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6. 扇風機と姉たち

 魔力を操作する練習に集中して汗をかくことがあまりにも多かったため、部屋に扇風機が導入された。

 ミヒャエルの前世でもおなじみの、プロペラが回転することで風を送るアレである。

「ミヒャエル様に汗疹が出来ては大変ですからね」

「うぇ」

 懐かしい形状のそれに、ミヒャエルは猫のように目を細めた。

「こんなに小さい換気機でも、私たちの給料1月分でしょ。それを子供の部屋にって、公爵様は本当に子煩悩よね」

 ミヒャエルの前世で扇風機と呼ばれていたものは、この世界では換気機と呼ばれているらしい。

 換気機を持ってきた年嵩のメイドが、呆れたように言った。

「そうかもしれませんけど、でも、そのおかげで涼しい部屋でお仕事させてもらえますし」

 もう一人の若い方のメイドは穏やかな表情だ。彼女は自分の作業場でもある子ども部屋が涼しくなることに賛成らしい。

 子ども部屋でミヒャエルを見守る役に就くことが多いのは、この若いメイドを含む3人だ。皆似たような歳の頃で、換気機を運んできた中年のメイドがミヒャエルの前に姿を現したのは今日が初めてだ。

「アンタは読み書きができるから、ミヒャエル様のお部屋で仕事をさせていただけるけどね。アタシなんて学がないから今日みたいなことでもなければ、こんなフカフカのラグなんて踏めなかったわ」

 ミヒャエルを見下ろして少しため息をついたメイドは、「さっさと仕事に戻らないと」と出て行ってしまった。

 どうやらこの世界、この時代は21世紀の日本と比べると識字率はかなり落ちるらしい。貴族の家に務める者でも、下級使用人は文字の読み書きが困難なようだ。

「今、換気機をおつけしますね」

 部屋に残ったメイドが換気機に魔力を通すと、ファンが回り始めた。風の強さは扇風機と大差ないようだ。程よい風で気持ちよく涼める。

 前世の実家には扇風機がなくて夏場はエアコンだけで過ごしていた。しかし祖父母の家は山の方で、夏場でもエアコンはなく、扇風機だけで過ごした。プロペラの回転を眺めているとお盆に過ごした祖父母宅の騒がしさを思い出す。

 夜は家の外のそこらじゅうでジーと虫が羽をすり合わせる音がしていた。日が昇ると、お腹を空かせた従兄弟たちと一緒に朝ごはんを求めて台所へ駆けて行った。早起きをしても、いつだって祖母は台所にいたし、祖父は居間で新聞を広げていた。従兄弟たちと祖母の手伝いで食器を並べたりご飯を茶碗によそったりした。少年少女が朝食を終えて夏の陽気を求めて外へ行こうという頃になると、ようやく少し年長の従兄弟たちが起き出してきて、遅い朝食をもそもそ食べていた。

 それくらいの時間になると屋外の気温も上がってきて、セミやら何やらの鳴き声が喧しいほどだった。夏の子どもがやけに活きがよくて声がでかかったのは、あの喧騒に対抗するために違いない。

 川に見える魚影や木に張り付いた大きなクワガタに、きゃいきゃいと喜んでいた幼い自分たちの声が、すぐそばで聞こえるようだった。

「会いにきたのよ」

 夢現に記憶を振り返っていたミヒャエルは突如、記憶の檻を突き破ってきた声に目を開いた。扉の向こうから子どもの声が聞こえる。

「あなたが会えて私が会えないのはおかしいわ」

「おかしーもん」

 子どもは2人いるらしい。1人はかなり幼いようで滑舌が甘い。

「しかしお嬢様−」

 メイドの言葉が終わる前に扉が開かれる。部屋に控えていたメイドが立ち上がった。

 ベビーベッドが少し高くなっていて、ミヒャエルからは小さな客人が見えなかった。

「ベッドが高くて見えないわ」

「失礼いたします、お嬢様。お手伝いいたします」

 部屋についていたメイドが子どもを抱き上げた。

「見えますか」

 ミヒャエルの顔に影が落ちた。少女の顔が、ミヒャエルの目の前に現れる。愛らしい子どもだった。秋の月の輝きを持った金髪が、少女の白い頬を撫でている。さくらんぼのような艶のある唇が、うっすらと開いた。

「かわいい!」

 体の大きさに見合わない爆音が少女の口から出された。

「ウィンも!ね!」

 驚いて硬直しているとベッドの下からもう1人の少女の声が聞こえる。メイドがもう一度しゃがんで、今度はウィンと言っていた少女を抱え上げる。こちらは少女と言ってもかなり幼い、3歳かもう少し月齢がいっているかという年頃の子どもだった。先ほどの少女と同様の金色のフワフワの髪と、ほんのりと色づいた唇、そして春の青空色の瞳だった。

「かわいい…お星さまみたい」

 小さな口をぽっとあけて言う。ミヒャエルは光を受けて輝く幼児の髪を見ながら、それは私の容姿に対しての反応だろうかとぼんやり思った。

「ねぇ、起きているのだったら、少しおしゃべりがしたいわ」

 少女の声がする。メイドは笑っているようだった。

「もちろん良いと思いますが、ミヒャエル様はまだおしゃべりなどはできませんよ」

「もちろん、それくらいのこと知っていてよ。だけど、小さい時からたくさんおしゃべりすると、言葉を早く覚えるのよ。お母様がおっしゃっていたわ」

「まぁ、お嬢様は物知りでらっしゃいますね」

 部屋付きのメイドがウィンを降ろし、ベビーベッドからミヒャエルを抱き上げ、そのままソファへ移る。ミヒャエルを抱えたメイドと少女2人がソファに座る。少女たちに着いてきたメイドは、近くにそっと立ったままだ。

「やっぱりかわいいわ。ミヒャエル、お姉様よ」

「ウィンも、お姉様よ」

「んば」

 可愛らしい少女2人に笑顔で話しかけられ、ミヒャエルもつられて笑ってしまう。

「お二人とも、ミヒャエル様に自己紹介はなさらないのですか?」

「まぁ、それもそうだったわ」

 7歳位の少女がミヒャエルの顔を覗き込む。

「ブリジットよ」

「ウィンなの」

 その横からずずいっと幼児が割り込んでくる。

「ウィン、自己紹介なのだからきちんとウィナフレットというのよ」

「んん、ウィナフレットよ」

 少し不服そうに幼児−ウィナフレットが言い直す。

 この少女たちが、メイドらの話にあった2人の姉らしい。

 初めて揃った3人の姉弟達は、風に髪を遊ばせながらミヒャエルのミルクの時間になるまでお喋りを続けた。


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