13. 転職
指先を冷やす風が吹くこの日は、クレメンス・デューラーにとって特別な日となることが、数日前から決まっていた。
生まれてすぐにヴェスパーの領地へと、妻のマルガレーテと共に旅立った息子のライナーと再会する日であり、まだ幼かった頃に出会って以来の、想い人の息子を初めて見る日でもあった。
ライナーはクレメンスの記憶にあるよりもはっきりとした顔つきになり、クレメンスと同じ銀の髪と瑠璃の瞳を持っていた。銀の髪が少しうねっているのは妻のマルガレーテに似たのかもしれないと思うと、クレメンスは自分の口元が自然と緩んでいってしまうのを感じた。
明かし世の遺物である星玉瑛が示した守護は、水属性に、風属性、そして希少な光属性だった。幾人もの守護が示される場面に立ち会ってきたが、我が子の守護の煌めきはそのどれとも異なって、初雪のようにクレメンスに降り注いだ。
もちろん、守護に恵まれなくても妻と共に生まれてきた子を深く愛し、育て上げる気持ちでいた。しかし、貴族の社会では生まれてきた子が守護を賜れなかったとなれば、それだけで醜聞になる。希少な属性を含む過分な守護を賜ったことよりも、我が子がそのような憂き目に合わなくて済むことを、クレメンスは妻と共に安堵の気持ちで受け入れた。
そしてこの日、ライナーと共に魔法院の本部で守護を伺うことになったのは、星々の輝きを瞳に閉じ込めた子だった。想い人とよく似た夜空色の髪も相まって、寝物語に聞く常闇の精霊を思いださせた。
我が子の守護を見届けた安堵の気持ちのまま、クレメンスはミヒャエルの守護を伺うことにした。想い人であるハインリヒも、その妻のカレンも、嫡子の守護を伺うということに緊張の面持ちでいた。しかし、ハインリヒには、あの2人の子に守護がつかないなどという大それたことは、天地がひっくり返ったとしてもありえないという、妙な確信があった。
その確信は覆されなかった。しかし、同時に予想だにしない結果となった。
通常、守護を示す壁面には、白の光が水のように流れる。赤子の手を触れさせる星玉瑛と光が流れ入る祇壁、両方が揃っている魔法院で守護を伺うことができるのは一部の身分の者だけだ。平民では不可能なのはもちろんのこと、貴族であっても一定の功績が魔法院により認められた家の者でなければ、部屋に立ち入ることさえ許されなかった。
その、拝むことすら難しい祇壁に、色彩が迸った。見たこともない光景に、困惑より、学術的興味より、何より最初にクレメンスの心に浮かんだのは、信仰心にも似た感情だった。
祇壁が輝きを失い部屋に暗闇が舞い戻っても、瞼の裏には光の奔流が残っていた。
「我が友よ、生涯の友人よ」
ハインリヒの目が、強くクレメンスを射抜いた。翡翠の瞳は洞窟湖の水面の様に凪いでいた。
「私たちは今日、わが子らが守護を賜ったことを知った。めでたいことだ。しかしそれ以外には何も、記録に残すべきことは起きなかった」
今起きたのは一体なんだったのか、その事には一切触れられなかった。ただ、すでに決定したことだけが、クレメンスに告げられた。この決定が魔法院が使命として掲げる事柄に反する事はわかっていたが、これに反発するつもりはなかった。
「ええ、もちろん。私は我が子と友人の子の守護を伺うという幸福な仕事を終えて、充てがわれている部屋に帰ります。そして、予定よりも少し早いですが、魔法院での立場を辞してきましょう」
「それは…いいのかい?奥方と相談しなくても」
男たちから目を向けられたマルガレーテはいつもと同じ笑みを唇に乗せた。
「夫が自分の仕事について決めたことです。否やはございません」
妻の答えに満足げに頷いたクレメンスは、今度は少し肩をすくめて悪戯っぽく旧友を見た。
「もちろん、私を未来の息子の家庭教師として家に置くと言ってくれた友人に、嫌だと言われてしまえばそれも難しいですがね」
「まさか、約束を違える様な事はしないさ。魔法院を離れた君がどこかに囲われてしまう前に、手を打つとしよう」
この日からわずか数日の内に、その美しい瑠璃の瞳と苛烈な魔法の扱いから天呑鳳の鉤爪と呼ばれた銀髪の麗人は、ヴェスパー家の守護者となったのである。
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拙文をご覧いただきありがとうございます。なろうらしくない重い文体がこれからも続きますが、よろしくお願いします。