Conceal.
教会の廊室に入ると、スティーフがみんなのぶんの軽食を買って待っていてくれていた。それを食べ終わったころに、訪問があった。
「遅くなりました、すみません」
聖女カリナはほどなくして到着して、聖獣たちを説き伏せる。
「聖獣たちはまた来そうですね」
はい、とキャルメリアが不安そうに答えた。
「これ、試してみましょう」
聖女が扱う小振りの聖杯を持たされた。
「え、こ、これ、聖杯……」
聖職者でも上級職でもなければ直接触れることはない、しかも聖女専用の神秘の聖杯だ。
「持ってみて、とくべつ感じることはありますか?」
何を期待されているのだろう。カリナは至って真面目で、キャルメリアは不思議なことが起こるのをじっと待った。
「……わかりませ……ふゃっ?!」
指先の感触がぐにゃりとして、取っ手を捻って変形させてしまったかと焦った。聖杯は半透明になり、ついには消えたかと思えば、カリナの手に戻っていた。
遠くに唇を噛んで笑いを堪えているスティーフには、イーッと歯を見せておく。
自動返却機能付き聖杯。神の片鱗を見た。気安いこの方は本物の聖女さまだった。
「キャルメリアさんが聖女の可能性もあるんじゃないかと思ったんですが」
「そのような。異世界人でもないので、ありえません……」
聖女は一代に一人きり。異世界から喚ばれ他と滞在が重なることはない。それくらいは、キャルメリアだって知っている一般常識だ。
「私にとってはこの世界はわからないことだらけですし、これもやってみるまでわかりませんでした」
そしてうーん、と首を傾げる。
「あとは、そうですね。聖水を体にかけるとか、やってみてもいいですか?」
「どうぞ……お願いします?」
通常聖水は魔に侵された体の治療に使われる。通常の身体的負傷や病気には効能はない。呪いには覿面とのこと。
カリナは聖水の溢れる聖杯を、座らせたキャルメリアの頭の上で傾けた。清涼なさらさらとした音がするような気がする。ひんやりとするだけで、不快感も気持ちよさもない。
そのうちカリナは聖杯を仕舞った。
「聖水を浴びることで、おまじないの効果を打ち消したり、覚醒する以前の状態に戻すことができればと思ったんですが、どうですか?」
「とくに変わった気は、しないです」
「そうですか。……では最後にこれを」
濃い青の、キャルメリアの瞳の色をしたレースが出てきた。使用している糸は同じようだが、回収されたものとは模様が違う。
「あなたに目覚めたものを『封印』するように、おまじないを込めました。名前も記してあるので、あなた以外には効かないはずです」
特注品の聖女のレースを、キャルメリアはこわごわ受け取った。
新しいレースのリボンを身につけるようになってから、かれこれ二週間。朝はとても平和だ。聖獣の来訪はぴったり止んだ。いまだ町の人から騒がれるのは難点だが。必要以上に外出しないことでやり過ごしている。
スティーフに書き方を相談しつつ聖女に手紙で経過を報告し、お礼を伝えた。
『迷惑をかけてごめんなさい、現象がなくなってよかった、そしてまた何かあったら教えてください。』と締めくくられた返信の文字はお手本を真似た子どものようで、かわいいと感じてしまったのは不敬だろうか。
聖獣に悩まされることはなくなったが、そうなるとノウドとの接点もごっそりと減った。というか絶えた。もともとが接点が無いものだから、日常生活を普通に送っていれば会わない。距離を縮めるにはどうしたらいいのだろう、と別な悩みが生まれた。
ーーデート……とか?
「好きな人をご飯に誘う?」
「そう。美味しいレストラン知らない? できたら個室がある場所がいいんだけど」
同僚のフィリーナにはそう意見を求めた。お昼ご飯のお供におしゃべりはつきものだ。格好の話題となった。
衆目を集めたくはないから、行くとしたらせめてテーブルごとに仕切りがある店舗が望ましい。
「あたしこの前、“Nimbus Tevern” に彼氏と行ったけど、よかったよ」
「『雨宿り亭』、美味しいの?」
聞いたことがない。けれど、恋人が途切れたことのない、デートの経験豊富な彼女のことは信頼できた。
「うん。『雨上がりを待つようにのんびりできる店』ってことらしいよ。食事のあともゆっくりいちゃいちゃできるし」
「ご飯を食べた後も居座ってたら迷惑じゃない? レストランでしょ?」
「行ってみればわかるって、あれは好きな人と進展が欲しいなら行くべき」
ノウドと親しくなりたいのなら。
食事後に楽しめるボードゲームやカードゲームでも置いてあったりするのだろうか。それなら会話が弾んで仲を深めることもできるかもしれない。
ーー『聖獣に悩まされることもなくなりましたし、
お祝いに付き合ってくださったら嬉しいです。
“Nimbuse Tevern” というレストランに
食事に行きませんか? 友達がとても美味しいところ
だと言ってました。』
キャルメリアから届いた誘いの手紙を、ノウドは途中でとっさに閉じた。年頃の男なら雨宿り亭を聞いたことぐらいあるだろう。いわゆる連れ込み宿。
ところが「お祝い」と言うからには、純粋に飲み食いしたいだけなのかもしれない。
知っている? 知らない? 別の店を提案するか。
いや、勇気を出して誘ってくれた女性に恥をかかせるわけにはいかない。
もう一度読んで、熟考した上で、ノウドは店を予約することにした。
Conceal.
(封印。)