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18. 厨房で試作

 前世の記憶からヒントを得たミヒャエルは、手始めに厨房へと向かった。

 生姜を分けてもらい、ついでに少し調理もしてもらうためである。生姜は肉の匂い消しとして、この世界でも一般的に用いられている。

 前世のクラスメイトとの会話や、読み漁った本の記憶を掘り返した結果、乗り物酔いの防止には、生姜やミントのサッパリとした香り、それから冷たい飲み物や炭酸水等のこれまたサッパリした飲み物が良いとのことだった。前世では赤いラベルの容器に入った黒くて甘い炭酸飲料も、車酔い防止として知られていたらしい。

 車酔いに強かった前世のミヒャエルには、どの情報も実体験ではなく、見聞きしただけのものにすぎないため、どの程度信憑性のあるものか疑わしくもある。


 というわけで、まずは簡単にできるものから試してみることにした。

 既にこの家にあり、飲み物にするレシピが思い当たる生姜である。


 ミヒャエルがマルガレーテとライナーを伴って厨房へ行くと、シェフや下働き達は揃って遅めの昼食を取っていた。ミヒャエルたち家族の昼食とその後片付けがひと段落したのだろう。

 そんな寛ぎの場に現れた貴婦人と子ども達に、男たちがサッと立ち上がる。

 それを見たミヒャエルは、自分の想像力の無さにゲンナリした。

料理長(シェフ)はあなた?」

「はい、私めでございます」

 背はそれほど高くないが、がっしりとした骨格の男に、マルガレーテは小さく頷くと、そのままミヒャエルへと視線を移した。

 元々厨房へ行きたいと言い出したのは、ミヒャエルである。これは用件を早く言いなさいということだろう。

 しかしこれは急ぎの用ではない上に、1度始めると少しばかり時間がかかる。朝から働き詰めだった人の食事を遮ってまで、自分を優先させる気は、ミヒャエルにはおきなかった。

 最も手の空く時間を聞きたいところだが、それをすると、このシェフが指定をした時間までミヒャエルを待たせるということになる。

 厨房を任されているとはいえ、この頬周りに少しばかり肉の付いた男は、使用人の1人である。それが仕えている主人の家人を待たせる。

 そんなことは出来ずに、空いている時間を聞かれたら「今すぐでも」と答えるしかあるまい。それでは昼食が食べられない。

 ミヒャエルはこの料理上手な男たちに、いつになったらものを頼みやすいだろうかと、キリキリと考えた。

 そうして出した言葉は、存外子どもっぽいものになった。

「おやついつ?」

「は……?」

 これでは言葉が少なすぎたかと反省し、言葉を重ねる。

「おやつ、いつつくるの?」

「おやつ、いつ……はい、四半刻もすれば作り始めます」

「みひゃえるも、おやつつくるの」

 男がミヒャエルの言葉を咀嚼して意味を飲み込み、なんとか厨房に入りたいと述べる1歳半の子どもを思いとどまらせるための言葉を口にする前に、サッと小さな手で皮膚の硬い手を握った。

「いっしょに、つくろーね」

 にっこり笑顔もサービスで付ける。

 これには小熊のような男もコクコクと頷くしかない。

 無事に約束を取り付けたミヒャエルは四半刻、前世の感覚で言えば30分ほどの時間を、城の中をウロウロして過ごすことにした。

 さて、先程のミヒャエルは上手いこと料理人たちにとっての、仕事はあるのだがそう忙しくはなく、子どもの我儘に少し付き合える時間というやつを指定できた。

 この国の食糧事情は質の面でも量の面でも、良いとは言い難い。

 その中でおやつは、子どもには提供されるが、大人たちには基本的には提供されない。茶会やガーデンパーティの場であれば話は別だが。

 この国でのおやつは、補食としての意味合いが強い。胃が小さく、量をたくさん食べられない子どもが、昼食と夕食の間に低血糖で倒れないようにするために必要なものだ。

 補食という意味で考えれば、おやつは決して贅沢な品ではない。しかし前述の食糧事情というやつのせいで贅沢品となってしまっている。

 ヴェスパー家は公爵家であるため、その贅沢品を必需品として毎日子どもに食べさせることができる。

 しかし大人にとってはやはり贅沢品であるため、ハインリヒやカレンに他の使用人も含めた大人達の分を用意する必要が無い。

 家中の者達が口にする基本の三食を作る事と比べたら、子どものおやつ作りはまだ手軽な方である。

 それも今日という日に限っては、貴婦人であるマルガレーテと貴族の子弟が参加することで、料理人たちには胃が痛くなる仕事となってしまった。

 そんな胃痛は露知らず、四半刻ほどライナーとのかくれんぼを楽しんだミヒャエルは、再び厨房へと来ていた。

 すっかり片付けが終わり、おやつ作りの材料が並べられた厨房では、男達が総立ちで待っていた。子どものちょっとした実験にそれほど大勢は必要ないため、すぐにやめてもらった。今ミヒャエルについているのは、料理長(シェフ)1人である。

「しょうがのジャム、つくるの」

「生姜のジャムとなりますと、こう……かなり生姜の形が残りますが……」

 調理手順がイメージしやすいかと「ジャム」と伝えたが、経験豊富な料理人には、繊維の硬い生姜を煮込んだからと言って、ジャムのようにはならない事が容易に想像出来てしまったらしい。非常に言いづらそうにミヒャエルに言い返す。

 しかしミヒャエルの方も、ジャムなどと表現した理由を説明できるだけの言語能力を、未だに身につけてはいない。

「しょうが、きって」

「ハイッ」

 したがって、マルガレーテの腕の中から、少し偉そうに命令することにした。

「みず、いれて。はちみつ、いれて」

「ハイ」

「レモン、ちょっといれて」

「ハワワ」

 最終的に料理長が幼女のようになりながら作ったそれは、料理長の予想通り、ジャムのようにはならなかった。

「しょうがのシロップなの」

 そう口に出してから、そういえばジャムじゃなくてシロップだと伝えておけば、料理長も混乱しなかったかもしれないと気がついた。

「ミヒャエル様、こちらを使って何をお作りしましょうか」

 料理長の言葉にミヒャエルはコテリと首を傾げた。

 何を作ろうかと言われても、もうほとんど完成したようなものである。しかし、ここでお役御免を言い渡すのも、一緒に料理をした身としては、寂しい気がする。

 ミヒャエルは一方的に口を出すだけだったが。

「もうおしまいなの。おちゃ、ちょーだい」

 遊びつかれた子どものようなオーダーに、料理長はミヒャエル達を簡素なテーブルに案内すると、自らティーセットを用意しに行った。

 その背中を見送ったミヒャエルは、今度はコチラをチラチラと見ていた他の料理人たちに目を向けた。

「コップ!」

「ハイッ」

「マドラー!」

「ハイッ」

 ピシャリと指示を出せばすぐさま行動する料理人たちの姿に、ミヒャエルは満足気に鼻から息を吐いた。

 あっという間に用意された紅茶のセットとコップとマドラーの脇に、生姜シロップの入ったココットが慎ましく置かれている。

 手始めに、紅茶に生姜シロップを2匙ほど入れる。そしてそれを、傍で立っていた料理長の方に寄せる。

「はい、どーぞ」

「私めにですか?」

 戸惑った表情をした料理長は少し口をモゴモゴと動かしたあと、納得したような顔をして、スっと紅茶を口に運んだ。

「美味しいです。紅茶の渋みを、生姜のスパイスとハチミツの甘さが包み込んで、初めて口にする組み合わせですが、美味しいです」

「ん、マルガレーテも、どーぞ」

「ありがとうございます」

 シロップ入りの紅茶を口に含んだマルガレーテが、目を丸くした。

「これは……美味しゅうございますわ」

 料理のプロと、貴族であるマルガレーテの口に合ったのなら良かったと、ミヒャエルは胸を撫で下ろした。

 続いてガラスのコップに魔法で水を注ぎ入れ、そこにシロップを投入する。マドラーでグルグルと掻き回し、最後に魔法でキンキンに冷やす。

「これ、どーぞ」

 こちらの生姜ジュースも、1番の功労者である料理長に差し出す。

 今度は少しも躊躇うことなく、ぐいと飲み込んだ。

「こちらも大変美味しいです。よりさっぱりとした口当たりで、お若い方にはこちらの方が喜ばれるかもしれません」

 料理長の言うお若い方がどの辺の年代を指しているのか、いまいち分からなかったが、どうやら美味しいと思ってもらえたらしいという事はわかった。

 続いて、先程と同様にマルガレーテの方に差し出す。

 マルガレーテは両手を添えて品よくコップを傾け、コクリと喉を動かしてそれを嚥下した。

「こちらも、たいへん美味しゅうございますわ。甘いのに刺激的で、なんだか心持ちが明るくなるような気がします」

 少し早口にそう言うと、再びコップを傾けてしまった。もう一度コップから口を離した頃には、中身の生姜ジュースは半分も残っていなかった。

 少女のように頬を緩めるマルガレーテの様子に、自分の思いつきが上手くいった事を感じ、ミヒャエルはそっと胸を撫で下ろしたのだった。




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