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9. 出立

 結局、ミヒャエルが中間目標であるハイハイを習得したのは秋になってからのことだった。

「まーるーにゃ、お!」

「はい、ご本を読みましょうね」

 発音はまるでなっていないなりに、マルガレーテとはなんとなく意思疎通ができるようになってきた。全てはマルガレーテの理解力のおかげである。

 マルガレーテとライナーとはここ2ヶ月ほど、朝から晩までこの部屋で一緒に暮らしてきた。マルガレーテはミヒャエルにとっては第二の母のような存在になっていた。身の回りのことを一手に引き受けてくれているのだ。当然と言えるかもしれない。

 ライナーとは言葉が通じないなりに喧嘩をしたり、ヘラヘラ笑いあったりしている。

 マルガレーテとライナーは夜になるとミヒャエルの部屋から帰っていく。といっても、どこかにある自宅へ帰っているわけではなく、ミヒャエルの住うこの家の、別の部屋へ移動しているようだった。

「今日は12節からにしましょうか」

「にゃい、にゃい!」

「あら、では15節から」

「あい!」

「やっぱり、ミヒャエル様はどこまで本を読んだか覚えてらっしゃるのかしら」

 最近のマルガレーテは、ミヒャエルに本を読む時に、どこから読み始めるのかをミヒャエル自身に確認していた。

 本をどこまで読んだか覚えている幼児など恐ろしいかとも思ったが、同じ話を二回も聞くのは趣味ではないため、ただの物覚えの良い子どもをしている。

 本と言っても子ども向けの絵本はこの世界には存在していないため、読み聞かせの本は小難しい歴史書である。姉が家庭教師に歴史を習っているのを羨ましそうに見ていたミヒャエルのために、マルガレーテが自宅にあった本をしばらく前に持ってきたものだ。

 マルガレーテはミヒャエルを膝に乗せ、本を読み上げる。かなりゆっくりと読むので、ミヒャエルが文字を理解するのにかなり助かっていた。

 この国の文字は表音文字らしい。英語と同様に大文字と小文字があり、単語と単語の間にはスペースがある。

 魔力を操る練習以外にも、文字の解読という楽しみができたのは、ミヒャエルには嬉しいことだった。とはいえ、文字を読めるようになるというのは、現状マルガレーテに本を読み聞かせてもらいながらでないとできない。

「うぇっ」

「まぁ、ライナー。どうしたの」

 したがって、このようにライナーが泣き始めて、マルガレーテがそちらへかかりきりになると、中断しなければならない。

 ソファにポツンと取り残されたが、すぐにマルガレーテがライナーを抱えて戻ってきた。

「ライナーはミヒャエル様のことが好きなのね。ミヒャエル様がいなくなるといつも私を呼ぶわ」

 ライナーをソファに寝かせ、ミヒャエルを膝に乗せ直して音読を再開する。

 マルガレーテはただの歴史書でも緩急をつけ、声に抑揚をつけて読み上げるので、聞いていて飽きない。また、途中途中でちょっとした感想が挟まれるのが愉快だ。

「ゲルン王国の建国についてはまだよくわかっていないことが多いのです。どんなに初代王の魔力が強くともたくさんの魔獣をたったの一撃で滅ぼすのは難しいと思うのですが、その時にできたと言われている湖が今も残っています。建国以前のいくつかの文献を探しても、そんなところに湖があったなんて記述は残っていなくて」

 このように歴史書に残されていないことまで話すところが、ミヒャエルは気に入っていた。

 そんなことをしている間にも、お八つ時になった。ミヒャエルの体内時計ではそろそろ姉たちが来る頃なのだが、なかなか来ない。それなのに屋敷のなかはなんとなく騒々しく感じられた。

 ミヒャエルが姉たちがやってこないかと扉の方を気にしていると、(にわか)に廊下が騒々しくなった。何事かと考えていると、現れたのは大量のメイドを引き連れたカレンだった。

「さて、少し遅くなってしまったけれど、出立の準備をしましょうね」

 母の一声で、ゾロゾロと室内に流れ込んできたメイドたちは、テキパキとミヒャエルの衣類やら何やらをまとめていく。

「前にも伝えた通り、私たちは同じ馬車で移動よ。数週間かかるから、大変かもしれないけれど、本当に一緒に…?」

 カレンはメイドたちのいる手前か、いつもよりも少し『女主人』としての話し方を意識しているようだった。

「はい、もちろん。ミヒャエル様のお側をを離れるのは何より辛いことと存じます」

 マルガレーテもこの家に雇われている乳母としての話し方だ。

 ミヒャエルは2人の様子を眺めながらも、一体馬車で数週間かけて向かう場所とはどこだろうかと思案していた。

「そう、そう言われるとうれしいわ。あちらへ行けば、いろいろな方とお会いするから、気心の知れたあなたが一緒にいるなら、それがいいわ」

『数週間かけて行く』、『いろいろな方のお会いする』場所というヒントで、ミヒェルにもなんとなく察しがついてきた。

「冬の度に、もう少し近かったらと思ってしまうわ。社交シーズンも、楽じゃないわね」

 社交シーズンと聞けば、確信がもてた。これから数週間かけて行くのはおそらくこの国の首都である。

「たしかに、ここはあちらから遠くございますが、それも建国の頃より重用されてのこと。国境を守るお勤めは実にご立派ですわ」

「ありがとう。あなたはいつだって、私の心を軽やかにすることを口にしてくれるわね」

 国境から遠いという情報からも、行き先はやはり首都だろう。母親と乳母がいちゃついている気配をビシビシと感じつつ、ミヒャエルはライナーの頬をつついた。この月齢の子どもに数週間の馬車旅は耐えられるのか。

 ミヒャエルは自分も一歳になっていない事を忘れてしまったかのように、柄にもなく他人の心配などしていた。




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