第1話 オーバードースで死んだ。池田祐介、享年29才。やられたぜ。LSD6枚、さすがとしか言いようが無い。
お疲れの18連勤を終えた自分にご褒美が必要だ。前菜はマリファナだ。金庫からブツの入ったパケとフィルター、クラッシャーを取り出す。
クラッシャーにネタを多めに入れてグリグリと数度回し、クラッシャーの蓋を取って中を確認すると青臭さと同時に異様な程甘い香りが鼻孔をくすぐる。
砕かれたネタとフィルターをペーパーの上に乗せて巻き、ペーパーの端の糊が付いた箇所を舐めて貼り付ける。唾液を乾燥させる為に糊付けした箇所を数度ライターで炙り、フィルターの底を何度かトントンと机の上に落とし、ネタが詰まったことを確認してペーパーの先端をひねる。ジョイントの出来上がりだ。
パイプで吸うのも悪くないが、自分をいたわりたい時にはジョイントに限る。ネタの消費が激しいので毎日ジョイントを巻くわけには行かないが、疲れた自分を癒す場合はジョイントが一番だ。
美しく巻き上がったジョイントをぐるりと回して眺めたあと、それに火を付ける。先端部のひねられたペーパーがまるでロウソクの様に燃える。
何度か深く吸い込むと、濃ゆい煙が喉を直撃し、タバコのそれとは大きく異る煙が肺の中を意地悪くくすぐってむせた。
気を取り直して深く吸い込む。吸い込んだまま息を止めて数秒間煙を肺にとどめた後、ゆっくりと鼻から煙を吐き出した。
何度かそれを繰り返すとどんどんと時間がゆっくりと進み、五感はいつも以上に鋭くなる。
毎度のことだがマリファナを吸うと喉が渇く。
鋭くなった感覚が体の疲れをひっきりなしに伝えて来るので、喉を潤すことも億劫になる。
気を取り直して冷蔵庫の中のビールを取り出し、タブを引いて一気に半分ほど飲み干す。
マリファナのそれとは異なるアルコール特有の多幸感が肉体を刺激する。
喉が潤ったので、灰皿に置いてあるジョイントを取り上げて再び深く吸い込む。アルコールとマリファナの効果が体内でじわりと混ざり合う。
ダラダラとジョイントを吸い続けると、やがってそれはフィルターを残すのみとなる。
再びビールをぐいっと飲み込んで、タバコに火を付ける。タバコ特有の、脳内でドーパミンが弾ける様に放出される様がいつもよりもハッキリと分かる。
もう充分にキマっているが今日はパーティーだ。過酷な連勤で稼いだ金で買いこんだドラッグを、今日という日の為に取っておいたのだ。しかしお楽しみはまだまだこれからだ。
クラッシャーの中のマリファナをパイプに詰め込んで火を付ける。再びむせこんだ。
パソコンを立ち上げてお気に入りの音楽を再生する。
シラフよりも立体的に音楽を感じる。
ベッドに体を投げ出して音楽に浸る。まるで演奏するバンドのど真ん中で寝転がっている様な錯覚を感じる。
数曲が過ぎたあたりで物足りなさを感じ、引き出しから白い粉の入ったパケと、何年も訪れていないレンタルビデオショップの会員証と短く切ったストローを取り出す。
適当に机に白い粉をばらまいて、ビデオショップの会員証でそれを細かく砕きながら一本のラインを仕上げる。
鼻孔にストローを当てて、勢いよくそれらを鼻から吸い込む。
まるで脳内で花火でもしているかのように、快感がバチバチと弾けた。
今日のための取ってきおきのコケインは上物の様だ。
イマイチなネタはスッキリとキマらないし、最悪なやつだと妙な匂いがしたり混ぜものが入っているが、今日のこのネタは非常に上質だ。
冷蔵庫から二本目のビールを取り出し、タブを引いてそれをぐいっと飲み込む。
コケインのアッパーな快楽と、ビールの炭酸はよく合う。鋭敏な感覚で、喉を液体がするりと流れ込むのを楽しんだあと、再びもう一本のラインを作って吸い込んだ。
控えめに言って最高だ。
選曲を少しアッパーなものに変えて、ビールをどんどんと流し込む。買い置きのビールが切れたので、冷蔵庫を覗き込むと数ヶ月前から放り込まれているシャンパンを見つけた。
注ぎ口のアルミ箔を雑に剥ぎ取り、栓を抜く。ポンッ、と激しい音の後、炭酸が注ぎ口から溢れてしまった。指を舐めるとぶどうの酸味が直接脳を刺激する。
面倒なので瓶に直接口をつけて、シャンパンをぐいっと飲み込む。酸味とほどよい甘みが口腔内に広がり、喉を通ったそれが胃の中でじんわりと吸収されるのを感じる。美味い。
シャンパンを飲みながら何度かコケインのラインを吸い込む。もうすっかりマリファナの効き目が影を潜め、コケインの爽快な飛びと万能感が全身を包む。
疲れていたことなどもうすっかりどうでも良くなってしまった。
コケインによる万能感によって、今日はちょっとした遊びを試したくなった。LSDの自己記録更新に挑戦する、という企画だ。
過去、最大でLSDを5枚まで摂取した事があった。
その時はまるで自分が生まれてきた理由や世界の成り立ち、そういったすべてを理解出来たかのような強烈な体験だった。LSDは効果が長い為、平日向きじゃない。でも明日は久々の休日だ。
明日一日、ぶっ飛びまくっていても俺を咎めるものはないのだ。
やるなら今日しかない。決まりだ。
コケインで疲れを吹き飛ばし積極的になった体で、部屋の片付けを行う。
いくらでも片付けができる状態では有るが、目的はそこじゃない。
LSDの摂取に関してはセッティングが重要だ。
部屋が汚くてネガティブな感情が沸き起こってしまったりすると悲劇だ。
いわゆるバッドを体験することになる。
今まで数回バッドを体験してきたが、決まって悩みが多かったり、部屋が汚くて落ち着かないなど、状態が良くなかった。
床に落ちたゴミを広い、ゴミ箱に詰め、掃除機をかける。窓を開けて空気を入れ替え、照明を好みの状態にセッティングし、お香を炊く。完璧だ。
ストレスの少ない穏やかな音楽を再生して、引き出しから取り出した自転車に乗る男のイラストが描かれた5mm四方程度の小さな紙片を6枚歯茎に貼り付ける。
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あれからどれくらい時間が経ったのだろう。たかが数十分の様な気もするがたった数分の様な気もするし、数時間経ったようにも感じる。そもそもそんなことを考えるのも無意味だ。
目を閉じて音楽を聞いていたが、まぶたの裏側には不思議な模様がぐるぐると目まぐるしく回り続けている。
マリファナとはまた異なった音楽の聞こえ方。マリファナは音楽を立体的にするが、LSDに関しては音楽により深い意味を与える。音楽の意味や実体感を強烈に感じるのだ。
音楽の響きが体に染み込んでは、体に電流が走る様な感触を感じる。その電流はどんどんと強くなり、その違和感を強く感じるのに不安を感じて瞳を開いた。
柔らかな照明に照らされた白い天井に一時安心感を覚えるが、やがて壁紙の模様が浮き上がって震え始める。こういう時に強い抵抗感を感じる事がバッドの入り口だ。
なのでこういうときはエゴを捨てて完全に精神と肉体を委ねてしまうに限る。
模様の震えと一緒に自分の肉体・精神がすべて振動を始め、考えることなどもすべて手放して、ただされるがままになる。
すると、自分の肉体が素粒子レベルまで分解されたような感覚になり、世界中のありとあらゆるすべてと自分自身が完全に溶け込んだような不思議な一体感を感じる。
あらゆるすべてが振動しており、自分もそれに包まれて振動している。
これはきっと世界の真理の一つなのだろう。
物理学者が数式で明かそうとするハイレベルな真理を、俺はいま肉体と精神で理解している。
世界に溶け込んだ自分をより強く感じたいので再び目を閉じる。音楽の響きを感じながら、説明不能なほどの膨大な情報を一身で感じる。
まぶたの裏側に映る見たことも無い映像をぼんやりとした意識で眺める。
あれからどれくらい時間が経ったのだろう。たかが数十分の様な気もするがたった数分の様な気もするし、数時間経ったようにも感じる。
そんなことを考えていると音楽が止まった。
再び音楽を再生する為に重たい体を無理やりお越すと、眼前に美しい金髪の乙女が座ってこちらを見ている。
ヤバい、流石に飛びすぎた。
今までもLSDをキメた時に小人を見る程度のことは有ったし、幽霊みたいなのが見えたような気がしたことも有ったが、流石にここまでハッキリとリアリティたっぷりの幻覚が見えたのは始めてだ。
LSD6枚、さすがとしか言いようが無い。
再びその金髪の乙女に目をやる。いかにも滑らかそうな肌を、触れるまでも無く柔らかく上質であろう白い透明感のあるドレスが包み込んでいる。
きっとその肌に触れたら最高の気分だろう。どうせ幻覚なのだからと乙女の肩に触れる。予想通り素晴らしい滑らかな肌だ。
しかし最高に脱がせやすいドレスを着ている。ドレスを脱がそうと肩紐に手をかけると頬に強い衝撃が走った。
「あんた、何するつもりよ」
金髪乙女は驚くほどハッキリとした日本語を話したので、そのルックスとのギャップについ笑ってしまった。
「笑いごとじゃないわよ。私もこの仕事長いけど、来てすぐに私を脱がそうとした無礼なアホはあんたがはじめてよ池田祐介」
金髪乙女はなかなか真剣にお怒りの様だ。LSD6枚、さすがとしか言いようが無い。
「はは、ごめんごめん。でも凄いね。凄い幻覚だ。LSDやっててこんなにハッキリとした幻覚みたのは始めてだよ」
どうせ幻覚なのだ。せっかくなら快楽の果ての果てまで行ってみたい。
再び金髪乙女に覆いかぶさって、少々強引に衣服を剥ぎ取ろうとすると、強い衝撃が走った。
「ちょっと、ほんとなにするのよ。あんたそんなアホだから死んだのよ」
どうやらグーで殴られた様だ。しかし、この様にハッキリと殴られた痛みや感触を感じるとは、LSD6枚、さすがとしか言いようが無い。
殴られた頬をなでていると金髪乙女が咳払いをした後言った。
「池田祐介、あんたアホだからしっかりと教えてあげるけど、あんたさっきオーバードーズで死んだのよ。早く目を覚ましなさい。私は女神アウロラ。ここはあの世の入り口よ」
ヤバい。キマリすぎた。とうとう神に出会ってしまった。
かつて60年代のヒッピームーブメントのおり、多くの人々がLSDを投与して精神的な実験を行った中で、世界の真理を知った、神と遭遇した、などのスピリチュアルな体験が多く報告されたらしいが、とうとう俺もここまでたどり着くことが出来たようだ。
LSD6枚、さすがとしか言いようが無い。
「もう一回言うわね。あんたはもうシラフよ。死んだのよ」
この女神、さっきから死んだ死んだ何を言っているのだろうか?
確かにこの強烈な体験を思えば生も死も似た様なものなのでは無いだろうか。
すなわち俺は今まで生きながらに死んでいたし、死にながら生きていたとも言える。
そもそも全宇宙の膨大なエネルギーの中では俺の生も死もちっぽけだ。
しかし全宇宙はそんなものを雄大にすべて包み込んでいるわけだ。
そんな中で俺が生きているとか死んでいるとか、なんの意味があるのだろうか。
死体も俺も同等であり、アリンコ一匹、大根の菜っ葉一枚、全てに同じくらいの意味と価値があり、等価なのだ。
「あのね、もうそのふざけた哲学ごっこをやめて頂戴」
そう言うとアウロラは先程とは比にならないくらいの力で俺の頬を引っ叩いた。そのあと乱暴に俺の髪を掴みぐいっと顔を寄せて、指先で俺の額をゴンゴンと突きながら言った。
「何度でも言うわよ、クソ野郎。あんたは死んだの」
「はは、また冗談を」
「ほんとよ。証拠見せてあげるわ。ちょっとショッキングだけどアンタみたいなアホはこれくらい見せないと駄目よね」
アウロラはそう言うとまるでスマートフォンを操作するような手付きで空間を指でなぞると中空から半透明のモニターのような画面が浮かび上がる。LSD6枚、さすがとしか言いようが無い。
「いい、LSD6枚、さすが、とかそういう問題じゃないのよ。いや、たしかにそう言えばそうなんだけど、ほら見てよ。あんた死んでるでしょ」
画面を見ると、ベッドの上に俺が横たわっている。アウロラが画面を拡大すると俺の顔が拡大された。白目をむいて、口からは嘔吐物が流れ出している。
「ね、あんた、オーバードーズで死んだのよ。良かったわね、ジミヘンとおんなじ死に方よ」
俺、池田祐介、享年29才。やられたぜ。LSD6枚、さすがとしか言いようが無い。
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□カクヨム
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