12 引きこもりには策がある
金曜日の昼休み。
「園森いるか?」
スピーカーから、男子の太い声が聞こえた。
カメラを回転させて、教室の入り口の辺りを見ると、金髪でツンツンに尖った髪型の男子がいた。
先週、私に告白してきた皮土陣具だ。
そういえば美術の授業のとき、皮土は私を逆恨みしてるから近い内にまた絡んでくるって、鳥窓さんから忠告されたっけ。その通りになったね。
「とっとと答えろ。園森はいるのか?」
「園森さんは今日は登校してるけど、やめといた方が……」
「俺に指図すんな! 俺はあいつにブチ切れてんだよっ! もう誰も俺を止められねえ!」
皮土が威嚇すると、止めようとした小柄な男子は後ずさった。その隙に、皮土は私の方に向かってくる。
一体何をするつもりだろう。
いくら私に怒ったところで、私がPCの音をミュートにして無視すれば、私に害はないよね。仮に皮土が手を出しても、教室のPCが壊れて、皮土が先生に怒られるだけじゃない?
「おい、園森っ! てめえに話がある!」
「待てよ」
佐々木が皮土の前に立ちふさがった。
「お前は確か、佐々木沙介の姉貴か。何の用だ」
佐々木の弟を知ってる?
そういえば、佐々木の弟は中学の頃、暴れて停学になった問題児だっけ。不良の皮土にとっては弟の方が有名人なのかも。
「あたしは園森のダチだよ。あんたこそ、園森に何の用だ?」
「俺を侮辱した落とし前をつけさせる。アイツの家は検討がついてるからな。逃げることも許さねぇ。俺に逆らったらどうなるか教えてやるんだよ」
ハッタリの可能性が高いね。私は小学三年生から不登校、五年生から引きこもり、私の家を知ってる子はほとんどいない。可能性がゼロとは言えないけど。
「皮土、そんなことしたらあたしが許さねーよ。園森に手を出すな」
「女に何ができるんだ? あんま調子に乗ってんじゃねーぞ」
皮土は佐々木を無視して私の席に来ることもできるのに、佐々木とずっと言い合ってる。たぶん、皮土は何か言われたら、言い返さないと気が済まないんだ。
鳥窓さんの分析通り、プライドが高い。
「皮土、あんたはフラれたんだから、もう園森に構うなよ。自分のクラスに帰れ」
「このクソアマッ……!」
ガンッ!
皮土が近くの椅子を蹴飛ばした。椅子は倒れたけど、クラスメイトたちは教室の隅に逃げていたので、誰にも当たらなかった。
皮土は『フラれた』という言葉に敏感に反応したように見えた。自分のプライドを傷つける言葉が許せないんだ。
ふと、五日前の美術の授業の、鳥窓さんの言葉を思い出した。
――彼はプライドが高いからね。園森さんにフラれたことより、教室で恥をかかされたことについて怒ってるよ。
――で、そんなプライドの高い男子と一番相性が悪い、うちのクラスの女子は誰だと思う?
やばい……。
皮土と一番相性が悪い女子は、口下手で皮土を怒らせてしまった私だと思ってた。
でもたぶん違う。
一番相性が悪いのは、男子と対等に口喧嘩できる佐々木だ。
佐々木は皮土の威嚇に怯まない。佐々木の態度は、皮土にとって『あんたは怖がるほどの存在じゃない』と言われているようなものだ。
それに、口喧嘩は正論を言ってる佐々木の方が優勢。プライドの高い皮土にとっては、口喧嘩で女子に言い負かされるのは耐えがたい屈辱のはず……。
この喧嘩は、放っておいても収束しない。
皮土が怒りを爆発させる前に、なんとかしないと、佐々木が危ないかも。
「どうしよう……!」
私は頭を抱えた。
止めたいけど、私は二人に声をかけることができない。私にできることは、チャットにメッセージを打って、近くにいる誰かが気づいてくれるのを待つことだけ。
今、声を掛けられそうな子は……。
カメラを周囲に動かすと、隣の席の細貝が、近くの席の男子と机をつけてご飯を食べていた。
箸を持つ手は止まってる。今チャットにメッセージを打てば、気づいてくれるかも。
ふと、鳥窓さんから貰ったアドバイスを思い出した。
――男子を頼るといいよ。細貝君とか適任だと思う。
観察眼の鋭い鳥窓さんは、この状況まで見越していたのかもしれない。
だとすると、頼りなく見える細貝だけど、きっとなんらかの方法でこの場を収めてくれるはず……。
他の手を考えてる暇はない。
『細貝! お願い! 皮土を止めて!』
チャットを打つと、細貝はすぐに見てくれた。
「えっ、僕……?」
『お願い、助けて! 皮土を止められるのは君しかいないの!』
「……いやいやいや、僕は喧嘩弱いよ? どう見ても強そうじゃないでしょ? なんで僕が止められると思ってるの?」
『きっと止められるから、私を信じて!』
「築いた覚えのない信頼だよ! 無理だって! 佐々木さん一人でも止められないのに、佐々木さんと皮土、二人なんて絶対無理だよ!」
『皮土を止めるだけだよ。佐々木の味方についてあげて』
「佐々木さんの味方……」
気弱な細貝はきっと皮土の神経を逆なですることはない。でも、一人だと舐められて、皮土が話を聞いてくれないと思う。
佐々木が皮土と互角に争っている今だからこそ、細貝が冷静に皮土を説得できるかもしれない。
細貝に私の考えが伝わったかどうかはわからないけど。
「わかったよ、やってみる」
『本当!? ありがとう!』
細貝が承諾してくれた。私のことを美少女だと言いふらした負い目もあるかもしれないけど。とにかく、鳥窓さんの読みが正しければ、これで解決するはず……。
細貝が二人に近づいていくと、クラスメイトたちが『なんでアイツが!?』みたいな表情になる。
フラフラした歩き方、細い体、喧嘩になったら勝てそうにないけど。
「あの、ちょっといいかな。二人とも落ち着いて」
「あ? 誰だてめぇ」
五組の皮土に存在すら認識されてないのね。
「細貝和彦」
「知らねーよ。部外者はすっこんでろ。ぶっ飛ばされる前にな」
「部外者じゃないよ。園森さんが美人だって、最初に言ったのは僕なんだ」
「あ?」
何言ってんの!? そんなこと言ったら、皮土の怒りの矛先が向かうでしょ……!
まさか、それを覚悟して言ってるの? 罪滅ぼしのつもり?
「つまり、てめぇは園森と関係があるんだな?」
「関係があるというほどではないけど、隣の席で話したことがあるくらいの仲だよ。何か園森さんに話があるなら、僕が聞くからさ。園森さんに直接話すのは控えてくれないかな」
ガバッ……!
皮土は細貝の胸元を掴んだ。
細貝は「ぐっ」と苦しそうな声を漏らす。
「あー、言いてーことはわかった。てめえが全部責任取るんだな? だったら明日の八時、蔵木公園に一人で来い。そこで話がある」
細貝は怯えた表情で、うんうんと頷いた。
「放してやれよ」
佐々木が口を挟むと、皮土は細貝を投げ捨てた。細貝は軽くコケて、床に倒れる。
「細貝和彦、名前は覚えたぜ? 逃げんじゃねーぞ。てめえが逃げたら、てめえも園森もどーなるかわかってんだろーな?」
皮土は倒れた細貝を見下すと、満足げに笑みを浮かべた。
「……逃げないよ」
「フンッ。上等じゃねーか。じゃーなークソども!」
皮土は教室から出ていった。佐々木が手を貸して、細貝を起こす。
え……なんで。細貝が皮土に呼び出された……?
ドラマとかなら、明日、皮土が細貝をボコボコにする展開だよね。皮土は不良の仲間を引き連れてくるかもしれない。どう考えたって、丸く収まったとは思えない。
まさか、失敗した……?
混乱した頭で考えていると、一番話したかった相手が私の席へ来てくれた。
高身長だけど童顔。大人っぽさと子供っぽさを併せ持ってる、鳥窓さん。
「わたしの言った通りになったわ」
『どこが?』
「皮土君はまだ園森さんを恨んでて、しつこく絡んできたでしょ?」
『でも、解決しなかったよ。鳥窓さんのアドバイス通り、細貝に頼ってみたけど、細貝が呼び出されちゃった』
「解決してるわ。わたし言ったでしょ? 皮土君は園森さんにフラれたことじゃなくて、プライドを傷つけられたことを怒ってるの。だからね、プライドが満たされれば満足するの」
『さっきのやり取りで、プライドは満たされたってこと?』
明日の放課後に細貝を呼び出したのは、プライドを満たすためのハッタリってこと?
「ううん、そんなわけないよ。プライドの高い皮土君は、やられたことの何倍もやり返さないと気が済まないもの。きっと細貝君を殴ったり蹴ったりすると思うわ」
『解決してないじゃん!』
「いいのよ、それで。皮土君はああ見えて小心者だから、細貝君を大けがさせるようなことはしないわ。ただ一方的に殴ったり蹴ったりして、プライドが満たされれば満足する。そういう点ではね、反撃しない細貝君は適任なの」
やられた……。このサイコパス……! 最初から細貝を犠牲にするつもりだったのね!
やっぱり、この子を信じるんじゃなかった!
『細貝がかわいそうじゃん』
「あのね、細貝君は男子なんだから、多少殴られたところで、ダメージは大きくないわ。むしろこの経験を乗り越えて、気弱な性格が少し直ると思うの。体を張って女の子を守ったという経験は、男子にとって勲章みたいなものだから」
鳥窓さんの言う通り、丸く収まる可能性もゼロじゃないよ。でも、私のせいで細貝が大けがする可能性もある。それは見過ごせないでしょ。
「元々、園森さんが皮土君に告白されたのだって、細貝君が原因なんでしょう。だったら、責任を取らせてあげたら? それで園森さんの身は安全になるわ」
『そんな言葉で私が納得すると思ってるなら、鳥窓さんの観察眼もまだまだだね……!』
私は頭が熱くなるのを感じながら、感情に任せて、キーボードを打った。
鳥窓さんは私の挑発のメッセージを見ると、口元に笑みを浮かべる。
「園森さんに何ができるの? 家から一歩も出られないんでしょう?」
『学校には行ってないけど、外に出たことはあるよ』
「それで、何度か外に出たことがあるか弱い園森さんに、男子のリンチを止められるの?」
『うん、止める。私には考えがあるよ。それに、私には頼れる友達がいるからね、一人じゃない』
鳥窓さんは目を見開いて、ふふっと笑った。
「園森さんて、本当に面白い人だね」




