Things goes wrong.
聖獣が周囲からいなくなっても、人々はキャルメリアのことを覚えていた。指をさして、口元を隠すのに、目はじっとこちらを見据えて。いつも逃げるのはキャルメリアのほうだ。
ーー『ゆっくり、俺たちのペースでいきませんか』
そう面と向かって伝えてくれたノウドは誠実だと思う。
けれど模範的な男女交際の進め方を知らないキャルメリアは、次のデートにこちらから誘っていいのかもわからない。普通は交互に誘うのだろうか。男性側にリードしてもらうのを待つべきなのか。キャルメリア一人で盛り上がり、突っ走りすぎているのでは。ノウドは、誘いたいと思ってくれるのだろうか。
女性として好きでも、ないのに?
食事したときだって、キャルメリアはデートではなく「お祝いのため」と声をかけた。単純に友人とのお出かけとしか取られてなかったら? 店の選択は間違えたが、二人の間には何も起こらなかった。
最初から好きなのに、いまさら彼に友達として接することはできない。キャルメリアの友達、とは女友達しかいない。スティーフは男だが、従兄と同等に扱うのも変だ。
ノウドの先輩であるスティーフからの紹介だったから、彼は好きになれずともキャルメリアを持て余しているだけなのかもしれない。友達でいようと、遠回しに断られたのだとしたら。
「おじいさまのところへ戻りましょうか」
夕飯を終えて母が提案したのも、日に日に塞ぎゆくキャルメリアを心配してのこと。父も同意した。
「そうだな、魔獣の心配はないのだし。ずっと父さんとは手紙のやりとりだけだったから、大きくなった孫も見せてやらねばね」
祖父のいるスナイク・スコス連邦国へ。
ホルン兄弟がスカエ・クロア国へ難民として移住してきたのは、二十年以上も前のことだ。先代の聖女が儚くなり、魔が脅威をふるいはじめた初期の被害地が、ホルンと呼ばれる都市だった。
祖父は魔を食い止めるため長男だけを道連れに、下の息子と孫たちを教会総本山にほど近いスカエ・クロア王国へと送り出した。このときキャルメリアはまだ生まれてさえいない。
二十年かけて、魔はじわじわと侵攻を進め、家族は再会の目処を立てられずにいた。
新しい聖女の降臨により魔の脅威のなくなった現在、祖父はきっと帰国を歓迎するだろう。
孫娘が奇天烈な力に目覚めたなんてこと、気にも留めずに。その地では誰もキャルメリアを知る者はいない。
新しい生活を始めることができる。
「戻るって、ずっとあちらに住むってこと?」
「キャルメリアがここにいたくないのならそうしてもいい」
「お仕事は?」
父は会社の副社長だ。辞表ひとつ出せばよいという立場にはない。
「部下も育ってきたからなぁ。どうとでもなるよ。移住するなら支店を作るのでも、新しく興すのでもいいな。とにかくまだ行ってもいないのに、決めることないさ」
荷造りをしよう、と父は旅行鞄を取りに行った。
おぼつかない足取りで、キャルメリアはスティーフを訪ねた。実家にいてくれてよかった。騎士の寄宿舎までは入れないし、ノウドを見てしまいたくなかったから。
「スティーフ、私スナイク・スコス連邦国へ行くわ」
「おじいさまに会いに行くのか?」
それ以外に用事があるわけがない、というのと、スティーフもその件について父親から聞いていた。キャルメリアたちとは時期をずらして祖父に会いに行くことになりそうだ、と。
「そう。それで半年くらい、過ごすかも。永住するかどうかゆっくり決めればいいって、お父さんとお母さんが。永住はわからないけど、最低でも噂が消えるまではいるつもり」
王都にいると聖獣に関わったことで注目される。普通に生活していれば一生お目にかかることもない聖獣を派手にお披露目してしまったものだからキャルメリアはどこに行っても異様に見られる。
「叔父さん、会社はどうするって?」
スティーフの父と、キャルメリアの父が兄弟で団結して立ち上げた会社だ。
「どうとでもなるって言ってるわ。私をおじいさまのところに置いてこっちに戻ってきてもいいんだし、家族で移住するならするで大丈夫だって」
外国でもゼロからやってこれた叔父なら、そうだろう。
「……ノウドとは?」
キャルメリアの表情がこわばる。
「スシュッテルトさまは、友人くらいには思ってくれているのかな。スティーフから『しばらくさよならします』って伝えてくれる?」
別れるために会うのは辛い、と付け足して。
名字で呼んだことにしかめっ面をした。時間をかけてもそこまでの仲にしか進展できなかったのか。
出だしは順調だと思っていたというのにこれだ。
「伝えておく。道中気をつけろよ。自然の多いところには魔が出ないとも限らないんだから」
「うん、ありがとう」
半年で、キャルメリアの心はどう様変わりするのだろう。ノウドは過ぎ去る恋のひとつになるのか。それとも。
****
騎士団本部に戻ってーー好きだという告白も付き合うことへの拒否もできないノウドに向かってスティーフの怒りが爆発した。
「腰抜けが」
唐突な罵倒に、ノウドの眉間にしわが寄る。
「……いきなり、なんですか」
「振るなら早くしろと助言しただろう。気を持たせるようなことをするな。俺は、お前ならと買ってたんだぞ」
半ば脅しに近い助言を受けたのはキャルメリアと出会った日、団員たちと酒場で飲んでいたときだ。
気を持たせるようなこと、とは。キャルメリアと二人で食事に行ったこと、ましてや行った場所などスティーフは把握していないはずなのに。ギクリと挙動不審になる。
「キャルメリア殿がなにか?」
「もうお前には関係ない」
「なぜそんなことを言うんです。紹介してきたのはスティーフなのに」
「『さよなら』だとさ。別れを直接告げられないほど、キャルメリアの信頼を得られなかったのはお前の落ち度だからな」
正確には「しばらくさよなら」だが、同じことだ。
キャルメリアはスナイク・スコス連邦国に半年滞在すると言っていたが、場合によっては帰ってこない。いざとなれば祖父が後見人となって市民権をとることだって簡単だ。
理不尽な平手打ちを食らったように、ノウドが怪訝な表情を作る。
「別れ? どうして……彼女はいまどこに?」
「知ってどうする。俺の従妹をこれ以上傷つけるな」
「俺は釈明すら許されないんですか!」
「苦しめるだけだ、やめてくれ。
キャルメリアについては忘れろ、俺も明日からは忘れる」
これ以降スティーフは取り合ってくれなくなった。業務中も以前と変わらないように接してくるが、キャルメリアのことを話題にしようとすると途端に背を向ける。
これほどの拒絶を向けるスティーフは初めてだった。
スティーフにとっても、キャルメリアは大事だろう。おしめをしているころから見守ってきた従妹が、かわいくないはずがない。それを、ノウドは故意でなくとも傷つけた。
これからだ、と思っていた。
キャルメリアは恋愛経験がないし、ノウド自身の気持ちも確認しつつゆっくり近づいていければと。
それがどうしてこんなことに。
Things goes wrong.
(しくじった。)