19. 先生と父と試飲会
白い指先が羊皮紙をなぞった。
「捜索の進展は芳しくないようですが、この時期ではそれも仕方の無いことでしょう。繁殖の時期は過ぎています」
長い銀髪が、羊皮紙の上に影を落とした。羊皮紙の中身は一角馬の仔の捜索結果である。クレメンスはこのように、ミヒャエルの家庭教師業の合間に、ハインリヒにもたらされた報告書や陳述書に対して、感想やら考察やらを述べることがある。
「来年の春を待つしかないか」
「そうですね。それまでに、生け捕りの方法を練っておきませんと」
「ああ、せっかく見つけた仔馬を殺してしまっては、かなわないからね」
成獣を連れてこようかという案もあったのだが、服従の首輪があるとはいえ調教には未成体の方が容易だろうと、一角馬の基本的な調教方法が確立されるまでは、仔馬を連れてくることにしたのだ。
ハインリヒとクレメンスは進まない調査に苛立った様子もなく、話し合う。
そもそもが、幸運による発見だったのだ。あの首輪で魔獣を捕らえることができるなんて。
基本的に、魔獣は気性が荒く、捕まえてやろうなどという考えが頭に浮かぶこともないような生き物である。
それを、誰の怪我もなく捕らえることができた。何故か地下牢から首輪を持ってきていたミヒャエルが、何故か一角馬の首にそれをつけたことで。
偶然であり、幸運であり、何者かの計画があったかのような薄ら寒さがある。しかし、その計画の実行者はと言えば、まだ喋ることもままならない幼児である。
クレメンスはそっと、宵闇色の髪と黄金に輝く瞳を持った子どもを、脳裏に浮かべた。
家庭教師としてそばに居るが、あの子どもは驚く程、勘がいい。そして大人の言うことを全て理解しているかのような振る舞いをする。
子どもと言うものがそれほど物分かりの良い生き物ではないことは、クレメンスもハインリヒもよく理解していた。
あの子には何かがある。
今回はその何かが良きものとして現れている。もしもこれが、悪しきものとして現れていたら、ハインリヒが自分の息子をどうしていたのか、クレメンスにはわからなかった。
その後もいくつかの報告書に目を通しハインリヒと意見を出し合っていると、執務室の扉が軽く2度叩かれた。
ハインリヒが応じると、扉の向こうから従者が姿を現した。
「ハインリヒ様とクレメンス様にお会いしたいと……」
その足元から見慣れた顔がのぞいた。
「ミヒャエル!」
「とーさま」
ハインリヒに駆け寄るミヒャエル、そしてその後ろからマルガレーテとライナーが、カートを押すメイドを伴って入ってきた。
「なにかあったのかい?」
普段は執務室になど姿を見せない3人へと問いかけるハインリヒに、マルガレーテが笑顔を返した。
「厨房で飲み物を作ったのでお試しいただきたいと、ミヒャエル様が。少し休憩なさいませんか?」
「厨房で作ったのかい?」
気になることがハインリヒにもクレメンスにも多々あったが、マルガレーテに促されるまま、ソファに腰を落ち着けた。
メイドが用意した紅茶に、生姜シロップをふた匙ずつ入れる。
「こちらの生姜シロップは、ミヒャエル様がお考えになったものです」
紅茶を口に運ぶ2人に、マルガレーテが解説を入れる。
「これは、なかなか面白い。風味は薬草を煎じたものと似るが、甘みがあって飲みやすい」
ハインリヒが青の目を少し大きくして言う。
「お次は冷たいものを」
その言葉で、今度は生姜シロップを水に溶かしたものが出される。それにミヒャエルがちょちょいと魔力を流すと、コップの表面に水滴が付くほどに冷やされた。
「どーぞ!」
快活に言うミヒャエルに促されて、2人がグラスに口をつける。
「これは……とてもいいね」
「ええ、果実水とはまた違う清涼感があります。目の覚めるような美味しさです」
「これは、貴婦人たちにも好評が貰えそうではないかい?」
厨房でもう少し味を整えさせて、妻の方の茶会に、話の種の1つとして出させてもいいだろう。
そのようなことをハインリヒが考えているとは露知らず、ミヒャエルはクレメンスを仰ぎ見た。
「せんせ、おいしかった?」
「はい、とても」
「こうちゃ、すき?」
「ええ、もちろん」
「ジュースは?」
「好きですよ」
「どっちがいっぱいすき?」
「悩ましいですが、ジュースの方が好ましく感じました。紅茶に生姜シロップを入れたものの方が、スパイスが強く感じられた点は良かったのですが、口当たりの良さと、喉を通る時の感覚は、冷たいジュースの方が強いですから」
矢継ぎ早の質問に答えを得て、満足そうに頷くミヒャエルに、クレメンスは笑顔を返した。




