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9 引きこもりのカフェ初体験


 佐々木と麗子と一緒にカフェに着いた。


「はぁ……はぁ……疲れた…………もう無理」


「園森さん、大丈夫ですか?」


「園森の家からここまで、五百メートルくらいしか歩いてないぞ」


 五年間引きこもってた私にとっては、家からカフェまで歩くのはハードな運動だったよ。たぶん運動得意な人のマラソン後と同じくらいの疲労度だと思う。靴すら重いもん。


「もう着きましたから、席についてゆっくり休みましょう」


「はぁ……はぁ……ん」


 酸欠でフラフラしながら店の入り口に向かっていく。

 こげ茶色の木でできたレトロな店。入口に続く道は濃淡のついた赤茶色のレンガ。窓ガラス越しに中を見ると、店の中のテーブルもイスも全部店と同じ色で統一されていて、席が少なくて高級感がある。


「ねぇ、麗子……私一万円しか持ってきてないんだけど」


「そこまで高くありませんよ。安心してください」


 庶民でも大丈夫な店みたい。

 ガチャッ。

 麗子が躊躇なく扉を開いて、中に入っていく。佐々木と私も後に続く。


「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」


「三名でお願いします」


「では、こちらへどうぞ」


 黒スカートに白シャツの女性店員が、私たちを奥の席に案内した。

 店内は控えめな音量で、アコースティック系の音楽が流れてる。こんな落ち着いた空間があるなんて。まるで別世界に来たみたいだね。


「園森さん、メニューをどうぞ」


「ありがと」


 麗子からメニューを受け取る。

 写真が無くて、文字だけ書いてある。ガトーショコラ、ミルフィーユ、シフォンケーキ、パウンドケーキ、この辺りは見た目も味もわからない。せっかくだからオシャレな名前のケーキにしようかな。


「あたしガトーショコラとアイスコーヒー」


「わたしはシフォンケーキとカフェモカにします。園森さんは決まりましたか?」


「これにする」


 私はグアテマラアンティグアと書いてあるのを指さした。名前が長くて、カフェ上級者っぽいでしょ。


「コーヒーですね。ケーキはどうしますか?」


「え、これコーヒーなの?」


「はい、こちらはコーヒー豆の種類ですよ」


 珍しいケーキだと思ったら、コーヒーなのね。

 危うくグアテマラアンティグアとアイスコーヒー頼むところだったよ。


「じゃあこれ」


 無難にショートケーキにした。冷静に考えたら、知らない名前のケーキ頼んで、変なのが出てきたら嫌だからね。食べたことあるやつにしよう。


「ショートケーキですね。では園森さん、そこの呼び鈴を押していただけますか?」


 金色のおっぱいみたいなやつ、テレビで見たことある。押すと音が鳴って、店員が来るんだよね。


「ちょっと待って」


 緊張してきた。これ押したら、見ず知らずの店員に注文しなきゃいけないんだよね。

 私の経験上、知らない人と会話するとロクなことにならないんだよね……。


「佐々木、お願い。店員が来たら私の分も注文して」


「え、コーヒーとケーキ言うだけだろ? そのくらいビビらなくても大丈夫だって」


「一生のお願いだから……!」


「もっと大切に使ってくれよ、あたしへの一生のお願い」


「大切に使ってるよ。今しかない」


「ウソだ。こんなところで使うのは勿体ないぞ。園森が本当にピンチのときなら、あたしはその千倍のことだってやってあげるからな」


 まじで? めっちゃ優しいじゃん。


「じゃあ千回注文して。今回はそのうちの一回ってことで」


「注文以外に無いのかよ!」


 うーん、私にとって知らない店員と話すのは十分ピンチなんだけどなぁ……。

 店員は年上だし、敬語だし、緊張するんだよね。


「大丈夫ですよ、園森さん。店員さんは優しい人ですから。それに、メニューを伝えるだけですから、指を指すだけでもいいんですよ」


 そっか、声を出さなくてもいいんだ。

 メニューを指差すだけなら、失敗しないと思う。

 それなら私にもできそう。


「わかった」


 覚悟を決めて、呼び鈴を押した。

 しばらくすると店員が来て、私たちの前でお辞儀する。


「お待たせ致しました。ご注文をどうぞ」


「あたし、ガトーショコラとアイスコーヒーで」


「シフォンケーキとカフェモカをお願いします。それと……」


 佐々木と麗子が慣れた感じで注文して、麗子が私に目配せしてきた。


「コレとコレ」


 私はメニューを指差す。


「グアテマラアンティグアとショートケーキですね。グアテマラアンティグアはホットとアイスどちらにしますか?」


 ……ん?

 店員が私のこと見てる。

 ひょっとして、私に質問してる?


 どうしよう……聞いてなかった。

 注文できたと思って油断してたよ。


「まあなんかそんな感じで……」


「?」


「普通のやつっていうか……」


「???」


「お任せみたいな……」


「???????????」


 あっ! これ失敗した!

 店員が首傾げてる。


「園森さん、温かいコーヒーか冷たいコーヒーですよ」


 麗子が小声で教えてくれた。


「温かい方で」

「かしこまりました」


 店員は何事もなかったかのように、平然とした表情で一礼して、店の奥へ下がっていった。

 焦った……注文にあんな罠があるなんて。やっぱり初めてのことは上手くいかないね。

 でも、麗子のおかげで助かったよ。私一人だったら答えられなかった。

 あと、ひとつ発見があった。


「店員、良い人だったね」


「ん、どして?」


「私、さっき店員の質問聞いてなかったけど、あの店員の人は『ちゃんと聞いとけよ!』って怒ったりしなかった」


「どんなカフェだよ。そんな台詞、ラーメン屋のガンコ親父でもなかなか言わないぞ」


 * * * * *


 しばらくしてコーヒーとケーキが来た。

 私は苺のショートケーキ。クリームの模様が美味しそう。あとよくわからん名前のコーヒー。

 佐々木は真っ黒なガトーショコラ。大人っぽくてカッコいいな。アレにすればよかった。

 麗子のパウンドケーキはスポンジ生地がむき出しで、生クリームがちょびっと添えてある。


「パン?」


「ケーキですよ。園森さんはパウンドケーキは初めてなんですね。一口食べてみますか?」


「うん」


 麗子が切り分けて一口くれた。

 どう見てもパサパサした見た目だけど、本当にケーキの味するのかな……。

 もぐっ。


「いかがですか?」


「ケーキから美味しさを取り除いた感じ……」


「えっ! お口に合いませんか?」


「草の味がする」


「それは紅茶の味ですよ」


 えー……。

 パサパサしてて、草の香りがして、なんだかケーキの原材料が無い国で頑張って作ったケーキみたいな感じ。

 こんなのが美味しいなんて、麗子の趣味は変わってるなぁ。


「園森、あたしのも食べるー? 交換しよー」


「うん」


 佐々木とお互いにフォークで取って、一口目を交換した。


「えっ……………………うま」


 一口とは思えないくらい口いっぱいにチョコが広がる。

 え、何これ……? 店のチョコレートケーキってこんな美味しいの?


「チョコの大トロみたい」


「わかるー。チョコの美味しい部位だけ使ってるよねー」


「チョコの美味しい部分ですか……? 原材料のカカオ豆の一部ということでしょうか」


「そーそー。そんな感じ」


 チョコの美味しい部位について詳しく聞く麗子と、適当に返す佐々木。

 二人の会話を聞きながら、私は自分のショートケーキを食べる。


「うまぁ」


 生クリームがふわっとしてて美味しい。テレビでよく聞く『ほどよい甘さ』の意味がわかった。ちょうどいい甘さのケーキって、こんな高級感のある味なんだね。


「……では、カカオ豆は部位ごとに名称があって、油の乗った希少部位があるのですね?」


「そーそー。で、油の乗ったところだけ集めるみたいな」


「希少部位を切り取るのですか? カカオ豆一粒一粒をどうやって……」


「機械とか使うんじゃない? それかマグロ用のでっかい包丁」


「なぜ小さい物を加工するのに、大きな包丁を使うのですか?」


「手先が器用なんだよ」


 麗子のケーキを切る手がピタッと止まった。


「…………佐々木さん、さきほどから適当なことを言って、わたしをからかっていませんか?」


 麗子がやっと佐々木の嘘に気付いた。


「うん、さっきまでの全部ウソ!」


「もうっ、おかしいと思ったんです! カカオ豆なんて小さなものを部位で分けるだなんて!」


「途中まで本気で信じてたくせに~」


 麗子は顔を赤らめて、誤魔化すようにカップに口づけた。

 あんな嘘にひっかかるなんて、将来変なセールスに引っかからないか心配だよ。


「そういえば園森、変わった名前のコーヒー頼んでたよね。それおいしーの?」


「わかんない」


「コーヒーは普段飲む?」


「初めてかも」


 子供の頃に飲んだことあるかもしれないけど、覚えてない。でも、映画でよく出てくるから、前から興味はあったんだよね。

 映画のワンシーンを思い出しながら、湯気の香りを嗅いで、薄く口づけたカップを傾ける。


「うぇっ……まっず!」


 うぇっ……まっず!!!!!

 台詞と心の声がシンクロした。

 まっず! 何これ!

 泥水みたいな苦みと、わずかな酸味。それに得体の知れない果物みたいな味が混ざってて、複数の不味さが襲ってくる。


「水たまりじゃないよね……?」


「コーヒーですよ……。園森さんがご自分で頼んだのですよ……」


「あはははは! 水たまりって!」


 麗子はあきれ顔。佐々木はお腹を抱えて笑ってる。

 うーん、失敗した……。映画でみんな美味しそうに飲んでるコーヒーが、こんなに不味い飲み物だったなんて……。


 みんな我慢して飲んでるのかな……? それとも、美味しいと思ってるのかな……?

 理想と現実のギャップにちょっとショック。口直しにケーキを食べよう……。

 フォークで一口掬って、口に入れた瞬間。

 口の中の苦いコーヒー味が、生クリームの甘さで包まれた。


「うま!」


 あれ? さっきより美味しい! ひょっとして、コーヒーを飲んだ後だから?


「園森さん、コーヒーが苦いようでしたら、ミルクと砂糖を入れるといいですよ」


 麗子にミルクの容器と砂糖の紙の筒を渡されたけど。


「大丈夫、このままでいい」


「え、無理しなくても……。さっき美味しくないとおっしゃっていたではありませんか」


「麗子、私わかった。コーヒーの存在意義」


「存在意義ですか……?」


 カフェでケーキとコーヒーをセットにしてる理由はこれだね。


「コーヒーを飲むと、反動でケーキが二倍美味しくなる」


「コーヒーにとっては不本意な褒められ方でしょうね……」


「これが大人の楽しみ方」


「違います……」


 カフェ初体験でコーヒーという強敵を味方につけて、私は一歩成長した気がした。





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