カフェラテ――怖くて悲しいお話たちより
ほんのちょっとしたことが心に残っていて逝くことができない霊もいます。実際は強い未練、たとえば恨みとか悲しみとかよりも、こういうことの方が多いのではないでしょうか。
カフェラテ
毎朝同じ時間に同じコンビニで、パンとコーヒー、それに健康のために野菜ジュースを買うことにしている。
この頃では、2つあるレジも、朝の通勤時だと言うのに1つしか開いていない。
それでもレジに人が並ぶことはない。この厄災で、朝の客足もまばらだ。
私はレジで支払いを済ませ、コップを受け取り、そしてレジ横のコーヒーマシーンにセットする。 甲高いミルの音が聞こえ、すぐに豆の良い香りが漂い出した。
毎朝同じ。一昨日も昨日も今日も、たぶん明日も、1分の狂いもなく同じ行動が繰り返される。
退屈な毎日。だがそこには安心がある。逆に変化は求めてはいない。今朝も良い朝に違いない。
と、その時だ。左横から男性の声が聞えた。
――カフェラテ1つ。あと35番。
たまには、少し甘いカフェラテもいいな、と私は何気なく思い、ふと左のレジを見る。
――誰もいない。
レジのお姉さんはこちらに背を向けてタバコの残数を確認している。
いや、確かに今、声が聞えた。気のせいか。まあいい……。
私は温かいコーヒーを手に店を後にした。
その翌日。同じコンビニ、同じ時間。
再びコーヒーのドリップを待っていると……。
――カフェラテ1つ。あと35番
昨日と同じ時刻だ。私は左を見る。やはり誰もいない。
レジにお姉さんは居るが、何か伝票の類に書き込みをしている。気付いてはいないようだ。
彼女は私の視線を感じたのか、おもむろに顔を上げる。目が合う……。
そしてにこりと愛想を浮かべた。まるで「何か御用ですか?」と問いかけるみたいに。
私の中で葛藤が湧き起こる。……さて。どうするか。
彼女は再び手元の伝票に視線を落としたその時、私は勇気を出して話し掛けた。
「あの、すみません」
「はい、何でしょう」
「今、声が聞えませんでした?」
「声?」
「ええ、男性の声です」
「いいえ?」
「カフェラテ1つ。あと35番、と」
「マジですか?」
「ええ」
彼女はさっと時計を見た。
「あ、7時50分や!」
彼女は頷き、実直な面持ちで何かを考えている。思い当たることがあるに違いない。私はじっと彼女の顔を見る。ふいに彼女が口を開いた。
「毎朝ね、7時50分に、新聞とタバコとカフェラテを買って行くおじいさんがいました」
「いましたと言うことは、今は」
「そうですね、何年も来てはりましたが、この3ヶ月ぐらい前からぱったり」
「なるほどね」
そして私は翌日、カフェラテを2つ買い、1つを自分用に、もう1つをレジの端っこにそっと置いた。
時間になった。
――ありがとう
私は手を合わせる。彼女も手を合わせる。
翌日から声は聞こえなくなった。
了