10. 王都
首都への道のりは子どもの体には厳しかったようで、馬車での移動を始めた翌日にライナーが熱を出し、さらに一週間後にはミヒャエルが熱を出した。
また、別の馬車に乗っていたため、ミヒャエルは直接は知らないが、姉二人は、熱を出さない代わりにひどい馬車酔いによる頭痛と吐き気が、首都へ至るまでの道中ずっと続いていた。
やっとの思いでこの国の首都、大人たちが使う言葉では王都と呼ばれている場所へ着いた頃には、ミヒャエルを含めた子ども達だけでなく、使用人や親達もぐったりとしていた。それでもずっと馬車に乗っていた両親や女性使用人よりも、馬車の外で馬に乗って移動していた騎士の方がいくらかマシな顔色をしていたのを見たミヒャエルは、それなりの年齢になったら馬車の乗り心地を改善するか、それが叶わなければ馬で移動してやろうと心に決めた。
王都にある家は立派だった。ミヒャエルの前世と比べればこれは単なる家ではなく邸宅と呼ぶべき大きさである。もっとも、領地にあった方の家は王都の邸宅よりも遥かに豪華で広々とした城であったため、ミヒャエルの目には控えめな印象に映った。
この実に立派な邸宅にもミヒャエル個人の部屋というものが当てられているらしい。
部屋に入るところで、マルガレーテがかかとの高い靴から低い靴に履き替えた。
「さ、ミヒャエル様。こちらでしたら思う存分、ハイハイしていただけますわ」
日本ならば家の中に入る時は靴を脱ぐが、こちらの世界では部屋の中でも土足である。スリッパもない。
床で子どもがハイハイするには衛生環境に問題があるが、ここでは大人が靴を履き替えることで対応するらしい。ミヒャエルとライナーの方は素足である。
一般庶民の家ではどうなっているのか、想像しただけでも体調が悪くなるような気がしたので、部屋の中を探検することにした。
部屋の広さは領地のものとそう変わらない。ただ家具の高さなどが完全に大人向けだった。領地の部屋には小さめの椅子など、数年したらミヒャエルでも使えそうなものが置いてあったが、この部屋にはそういった配慮のされたものは置いてなかった。ただ部屋の大人っぽさとは不釣り合いにベビーベッドが置かれている。
乳幼児を入れておくのにちょうど良い部屋がなかったから、空いている部屋をとりあえずで子どもに与えたような印象の部屋だった。
部屋の隅々までハイハイして周り、そろそろ馬車旅で疲れて眠りこけているライナーの顔でも一度見ておくかと方向転換したところで、聞き覚えのある足音が近づいてきた。
マルガレーテも気がついたようで、スっと立ち上がる。
ノックもなく扉が開いた。入ってきたのは少し疲れた様子のカレンだった。
「ミヒャエルとライナーの調子はどうかしら」
「ミヒャエル様は旅の疲れなどないかのように活動しておいでです。体力がおありなのですね。ライナーは眠ってしまいました」
昼寝の時間に、眠くても馬車の揺れが激しすぎて眠れていなかったライナーは、薄いまぶたでしっかりと目を覆いぐっすりと眠っていた。カレンはそれを見て頷くと、今度はミヒャエルを抱き上げた。
「この子もライナーも、明日の神殿は問題ないかしら」
「疲れによる発熱などが少し怖いですが、恐らくは大丈夫かと。子らが何をするという訳でもありませんし」
王都に着いた翌日から神殿という所へ連れていかれるらしい。自分だけではなくライナーも連れていかれるようだから、この国には子どもを神殿へ連れていくような行事があるのかもしれないと、ミヒャエルは前世の七五三やお宮参りを思い出した。
「なにか気がかりなことが?」
「魔力があるのは既に分かっているけれど、属性の方が心配だわ。もしも属性魔法が使えなかったら…」
カレンはミヒャエルの頬を撫でて、唇をキュッと結んだ。
「きっと大丈夫です。ブリジット様もウィナフレッド様も属性魔法をお持ちですから、ミヒャエル様もきっと」
「そういえば、ブリジットの時もウィナフレッドの時も、神殿の前日は不安で上手く眠れなかったわ」
ミヒャエルの姉ふたりも、神殿へ行ったらしい。神殿という場所で自分がどの属性の魔法が使えるのかが分かるらしいと知って、ミヒャエルは目を輝かせた。カレンが何かを心配しているのはわかったが、それを考える気持ちよりも魔法への好奇心が勝った。
「ごめんなさいね。あなたもライナーのことが気がかりでしょうに」
「いえ、ライナーはクレメンス様によく似ていますから」
文脈から考えてクレメンスとはライナーの父親だろう。
「まぁ、雷が苦手なところなんか、あなたそっくりだと思ったのだけど」
コロコロと笑い合う2人の母たちをどこか眩しい気持ちで眺めながら、ミヒャエルはまだ見ぬ神殿と魔法に思いを馳せた。
遅くなった上に短いですが10話です。
何も書かないより、駄文でも書き続ける方が次話へのハードルが下がるんだなぁ。