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【第7話】照れるかと思ったよ




「では、ウッピー、よろしく!」


 田鍋が告げると、ハンガリー舞曲は止まり、代わりにウクレレとスチールギターの、なだらかな演奏が流れ始めた。


 ウッピーが膝を曲げて、緩やかなステップを刻みだす。手を水平にして、波のように揺らす。弛緩した夏日の空を存分に謳歌している。


 スマートフォンを構える人も増えてきた。後ろからすこしざわめきも聞こえてくる。


「ってまさかのフラダンス!? ウッピー、ハワイ好きなの?」


 田鍋の突っ込みに、ウッピーはまたしても手を突き出す。気のせいか、その口元が緩んでいるように晴明には見えた。


 ウッピーに対抗心を燃やしたのか、今度はサッピーが田鍋を手招きして、耳打ちをした。意外とあっさり終わる。


「皆さん、ウッピーに負けてられないと、サッピーも特技を披露してくれるようです!」


 泊が大きく拍手をして、ウッピーが驚いたのか、大袈裟にのけぞってみせる。


 会場の期待が、開始から倍以上に膨らんでいるのが、晴明には手に取るように分かった。


 「では、サッピー! よろしく!」


 田鍋の声にも張りが増している。


 言葉に応えたのはアテンドの男性。紫の座布団をステージ中央に敷く。サッピーは扇子を持たされ、座布団に正座した。


 BGMはまたしても変わり、鉦の音が鳴り始めた。


 アテンドが隠れるように、後ろに座る。正面からは、サッピーが喋っているように見える構図だ。


「みなさま、こんにちは。海浜亭サッピーでございます。近頃はすっかり春めき、本日に至ってはもう夏の陽気。陰暦では四月のことを初夏といったようで。昔の呼称かなんて思ってしまいますが、これがどうしてなかなか侮れないもんです」


 サッピーは膝に手を乗せて、体の向きを頻繁に変える。扇子を広げて仰いでもいる。


 何をしているのか晴明にはピンとこなかったが、隣の渡は小さく笑っていた。聞くと、これは落語に入る前に噺家がする枕なのだという。


 先ほどの動のウッピーとは打って変わって、サッピーは静で攻める気らしい。


「では、ここで小噺を一つ。何十年もの昔からペットに服を着せるのが流行っていますが、これはウサギに関してはしない方がいいんですね。むしろ、裸のままでいさせた方が、一匹の相手に夢中になるんです。なぜかって? は着物なんてろくなもんじゃないでしょう」


 サッピーが扇子で、ポンと膝を叩く。


 前の席の子どもはポカンとしていたが、その隣の両親は肩が震えていた。


 可愛らしい見た目とは裏腹に、サッピーはなかなかきわどいことを言う。


 細かく動き直す度に、サッピーへの注目度が上がっていくのを晴明は感じた。


「では、最後はなぞかけで締めさせていただきたいと思います。住宅展示場と掛けまして、英語で私と解きます。その心は、どちらもアイが大きいでしょう。お後がよろしいようで」


 再びスピーカーから囃子が流れる。サッピーは顔を前に向けたまま、腰を曲げる。終了の合図だ。


 打ち合わせをしていたのか、アテンドも同じタイミングで頭を下げる。


 晴明たちが先導するまでもなく、客席からはいくつも拍手が巻き起こる。見物客は、スタートの三倍に増えていた。


「サッピー、ありがとう! まさか落語とは思いもよらなかった! 意外と渋い趣味してるんだね!」


 立ち上がったサッピーは、立候補したのにもかかわらず、顔に手を当てて恥ずかしがっている。度胸があるんだかないんだか。


 それでも、晴明は恥ずかしがるサッピーを、いつの間にか無下に扱うことはできなくなっていた。薄黄色の顔が紅潮しているようにさえ見える。


 気づけば二体が登場してから、もう一〇分の時間が経っていた。ウッピーが田鍋に三度耳打ちをする。


「せっかくだから、最後はみんなで一緒になって踊りたい? でも、音楽がないんじゃ……。え? 音楽は用意してあるから大丈夫?」


 やり取りをする両者から、晴明は目を離さない。話が終わったのか、田鍋が笑顔で呼びかける。


「みなさん、ウッピーとサッピーがこれから、音楽に合わせて踊ってくれるそうです! もし振り付けを知っていたら、みなさんも一緒になって踊ってくれると嬉しいです!」


 田鍋はウッピー、サッピーと目を合わせる。二体が頷き、「それでは、ミュージックスタート!」との掛け声とともに右手を振りかざす。


 スピーカーから流れてきたのは、晴明でさえ聞き覚えのあるメロディだった。曲が始まった瞬間に、前の子どもが少し前のめりになる。隣で手拍子を送る渡に流されるように、晴明も手を叩いた。


 のどかな空気が、ステージと客席を包んでいる。


 腕をいっぱいに上げて、大きく両手を振り回すウッピー。指で星を描くサッピー。


 サビに入ると、目の前の子どもが我慢できないといった様子で立ち上がり、振り付けをまねして踊り始めた。一人だけではなく、何人もの子供が踊ることができていて、浸透度の高さに晴明は少し驚く。


 ハーメルンの笛吹に引き寄せられたみたいに動く子供たち。子供につられて何人かの大人も、サビの動きを真似している。


 晴明は清々しさを感じていた。拍手も、自然と軽快になる。


 間奏が終わり、サビ前のメロディに入ると予期せぬことが起こった。ステージ上の二体と三人は手を叩きながらスキップをしている。


 すると、それに招かれたように、何人かの子供がステージに上がり始めたのだ。これはアクシデントではないだろうか。


 しかし、泊はシャッターを押すばかりで、止める気配はない。思い思いに動き回る子供たちを、田鍋も咎めない。うさぎ跳びで、跳ねまわっているだけだ。


 ダンスを止めてはいけないと思ったのか、それとも子供の好きなようにした方が、思い出になるとでも考えているのか、親たちもステージに上がって引きずりおろすことはしていない。それどころかスマートフォンを取り出して、撮影している者さえいる。


 放任主義ここに極まれりといった様子だが、手拍子は止まない。曲は飛び入り参加した子供も含めて、全員が中央に集まり、一つの花のように手を開いて終わった。閑散としたスタートからは想像もできないような盛況ぶりだ。


 壇上ではウッピー、サッピーと子供たちがハイタッチをしている。しっかり屈んで子どもに目線を合わせるところに、晴明は親密さを感じた。一通りが終わると、田鍋がしっかりとした息遣いで幕を引く。


「それでは、これでウッピー・サッピーのマスコットショーを終わります! ですが、これでお別れではありません。ここからは触れ合いの時間を設けたいと思います! 二人と直接触れ合いたい方は、どうぞステージにお上がりください!」


 正式な解禁が降りたからか、壇上の子供たちが、積極的に二体に群がり始める。挙動は落ち着いていない。


 ステージには親と思しき大人が上がり、アテンドと協力して、列を作るように奮闘していた。


 田鍋が「焦らなくても時間はたっぷりありますからね」と促したおかげもあり、カオスはいったん落ち着き、壇上には秩序ある賑わいが起こる。


 握手。ツーショット写真。二体はファンサービスに勤しんでいる。


 子供に勧められて、恥ずかしそうに手を差し出す父親の手も力強く握っていて、彼らには年齢性別は関係ないのだと晴明は思い知った。


「私はこれから近くで写真を撮るためにステージに上がるから。マトたちもせっかくの機会なんだし、触れ合ってきなよ」


 泊がカメラの写真を確認しながら言った。「でも……」と渋る桜子。しかし、泊はそんな桜子の手を引っ張って、ずんずんとステージの方に進んでいく。桜子は嫌がるというよりも、呆気にとられるといった感じだ。


 二人の様子を、晴明は静かに眺める。頭の中では、行った方が経験になるのではという考えと、もう高校生なんだから恥ずかしいという考えが衝突していた。動かない晴明の心に、一筋の言葉が差し込む。


「行こう」


 隣の渡が晴明の顔を見て、小さく呟いた。渡の瞳が、しなやかな光を湛えたように見える。


 その言葉に晴明は導かれ、一歩を踏み出す。


 ステージに上がり、サッピーの列の最後尾に並ぶ。隣では桜子が一人でウッピーの列に並んでいて、目が合うとどちらからともなく笑みがこぼれた。


 前の子供が去り、晴明の順番が来る。


 晴明の後ろに並んでいるものはおらず、泊のスマートフォンは、ウッピーへと向いている。晴明とサッピーの接触を物的証拠として残すものはなく、そのことがいくらか晴明の心を落ち着けた。


 目の前のサッピーが右手を差し出している。晴明は右手でそっとその手に触れた。柔らかな繊毛と、弾力のある肌に隠された暖かさが、晴明の手と心を包む。


 顔を上げると、恥ずかしがることないよと、サッピーの目が語り掛けてくるようだった。


 サッピーは左手も出して、晴明の右手を優しく挟んだ。ゆっくりと上下に振ってくれる。


 その度に、晴明は自分のつまらない偏見が、じわじわと溶かされていくのを感じていた。


 マスコットは子供だけのものではない。全世代に開かれた存在なのだ。


 しばし見つめ合うサッピーと晴明。言語を介さないコミュニケーション。たぶん思っていることは違うだろう。


 着ぐるみに思考なんてあるはずないのに、晴明はサッピーが楽しんでくれていたらいいなと感じていた。


 小さく手を振るとサッピーは両手で振り返してくれる。暖かい沼への誘いだ。


 だが、時間というものは容赦なくやってくる。


 晴明は手を振ったままゆっくりとサッピーから離れた。


 田鍋の「これにてふれあいの時間は終了です! 今日はありがとうございました!」という声がスピーカーから響く。


 何度もお辞儀をするウッピーとサッピーに、晴明は単純な名残惜しさを抱いた。






「二人ともお疲れさま。すごく良かったよ」


 泊が開口一番に発した。


 成と佐貫の二人はもう着ぐるみを脱いでいて、手持ちの扇風機で涼を取っている。成も佐貫も汗にまみれていて、黒いTシャツでも襟元が濡れているのがはっきりと分かる。


 「暑っつ」と言いながらも成の顔は満足気で、そこに晴明は少なくない手応えを見る。


 ふとブルーシートに目をやると、移動式のラックに着ぐるみが吊され、入り手のいなくなった胴体がだらんと垂れていた。


「フラダンスも落語もウケてたし、パプリカは言わずもがなだよ。まだツーステ目もあるけど、とりあえずは成功って言っていいと思う」


「やっぱパプリカですよね。ちょっと侮っていたところはあったんですけど、みんなあれだけ踊れるとは思いませんでした」


「練習してくれた会社の人たちにも感謝しないとな。あとでまたお礼言いに行こう」


「ステージが上手くいったのも、田鍋さんが元気よく引っ張ってくれたのが大きいですしね。あの人すごいですよね。もう女優さんですよ」


「田鍋さん、実際、昔は劇団入ってたみたいだよ。しかもけっこう有名な。先週の打ち合わせでそう言ってた」


「え!? マジですか!?」


 晴明と桜子、それと渡と五十鈴そっちのけで盛り上がる三人。疲れていないのか、与太話に花を咲かせている。


 だが、渡は慣れているのか、すっと全員の分の麦茶を紙コップに注いできて、差し出す。何もしていない晴明と桜子にさえも。


 先輩に勧められた手前、断りづらく、晴明は麦茶を受け取って口に運ぶ。体が冷えていく感触に、じっとしているだけでも、季節外れの暑さに疲弊させられていたのだと気づく。


 パイプ椅子に座った三人は麦茶を片手に話を続けている。次の出番までさえ話していそうだ。


 ステージではビンゴ大会が行われているらしく、田鍋が快活な声で番号を読み上げるのが聞こえてくる。桜子が思い切って口を開いた。


「あの、私もステージすごく良かったと思います。想像以上に盛り上がっていて、観ていて楽しかったです」


「どれほどのものを期待してたか分からないけど、ありがとね。フミが『サッピー!』って大声で呼んだのにはちょっと笑っちゃたけど」


「あれは少しおかしかったよな。でも、嬉しかった。ありがとな、文月」


 二人に感謝されて、桜子は少し身を縮こませる。晴明からすれば、依然見上げる対象であるのに変わりはない。


「あの、さっきのステージってどれくらいまでが台本だったんでしょうか。子供たちがステージに上がってきたのも筋書き通りなんでしょうか」


「あれはサプライズだな。俺たちも驚いた。だけど、それ以外は全部泊の台本。喋る内容もフラダンスを踊るボケも、小噺も謎かけも全部泊が考えてくれた」


 「な?」という佐貫の呼びかけに、泊は笑顔で答えた。「そんな大それたことじゃないよ」という謙遜つきだ。


 晴明は彼女こそが、ステージの司令塔だったのだと実感する。


 桜子の泊を見る眼差しには、羨望が含まれていた。


「で、似鳥くんはステージ見てどう感じた? 楽しんでくれたんなら良いんだけど」


 笑顔のまま泊が話を振ってくるので、その唐突さに晴明は言葉に詰まってしまう。成と佐貫も好奇心まるだしの目で晴明を見ているから、余計プレッシャーだ。


 困ったように笑ってみせる。そして、心の底から言葉を生み出す。


「素敵だと思いました。客席にいる誰もが気持ちのいい顔をしているように思えて。とても幸せな場所だと感じました」


「よかったぁ。似鳥が認めてくれて。馴染みの薄い似鳥が良いって思ったってことは、きっと他の人もそう思ってくれたってことだから」


 真剣に耳を傾けていた成がほっと胸をなでおろすのを、晴明は意外に感じた。自信を持って堂々と演じているのかと思いきや、本心は違っていたらしい。


 成の目が細められる。扇風機から吹く風が、汗に濡れた髪の毛を揺らしている。


「そういえばさ、似鳥、じっとサッピーの目見つめてたでしょ。あれ中からちゃんと見えてたからね。あんなに見つめられて照れるかと思ったよ」


「それは、サッピーが愛らしかったのでつい……。快活な動きと、可愛らしい瞳のギャップにグッときたと言いますか……」


「それって、サッピーに入ってる私の動きを良いって思ったってことだよね。ありがと。スーアク冥利に尽きるよ。似鳥、結構褒めるの上手いじゃん。最初会ったときはもっと口下手だと思ってたけど」


 「そんなことないですよ」と、晴明は軽く笑みを浮かべながら答えた。


 体が火照っていることを感じて、空の紙コップを口に運ぶ。はっと気づいた晴明の動作を、成は笑って少し茶化した。


「まあ、アクター部の活動っていうのは大体こんな感じなんだけど、二人ともどうだ? 興味あるか?」


 パイプ椅子から立ち上がって、佐貫が言う。二人の目の前に現れた分岐点に違いなかった。


 横目で見た桜子は少し迷った様子を見せていたが、晴明は迷わず大きく頷いた。桜子も後を追うようにして頷く。


 二人は一つの道を選んだのだ。泊も成も渡も頷いている。二人の目を見てから、佐貫は自信たっぷりに口にする。


「じゃあ、興味があるなら、入部届を書いて、担任の先生の判子をもらって、俺か泊のとこまで持ってきてくれ。俺たち同じB組で、どっちかは必ず都合つくはずだから」


 そう言うと、佐貫はまたパイプ椅子に腰かけた。白い腕が汗をまとってかすかに輝く。


 晴明たちも隅に立てかけられているパイプ椅子を持ってきて、六人は輪になるように座る。五十鈴に怒られない程度に学校の愚痴や、駅前にオープンしたフードコートなど、本当にありふれた話をした。


 晴明はあまり発言できなかったが、それでも一人でいるよりは、幾分ましだと感じていた。




(続く)

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