……?」
たくさんキャルメリアのことを考えてくれているし、根回しまでしてくれる。面倒見がいい。
「いえ、わがままな姉がひとりいるだけです。幼いころから俺をいいように使うんです」
それで、姉に振り回されないように先回りして回避する術を学んだ。
「姉がキャルメリア殿のようであったなら、俺も喜んで世話を焼いたでしょうね」
素直で、しっかりお礼を言えて、なによりすぐ赤くなったりしてかわいらしい。
「ええっ……スティーフにはよく呆れられてるんですが」
「呆れる、か。それこそ俺とこうして会って話してみて、がっかりしませんでしたか?」
「いいえ、まったく? どこらへんでがっかりするんでしょうか」
「……俺は話がつまらないとか、面白くないと言われがちなので」
女性を楽しませる技量はなく、キャルメリアと居ても笑わせてもらうばかり。
「私はスティーフがいないと初対面の男の人とは話せません。女性ならまだましなんですけど。だからほとんどの人は当惑したり私を無視してスティーフとだけ話したりします。でもスシュッテルトさまは、顔も見なくていいようにしてくれて、私に話しかけて、私の話をきいてくれようとしました。それがとても嬉しかったです」
言い切って、酒をごくごく飲んで気恥ずかしさを打ち消す。惚れた点を説明するのは、照れくさい。
ノウドが次の酒を注いでくれたので、ことさら味が絶品に感じられる。
「ジャンと会ったときも、話さなかったと聞きました」
「ジャン……?」
「俺とスティーフと同じ騎士団の男です。会っているはずですよ」
口にグラスをつけたまま、キャルメリアは考え込む。こっくん、と飲んでも言葉は出てこない。うーん、と唸ってもうひと口。
「もしかしたら……キャラメルちゃん、と呼ばれませんでしたか」
一段低い声で、甘いお菓子の名前のふりをしてキャルメリアの名前を呼ばれるのにはときめいた。しかしそれで思い出す。
「あ! あの軽々しい人。忘れてました」
軽々しい人、とノウドが口を隠して笑う。ジャンは人との距離が近いがために、そう取られてしまったか。
ノウドが笑うとキャルメリアは嬉しい。楽しい。今夜は最高だ。
「ふふ。お料理もお酒も美味しいです」
「はい。来てよかったですね」
ノウドからしても、キャルメリアとは普通に会話が進んでいた。決して軟派な見た目ではないし、お堅い雰囲気のはずだが、寄ってくる女性と話すと彼女らは微妙な顔で帰っていく。義務的に接していたのも悪いとは思うが、美形の団長目当てだったり肩書きしか見ていない彼女らに興味を惹かれることがなかったので自然と態度は冷めざめとする。
肩の力を抜いて近くにいられたのは、彼女の親族であるスティーフと似通っており居心地のよさがあったからか。男性と過ごす感覚とはもちろん違うけれども、変に気負わずにいられる。
二人でいるときのこの空気感は好きだな、とノウドは杯を空にした。
ふらり、とキャルメリアの体が傾ぐ。肩同士がぶつかり、ノウドは彼女の腕を掴んで支える。
間近にある濃い金のまつ毛が下りるのを眺めている間に、むに、と一度唇が合わさった。
彼女から仕掛けてくるとは思っていなかったために、完全に受け身になってしまった。
キャルメリアはふにゃふにゃした笑みを浮かべている。
こんなに愛らしければ、好きじゃなくても男は抱き寄せたくなってしまう。腕を回せば体の隙間がなくなった。
「……それだけ?」
挑発されてにっこりして尋ねると、無垢な少女の顔をして首を傾げられる。
「……だけ……って?」
ノウドの唇がキャルメリアの上唇を挟み込み、ふにふにと何度か噛む。舌が歯に当たり、さらに奥を求めていく。向こうは舌の使い方も知らずに逃げ惑う。怖くないから、と言い聞かせるように優しく舌を合わせた。
「……んんっ……」
欲を持って「女」に触れるのはどれくらい振りだったかな、とキャルメリアの後頭部を片手で支える。別な手の指で丸い耳の輪郭をなぞってーー妙に熱い。視界の端に、色づいたキャルメリアの指が入ってきた。いつもなら白くて冷たい彼女の指先が、きれいなピンクで花びらのよう。あちらも噛んだら甘くて美味しそうだな、と思ってはたと気づく。
ーーこれ、彼女は酔っているんじゃないか。
それで先に進むのをやめた。
意思確認ができないうちに関係を深めることはできない。
酔いも醒める。
キャルメリアからキスで誘ってきた時点で気づくべきだった。普段の彼女ならしないであろう行動。いくら顔色が変わらないとしても、酔う人間は酔っている。キャルメリアは何杯飲んだ?
ーー場所のせいか? 俺がその気になってどうする。
「こういうつもりではなかっただろう?」
「なんの、つもり?」
「食事して、キスして、それから? ……したい?」
「なにを? ご飯のほか、が……ある?」
ある。デートには。けれど、キャルメリアにはその発想がない。まぶたがいまにも閉じそう。
「……いいや。帰ろうか」
この子は、もっと大事にしなければだめだ。昔のように若さゆえの衝動で強行できるほど馬鹿でなくてよかった。
酔ったところを、なんてもってのほか。好意を持ってから、素面で心を込めて口説いてからだろう。
「帰る?」
「送ります。帰りましょう、あなたの家に」
はぁい、と疑問もなく答えた。
店で馬車を呼んでもらって、キャルメリアと乗り込む。
これは送り狼に当てはまるだろうか。さきほど狼になりそこねたというか、途中まで狼ではあったけれども、尻込みしたといっていいのやら。
いや、でも店で一夜を過ごしたら必ず後悔することになる、という確信があった。
自分の中の気持ちが固まらないのに、手を出しかけた最低な男だ。
A dinner date.
(ディナー・デート。)