【第82話】誰にも言わないでね
晴明が疑問をぶつけると、成は辺りをきょろきょろと見回した。答えに窮しているのかと思うと、顔を近づけてくるから晴明はドキリとしてしまう。
「あまり大きな声じゃない方がいいよね」と、らしくないことを小声で言うから、晴明は思わず息を呑んだ。
「ごめん、本当は似鳥のこと中学から知ってた。白々しいこと言って本当にごめん」
正直に言われて、かえって晴明は責める気をなくしていた。成に勧誘されなければ、今の自分はなかったからだ。
「でも、これは言い訳になるんだけど、似鳥と同時期に中学にいた人は、たぶん全員似鳥のことを知ってると思うよ。だって似鳥、中二のとき、全校生徒の前で表彰されてたじゃん」
成は配慮したのか、最小限のボリュームで言ってくれたが、その言葉に似鳥は殴られたような衝撃を受けた。
消し去りたくても、過去はいつまで経っても消えずに残っている。
周囲の人々の存在が、晴明には突き刺さる。声の震えを必死に抑える。
「正直に答えてください。南風原先輩は僕のことどれだけ知ってるんですか?」
「正直に言っていい? そのくらいしか知らない。だって興味なかったから。高校に入ってフミから聞いてびっくりしたぐらい」
「本当ですね?」
「本当だよ。信じてもらえるとは思ってないけど」
成が部活以外では、あまり見せることのない真剣な目で言ってくるから、晴明は疑う気にはなれなかった。知っていようが知っていまいが、誰かに伝えなければいいだけのことだ。
晴明は成の言葉を鵜吞みにした。それがこの先も、上手く関係を続けていく方法だと考えた。
「分かりました。南風原先輩が言ってることを信じます」
「そう。なんかごめんね。嫌な気持ちにさせちゃって。お詫びと言ったら何なんだけど、この機会に私に聞きたいことない? 似鳥の気が済むまで何でも答えるよ」
埋め合わせを申し出た成に、晴明は考えを巡らす。そして、尋ねたいことが一つしか思い浮かんだ。
しかし、それは成の根幹に関わるだから、自分がおいそれと聞いていいのか、晴明には確信が持てない。
それでも、何か聞かなければ失礼なように感じて、晴明はおずおずと発した。
「じゃあ、一つだけ。南風原先輩は佐貫先輩のことが好きなんですか?」
「まさか、似鳥にそれ聞かれるとは思わなかったな」
照れくさいという風に笑みを浮かべて、成はアイスコーヒーを口に運んだ。そして、再び周囲を見回す。
佐貫も泊も千葉中央駅を通学に利用していないから、ここに来る可能性は高くない。知り合いが誰もいないことを確認して、成は一つ息を吐く。
そして身を乗り出して、先ほどよりも小さく口を開いた。
「誰にも言わないでね。といっても皆には薄々気づかれてるんだけど」
そう前置きをした後、しばし間を置いて、成は告げた。
「そうだよ。私は佐貫先輩のことが好き。アクター部に入ったときからずっとね」
桜子だったらここで、黄色い声をあげているのだろう。
しかし、晴明は成の心情を斟酌して、大げさなリアクションは取らなかった。
「佐貫先輩のどういうところが好きなんですか?」
「似鳥、意外とグイグイ来るね。そうだなぁ……。やっぱりかっこよくて頼れるところかなぁ。部長としても、先輩としても、もちろん異性としてもね」
「志望校を弥生大にしたのも、佐貫先輩が理由ですか?」
「それはカリキュラムとか就職率とか、色んなことを総合的に考えた結果だよ。その中に佐貫先輩が含まれていないって言ったら、嘘になるけど」
「ていうか、もういい? 言い出しておいてなんだけど、かなり恥ずかしくなってきた」と成が言うので、晴明は質問を止めた。
成は残りのアイスコーヒーを一気に飲み干し、「本当に誰にも言わないでね」と念を押してくる。
晴明は「はい、もちろんです」と、真摯な表情で答える。にやついたらここまで話してくれた成に、申し訳が立たなかった。
週末になって劇の練習は、早くも立ち稽古に突入していた。
桜子と芽吹が台本を読み、佐貫と泊と渡が試行錯誤のもと、動きをつけていく。泊主導のもと、動きを固めていく作業は、一進一退の繰り返しで、晴明には何千ピースもあるジグソーパズルを完成させるような。気の遠くなる作業に感じられた。
それでもめげずに取り組んでいる泊たちを見ると、自分もできることをしなければと思える。
動きが決まっていくたびに、晴明はそれを台本にメモした。劇中でかける音楽のイメージを膨らませるために。
練習は午前中に終わった。土曜日ということで、会議室の使用予定も多く、かえって練習時間は短くなっていた。
確認事項も話し終えて、晴明と桜子は二人で駅への道を帰ろうとする。
だけれど、この日は少し様子が違った。歩いている二人に、後ろから駆け寄ってくる足音があった。
「よかった。やっぱり二人一緒で。ねぇ、少し歩きながら話さない?」
二人を呼び止めたのは、泊だった。スクールバックを肩にかけて、爛々とした目をしている。
「いいですけど、とま先輩、家こっちの方じゃないですよね?」
「ああ、それなら大丈夫。ちょっと部室に寄ってから帰るから」
本心なのか、二人と話すための方便なのかは分からなかったが、桜子が了承したのを見て、晴明も頷いた。
泊は晴明の横に並んだ。すぐそばに来られることが珍しくて、晴明は何を話したらいいか、上手く言葉が思いつかない。
「合宿の時はありがとね。誕生日祝ってくれて」
「いえいえ、成先輩たちみたいに何も用意できずにすいませんでした」
「謝ることないよ。気持ちだけで私嬉しかったんだから」
二人は晴明を飛ばして、言葉を交わしている。
自分の頭上で行われるかけ合いに、少しバツの悪さを感じて、晴明はおそるおそる口を開いた。
「泊先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫って何が?」
「いえ、演じるだけでも大変なのに、演出まで兼任していて、疲れてそうだなって」
そう言うと、泊がいたずらに微笑んでみせるから、晴明は何か見当違いなことを言ってしまったのかと、心配になった。
「ありがとね。心配してくれて。似鳥からその言葉が聞けて嬉しいよ。もう完全にアクター部に馴染んでるね」
弾む泊の声を聞いた瞬間、晴明には照れくささと、あと半年もすれば退部する申し訳なさが同時にやってきた。後者を押し込めて、晴明は不器用な笑顔を作る。
「私なら大丈夫だよ。ちゃんと毎日七時間寝れてるし。それに、私と佐貫にとってはこれが最後の活動だからね。心残りができるのは嫌なんだ」
強められた語尾に、晴明は泊のこの劇にかける意気込みを感じ取る。
「もちろんです! これからもっともっと頭をひねって、良い劇にしていくつもりです!」と桜子が宣言する。その言葉に、泊はにっこりとはにかんでみせた。
「うん。佐貫ともよく話しといて、ピッタリ息が合うまで練習しようね。もう時間はあまりないから集中して、ね」
泊の言葉は桜子の気を引き締め直したようで、はっきりとした返事を晴明は隣から聞いた。
「それと、似鳥さ。明後日部活休みじゃん。放課後空いてる?」
「特に予定はないです」
「だったらさ、音響の打ち合わせしようよ。舞台監督の成も交えて」
何てことないように泊は言っていたけれど、晴明にはとうとう来たかという感覚があった。これまでも、練習が終わった後やラインで少し話はしていたものの、席を改めて話をすることは初めてだ。
先輩二人と顔を合わせると萎縮してしまいそうだったが、音響を任されているのは自分なのだから、責任を果たさなければならないと晴明は思い直す。
「はい。ぜひ、お願いします」
「よかった。成には私から声かけとくね。場所は駅横のスタバでいい?」
「僕はいいですけど、泊先輩は家とは逆方向じゃないですか……?」
「それならバスで帰るから大丈夫。心配しなくていいよ」
「じゃあ、決定ね」と泊は半ば強引に打ち合わせを設定したが、晴明としても異議はなかった。
五階建てのマンションを通り過ぎ、三人の前には上総台高校が見えてくる。夏休みは終わったが、運動部文化部ともに秋の大会に向かっていて、少し離れた場所からも活気が伝わってきた。
三人は毒にも薬にもならない雑談をしながら、校門へと近づいていく。泊が二人のもとから離れる時間が、刻一刻と迫ってくる。
やったことのないスマートフォンのゲームのことよりも、晴明には泊に聞きたいことがあった。
佐貫のことをどう思っているか。
だけれど、そんな重大事項を軽はずみに聞けるはずもなく、気がつけば三人はもう校門のすぐそばまで来ていた。
「じゃあ、私部室行くけど、二人も寄ってく?」
「いえ、特に用事もないので大丈夫です」
桜子に続いて、晴明も首を縦に振った。
「それじゃあ、似鳥はまた明日。フミはまた明後日ね」
校門へと踵を返す泊。
しかし、無意識のうちに晴明は泊を呼び止めていた。白黒つけない方がいいこともあるというのに。
「何? 似鳥」
「……泊先輩は、東京の映画専門学校に行くんですよね。べ、勉強の方は進んでますか?」
佐貫のことを聞いたら、何かが決定する代わりに、何かが壊れてしまいそうで、晴明は恐ろしかった。
だから、呼び止めたにもかかわらず、ラインでもできそうな声かけをしてしまう。
泊は微笑を浮かべた。
「うん、ちょっとずつ専門的な本を読んだり、ビデオカメラをいじったりしてるとこ。心配してくれて、ありがと。何か練習とかしたくなったら、似鳥やフミにも声をかけるかもしれないから、そのときはよろしくね」
手を振ってから、校門へと向かって行く泊を、二人は再び呼び止めることはしなかった。
晴明には揚々と歩く後ろ姿が、自分の目指す道を一直線に進んでいるようで、頼もしく感じられた。
校庭から運動部のかけ声が聞こえてくる。
桜子に声をかけられるまで、晴明は離れていく泊を見続けていた。
「じゃあ、今回は大体こんなとこかな」
泊が話をまとめると、晴明は小さく息を吐く。隣に座る成がすぐさま「ありがとうございます」と言うので、カフェオレを飲もうとした晴明も、慌ててそれに続いた。
音響打ち合わせは、終始和やかなムードの中行われて、晴明が心配したような手厳しさは全くなかった。
あくまでも楽しんで劇を作ろうという姿勢が伝わってきて、それが晴明には心地よかった。
「どう、似鳥? 来週までに音楽持ってこれそう?」
「何とか探し出してみたいと思います」
「さっきも言ったけど、効果音はネットにフリー素材もあるから、それも活用してね」
「はい、南風原先輩も泊先輩も色々教えてくださって、ありがとうございました。お二人の要望に沿えるよう色々探してみたいと思います」
「私たち二人じゃなくて、似鳥も含めて三人でしょ。似鳥だって色々提案してくれたじゃん」
さりげなく泊につっこまれて、晴明は困ったように笑ってみせた。苦肉の策だったが、泊も成も微笑みを返してくれたところを見るに、間違った反応ではなかったらしい。
晴明は台本と筆記用具をスクールバッグにしまう。店内はさほど混んでおらず、三人の両側の席は二つとも空いていた。
「ちょっと、似鳥。もしかして帰ろうとしてる?」
成に図星を突かれ、晴明は戸惑う。自分がここにいるべき理由なんて、もう一つもないというのに。
「いや、だって南風原先輩と泊先輩はこの後、照明の打ち合わせもあるんですよね。だとしたら、僕はもう帰った方がいいのかなと……」
「ああ、それなら大丈夫。私も成も時間あるし。それよりせっかくだから少し話してかない?」
本人にその気はないのだろうが、泊の提案は強い磁力を帯びていた。ここで断って店を出るのは、あまりにも心証が悪いだろう。
だから、晴明はスクールバッグを下ろして、「では、お言葉に甘えて」と言うしかなかった。口にしたカフェオレの味も少し薄く感じられた。
(続く)




