16. ピクニックと収穫
冬が去り春を過ぎて夏の盛りを乗り越えた、木々を彩る暴力的な緑が落ち着きをみせ始めた頃のことである。
ミヒャエル達の暮らしているシュテルン城から西へ少し行ったところにある森にきていた。
父であるハインリヒが家族サービスの一環としてピクニックを計画したためである。
カレン、ブリジット、ウィナフレッド、ミヒャエルら家族に加えて、子ども達それぞれの乳母、家庭教師、ライナーもついてきた。マルガレーテとクレメンスが来ているのだから、当然と言えば当然である。
家族水入らずの遠足かと思っていたが、護衛の騎士やメイドを含めたかなりの大所帯である。
そして日差しの強いこの日、ミヒャエルはかねてより温めておいた作戦を実行することにした。
持ち物はミヒャエルが歩けるようになってから城の中を探検して見つけた首輪である。
その名も服従の首輪。首にかければどんな生き物でも服従させられるらしい。ちなみに地下室で見つけた。地下室の奥は牢屋になっている。何に使われるものかは推して知るべしである。
いくつかあったので3つ拝借してきた。
これを使って足の速い魔獣の雄と雌を捕まえて、繁殖させようという計画だ。
服従の首輪が人間だけでなく、動物にも使えることは確認済みである。人にも動物にも使えるということは、魔獣にも使えるだろう。もしも使えなかったら、魔法で姿を隠しながら逃げればいい。それくらいの魔法は、クレメンスの授業で身につけたという自信があった。
首輪は、姉が裁縫の練習で作った肩掛け鞄に入れた。少し縫い目が不揃いだが、少しものを入れるには問題ない。それを朝からずっと斜めにして肩からかけている。
狙う魔物はもう決めてある。清らかな乙女の膝で眠りにつくという一角馬だ。額に大人の腕ほどの長さの角を生やす、馬形の魔物である。この森にも生息しているらしい。
清らかな乙女だけでなく精通がまだの美少年にも寄ってくるというので、自分にも寄ってくるだろうと期待している。少し幼すぎる気もするが。
森の、まだ浅いところにある泉の近くに敷物を広げれば、のどかなピクニックの始まりである。泉の周りは少し開けていて、木々もまばらだ。
「泉から離れないこと。この辺りには出ませんが、森には恐ろしい魔獣がいるのですから」
母、カレンの言葉に子ども達はいい子にうなずく。
ミヒャエルの計画を実行するにあたっての最大の問題は、いかにして大人達の目を掻い潜って、森の中に入るかである。
しかしメイドや護衛の騎士もそれなりの人数が来ているため、なかなか離れる隙は見つからない。
「ミヒャエル様、お茶をお飲みください」
「ありがと」
マルガレーテから木のコップを受け取り、こぼさないように気をつけて飲む。
もしかしたらメイドや騎士がいなくとも、ライナーと自分から片時も目を離さないマルガレーテがいる限り、森の中へ逃走することは叶わないかもしれない。
結局、美味しいお昼ご飯も食べ終え、腹ごなしとしてライナーと共に泉に小石を投げ込んでいるのが今である。波紋が混ざり合うのが面白い。
「ミヒャエルー、ライナー!おいで」
呼ばれて振り返れば、ブリジットが大きく手を振っていた。その隣でウィナフレッドも同じようにしている。
ライナーの手を取りえっちらおっちらと近づくと、頭に何かを乗せられた。
「かわいー」
「よく似合っているわ、二人とも」
キョトンとライナーと二人、顔を見合わせると、お互いの頭に花冠が乗せられていることに気がついた。
ライナーはふわふわの銀髪に、白と黄の丸い花で作られた花冠がよく似合う。
「しろ、きいろ、かわいーね」
「あおぉ」
「ライナー、これは紫よ」
「えぇ?」
ウィナフレッドからの鋭い指摘に、ライナーが目をパチパチとした。どうやら色にはそれほど頓着しないタイプらしい。
「あら、あなたは青色が出ないって悩んでいたけど、ライナーにはきちんと青色に見えてるみたいね。よかったじゃない」
横からブリジットのフォローが入る。どうやら自分たちの魔法で生やした花で冠を作っていたらしい。思った色の花を咲かせることはなかなか難しいことのようだ。
子ども達のそんなやりとりを大人達は目を細めて見守っている。
姉達が今度は自分の花冠を作ろうと魔法を使い始めた時だった。ミヒャエルの耳は、キューンとも、ウーンともつかない、耳鳴りが始まる前の、音になりきらない何かを感じた。
しかし、一向に耳鳴りは始まらない。
どうにも気になって、あたりを見渡した。
おかしなところはない。姉達は魔法で花を生やしているし、ライナーは色とりどりのそれに手を叩いて喜んでいる。
父は家庭教師らと、母は乳母らと子ども達を見ながら話している。ミヒャエルの視線に気がつくと、皆が笑顔で手を振った。
護衛の騎士は、森についた時から変わらず、子ども達を視界に入れながらも、周囲への警戒を続けている。
メイドたちもそれぞれの仕事をしている。
何も起きていない。しかし何かが起きるという予感が確かにあった。ミヒャエルは前世も含めて、この手の勘が外れたことがない。
「あっち、あっち。とーさま、かーさま」
「なぁに、お父様とお母様にもお見せしたいの?」
「うん」
ブリジットの手をつかみ、ウィナフレッドの手もつかみ、ぐいぐいと両親の方へ引っ張る。何が起こるかわからないが、とりあえず保護者の元が一番安全だろう。いつの間にかライナーがウィナフレットの手を握っていた。幼馴染は空気が読めるタイプらしい。
1歳半の子どもにできる限りの早足で進み、もう少しで両親の手が届くところまでいけるという時だった。
パキリという、小枝の折れる音がしたのと、剣を鞘から抜き去る音が聞こえたのは、ほとんど同時だった。
ハインリヒとカレンが目を見開き、子どもたちを腕に抱き寄せる。ミヒャエルはそのまま姉達と一緒くたに抱き上げられて揺さぶられているうちに、気がついたら馬車の中に押し込められていた。
馬車の中には子ども達の他に両親と乳母達が乗っていた。
「4人とも、あぁ、本当によかった」
子ども達はカレンの腕にぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
外からは男達の声と、獣のいななきが聞こえてきた。
「クレメンスせんせい?」
ミヒャエルの問いかけにマルガレーテが頷いて答える。
「今は外で魔獣と戦っております。彼はとても強いから、何も心配いりません」
そう言った直後、外から爆発音がした。
気になって窓から外を見ると、片目から血を流した一角馬が、半ばから折れた角を向けて剣を持つ騎士に突進するところだった。
ミヒャエルには、目を瞑る暇も、声を上げる暇もなかった。短く吸い込んだ息が、行く先を失って喉の辺りが苦しくなった。
だばりと、鮮血が一角馬の腹から溢れた。
突進した一角馬の脇腹を、別の騎士が横から槍で突き刺していた。一角馬はその場で数回足踏みをして、ぐらりと横に倒れた。
地面に倒れ伏した一角馬は数回痙攣すると、それきりピクリとも動かなくなった。
外が静まりかえってしばらくすると、馬車の扉が数回ノックされた。
マルガレーテが小さく扉を開けると、そこにいたのは騎士の1人だった。
「討伐が完了いたしました。現在周囲の安全確認をしております」
「ご苦労だったね。片付けには私も手を貸そう」
ミヒャエルの正面に座っていたハインリヒが立ち上がり、騎士に着いて馬車を降りようとしたところで、ミヒャエルもハッとして父の背を追った。
「ミーも!」
「ミヒャエル、お父様のお仕事の邪魔をするものではありません」
一角馬の生き残りがいれば、見つけて捕まえようと張り切るミヒャエルの肩を、カレンが抑えて止める。
しかし、ハインリヒの方は馬車から降りて少し辺りを見渡すと、そのままミヒャエルの方へ顔を向けた。
「いいだろう。ミヒャエルも来なさい」
ハインリヒに着いて表へ出ると、ふわりと血の匂いが漂ってきた。
泉の周りにはいくつか一角馬の死体が転がっていて、騎士と家庭教師たちはそれを荷車に乗せようとしているようだった。
ミヒャエルが馬車の裏手に回ると、そこには馬車の中からミヒャエルが見ていた死体があった。とうに事切れている。
馬車の中で見た時から気になっていたことだが、この一角馬は腹がぼってりと膨らんでいた。つまり、この胎には仔馬が入っているということだ。
ミヒャエルはその死体に近づいた。槍で裂かれたのちょうど腹の膨らんでいるあたりで、槍で薙いだのか、一角馬が槍で刺された後も少し前進したためにそうなったのか、足の付け根あたりまで裂けていた。
その血だらけの腹が突然、ボコリと蠢いた。
「うぇ!」
驚くミヒャエルなど関係なしに腹の動きは大きくなり、やがて腹の裂け目から血濡れの仔馬が頭を出した。
「うわぁ」
かなりグロテスクな光景だったが、ミヒャエルはゆっくりと近づき、鞄から出した首輪をテラテラと光る一角馬の首に取り付けた。
「ミヒャエル!何を」
これでよし、と満足に浸っていると、息子の様子がおかしいことに気がついたハインリヒが、早足でやってきた。
「つかまえたの」
「捕まえたってそんな……」
動揺のなかでも、ハインリヒは仔馬につけられた首輪がどのようなものであるか、理解したらしい。
騎士を1人呼びつけると、この強引な帝王切開の手伝いをするように申し付けた。哀れな仔馬はまだ下半身のほとんどが母の体に残ったままだったからだ。
ハインリヒは、もう息子から目を離すまいと、ミヒャエルの手をしっかり握った。
早く他の死骸を片付けて城に帰り、護衛の務めを十分に果たしてくれた騎士たちを労うべきだと考えていた。
しかし手を繋がれているミヒャエルは、あちらこちらをキョロキョロと見渡し、しまいには強引にハインリヒの手を振り払って藪の中に入り込んだ。
「ミヒャエル! ミヒャエル! 出てきなさい!!」
森の中は危険だ。森の中でなくとも安全ではない。急に一角馬のような魔獣が出てくることもある。
幸い、ミヒャエルは直ぐに藪からかえってきた。
今度は別の一角馬に首輪をつけて。