【第6話】ウッピーとサッピー
週末は今年最初の夏日となった。昨日までの長袖だと立っているだけで汗が滲んでくる陽気だ。
住宅展示場は国道を少し入ったところにあり、晴明が辿り着いた一二時には既に多くの人が来場していた。
道路の真ん中にある噴水を挟むように、四軒ずつ並んだ新築の一戸建て。塗装されたばかりの外壁が日光を反射して、眩しく輝いている。
眺めてみると、複数人で来場している人が多く、一人で来ているのは晴明だけだった。目の前を女の子が走り去っていく。テントもいくつか出ていて、飴のつかみ取りに子供たちが群がり、季節外れのかき氷がよく売れていた。
一番奥には一段高い特設ステージが設けられ、紅白の幕の前で名前も知らないお笑い芸人が、コントを披露している。残念ながら、パイプ椅子はまばらにしか埋まっていないけれど。
入り口で佇んでいると、晴明は青色の法被を着た男性に話しかけられる。両衿に会社名が印字されていて、スタッフなのだと感づく。
晴明は事情を説明し、ステージ裏へと案内してもらった。道路に面したステージ裏は白い仮設テントが二基設置されていて、そのどちらにもくすんだ幕がかかっていた。
さすがに見られたら困るのだろう。入り口にもそれぞれスタッフが配置されていて、やってくる子供に気を配っている。
晴明がテントに入ると、そこにはパイプ椅子に座ってアクター部の面々と桜子がいた。佐貫と泊と南風原の三人はパイプ椅子に座って談笑していて、渡は机の上の麦茶を飲みながら、顧問である五十鈴朱美と話している。
奥のブルシートの上には、ピンクとレモンイエローの着ぐるみが二体。
所在なさげに立っていた桜子が、いち早く気付いて声をかけてくる。
「ハル、遅いよー。あと少しで出番なのに」
晴明としてはちゃんと五分前行動に基づいて来たはずだから、そう言われるのは少し心外だった。
何分前に来ていたのかと聞くと、桜子は二〇分前に、先輩たちは一時間半も前に来ていたという。もっと早く教えてくれればよかったのにと思うのも束の間、佐貫が椅子から立ってこちらに向かってきた。
黒い長袖のシャツの上に、ポケットがいくつもついた灰色のベストを着ている。
「似鳥、ようやく来たか。待ちくたびれたぞ」
佐貫の声は最初にあった時よりも弾んでいた。心の底では、不安を感じていたのだろうか。「遅れてすみません」と晴明はまず謝った。
「別に遅刻したわけじゃないから謝んなって。来てくれてありがとな。ところで似鳥はこういう着ぐるみショーはじめてか?」
「はい。ウチはこういうところに連れて来てくれる家庭ではなかったので」
「じゃあ簡単に説明するな。これから俺と南風原はあそこにあるうさぎの着ぐるみに入る。一〇分ショーをして、二〇分グリーディング。グリーディングっていうのは簡単に言うとふれあいの時間ってことな。それを時間を空けて二回繰り返すんだ」
「ウッピーとサッピーっていうんですよね。うさぎだから」
成が話に割りこんできた。パイプ椅子の背もたれに両手をかけて、大きく足を開いている。学校のジャージを履いているから、何も心配はない。
「私が入るのがピンクのサッピーで、佐貫先輩が入るのが黄色のウッピー。人前に出るのは今年では初めてなんですよね」
手を広げながら話す成の言葉に、佐貫は頷いた。扇風機もないテントは、せいろの中みたいに蒸している。佐貫は額に早くも汗をかいていた。桜子が心配そうに声をかける。
「先輩大丈夫ですか。今日は今年一番暑いですけど」
「たぶんな。着ぐるみにはファンがついてるし、このベストにも保冷剤を入れられるようになってる。汗が拭けないのがちょっと大変だけどな」
「あの、ショーって何をやるんですか?」
晴明の質問には成が答えた。
「まあ簡単にボケて、アテンドをしてくれる社員さんにツッコんでもらったり、あとは『パプリカ』を踊ったりとかするかな」
「ボケたり動いたりするのって、もしかして即興ですか?」
「グリーディングは即興だけど、ショーはとま先輩が台本を書いてくれてるから、基本はその通りにやるつもり」
「ですよね?」と成が泊に尋ねる。泊は自分の顔をうちわであおぎながら、大きく頷いた。
気づけば外の芸人のコントは終わっていて、ステージには去年のヒット曲が流れている。
青い法被を着たスタッフが「あと一〇分で出番です」と伝える。
五十鈴を除く四人は、着ぐるみへと向かいはじめる。晴明と桜子もついて行くように、ブルーシートの前に立った。
佐貫と成は、ブルシートのそばのクーラーボックスから、保冷剤を取り出してベストに入れると、着ぐるみの胴体を着始めた。
着ぐるみはチャックを下ろして着るものとばかり思っていた晴明だが、二人は着ぐるみを足からパジャマみたいに着だし、オーバーオールよろしくベルトをつけた。着ぐるみの腕に手を入れると、さっきまで横たわっていた着ぐるみに厚みが加わる。
着ぐるみの頭部を抱えている泊と渡。真円の黒い目に、白いハイライトが入っていた。
「じゃあ、俺たちはこれからステージに出るから。泊と渡と一緒に椅子に座って見ていてくれよ」
頭以外はうさぎと化した佐貫が言うから、どうも格好がつかないなと晴明は感じたが、桜子と目を合わせてから首を縦に振る。
佐貫は小さく頷き、成は右手を前に出して微笑んでいた。
二人はしゃがんで頭をつけてもらう。まごうことなきウッピーとサッピーの出来上がりだ。
動きを確認している二人をよそに、泊が近づいてきて「客席に行ってよっか」と晴明と桜子に言う。
二人は泊の後をついて行きながら、テントから出て行った。渡もついてきていたが、客席に着くまで何も言葉を発しなかった。
ステージの前のパイプ椅子は、四脚ずつ二列に連なっている。晴明と桜子は左側の真ん中二席に腰を下ろした。桜子の隣には泊がいて、晴明の隣には渡が座っている。
座ってみると、ステージは思ったより低くて、小さな子供でも簡単に上れそうな高さしかなかった。客席にいるのは四人の他にはあと六人くらい。誰もステージの方を向いていない。キャラクターの登場を楽しみにしているというよりは、疲れて腰を下ろしているとみなした方が適切だった。
ウッピーとサッピーに、地の利はさほどない。
ステージの両側にはスピーカーが設置されていて、流行った曲なら何でもいいのか、爽やかな晴れ空に似合わない、ゆったりとしたバラードが流されていた。
「あまり注目されてないですね」
そうあけすけに言えてしまうのが、桜子という人間である。泊は困ったように苦笑した。
「そうだね。もっと遊園地のキャラクターみたいに、人がバーッて集まってくると思った?」
「なんかチーバくんとかふなっしーとか、その辺をイメージしてました」
「そんな千葉のBIG2と比較されても困るよ。ウッピーとサッピーは企業のHPやパンフレットにいるとはいえ、あまり露出の多くないキャラクターだから。大体こんなもんだよ。ね? マト?」
渡は両手を膝の上に乗せて、目線を落としていた。二人を飛び越えて、自分に話が飛んでくるとは思っていなかったのか、「え……? ああ……。はい……」と返答もしどろもどろだ。
来場している小学生でも、渡より背の高い子はいくらでもいて、本当にこの人は先輩なんだろうかと、晴明は的外れな危惧を抱いてしまう。
「そうだ。二人ともスマホ持ってきてるよね。良かったら写真撮ってよ。いい写真があったら企業のSNSやブログに乗せるよう言われてるんだ」
泊がそう呼びかけたので、桜子はさっそくスカートのポケットから、スマートフォンを取り出した。
例のVtuberのスマホケースに、泊が一瞬固まったように晴明には見えた。晴明はもう慣れっこだが、泊はVtuberに、あまり馴染みがないのだろうか。
それでも、すぐに柔和な表情を取り戻す。
「うん、文月さんはそれで写真撮っておいて。似鳥くんはスマホ家に置いてきたの?」
「あの、僕は二人の先輩がどんな動きをするのか、直に目で確かめたいと思いまして。今回は遠慮させてもらっていいですか」
「もちろんいいよ。良い心がけだと思う。実際に目で見ないと分からないこともあるしね」
本当は入学式の件があって以来、写真というものを忌避しているからなのだが。言ってしまうと泊に詮索されそうで、晴明は自然とごまかしていた。
バラードが終わり、続いて流れた曲に晴明は一瞬で感づいてしまう。
ブラームスのハンガリー舞曲第六番。オーケストラアレンジがなされている。
キャラクターの呼び込みにクラシックを選曲するあたり、この住宅展示場がどんな層をターゲットにしているのかが、ありありと分かった。
曲がはじまると、すぐに青い法被を着た女性が出てきた。たぶん会社員なのだろうが、ナチュラルメイクは素朴で、ピンマイクが似合っている。「みなさーん! こんにちはー!」と発する姿は、国営放送のうたのおねえさんのようにも晴明には見えた。
きっと人前に立つことに慣れている桜子と、同じ人種なのだろう。
返事は少ない。
「本日はCBSハウジングパークのオープンイベントに、ご来場いただきありがとうございまーす! 私、ステージの司会を務めます田鍋です! よろしくお願いします!」
一席前に座った子供が、親に話しかけている。全く興味がないといった具合に。
活発な声は触れられることなく空に溶けていく。
晴明が横を向くと、渡の顔が若干ひきつっていた。
「今日はCBSハウジングパークのオープンということで、住宅の方も内見していただいたと思いますが、どうでしたか? 新しいお家は?」
田鍋は果敢にも、その子供に話しかけていた。急に指名されてその子供は固まってしまう。母親が申し訳なさそうに「きれいでした」と答える。
表情は見えないが、たぶん苦笑いを浮かべているのだろうと、晴明は察した。
「そうですか! 私たちも気合いを入れて作ったので、それは何よりです! どうぞこの後も楽しんでいってください! それでは、ここで本日のゲストをお招きしたいと思います! 当社マスコットキャラクターのウッピーとサッピーです! 皆さん、どうぞ温かい拍手でお迎えください!」
デジタルカメラを構えた泊に促されて、晴明は小さい拍手を送った。
だが、そのしょうがなしの拍手でも、会場では田鍋に次いで、二番目に大きな拍手だった。
他の来場者は拍手をしてくれないし、渡の拍手はしているんだか、していないんだかよく分からない。サクラだったらクビになっていそうだ。
ほとんど内輪の人間しか歓迎していない中で、ウッピーとサッピーはアテンドに手を引かれながら、ステージに上がった。二体は瓜二つの顔をしていて、泊が言うには双子らしいが、晴明には両者の違いは体の色と、サッピーの目元に、まつ毛が描かれていることぐらいしか感じ取れない。
泊と桜子のシャッター音がBGMのハンガリー舞曲に混じる。
二体が登場しても会場の空気は、悲しいくらい変わらなかった。
ステージの中央に二体が立ち、アテンドはいったん後ろに下がる。ウッピーは元気よく、腕を振り回したり、足を広げたりしているのに対し、サッピーは来場者に向かって、精一杯のお辞儀をしていた。頭を下げることなく、腰を折っている。
双子といえども、性格は違うらしい。
「皆さん、盛大な歓迎ありがとうございます! 二人も喜んでると思います! ね? ウッピー? サッピー?」
ウッピーは手を大きく振って、前後に突き出したりしている。まるで飼いウサギのような無邪気さだ。
一方のサッピーは手を前に置いて、頭を小さく動かしている。それは恥ずかしがる子供のように晴明には見えた。
「では、改めてご紹介したいと思います! 皆さんから見て左側の薄黄色の子が、元気いっぱい、ウッピーです!」
ウッピーは体を少し曲げて、顔の近くで手を振っている。さらに淡い肉球がすらりとした曲線を描く。
泊が「ウッピー!!」と声援を送る。明らかに不自然で、関係者だと気づかれてしまわないか、晴明は少し肝を冷やした。
だが、ぴょんぴょん跳ねて喜びを表現するウッピーを見ていると、別に気づかれてもいいかと思えた。
「ありがとうございます! では、続いて皆さんから見て右側のピンク色の子が、いつも丁寧なサッピーです!」
サッピーは両手を広げてから、まるで紳士がするようなかしこまったお辞儀をしてみせた。心なしかサッピーの表情が精悍に見える。
泊につつかれた桜子が、ためらいながらも「サッピー!」と声に出す。背の高い二人はよく目立ち、サッピーよりも桜子に注目が集まってしまっていた。
ステージでは、サッピーが隣にいた田鍋に耳打ちをしている。うんうんと頷きながら聞く田鍋。
その耳打ちがやたらと長く、来場者の目を否が応でも引きつける。これも泊の台本なのだろうか。
やがて、田鍋が耳を離す。
「ウッピーは、今日はみんなに会えて嬉しいみたいです! 4ー6ー3のゲッツーが決まったときぐらい、嬉しいそうです!」
どうして野球で例えるのかと思ったが、そういえばここは野球場が近かったなと晴明は思い出す。道中では、地元チームの野球帽をかぶった子供も目にした。
それに、前に座る子供の父親がかすかな笑いを漏らしている。ウッピーの狙いは、奏功したらしい。
「お礼に今日はウッピーが、特技のダンスを見せてくれるそうです! 皆さん見たいですよね!」
今度はまばらな拍手が聞こえた。来場者も少しずつステージに注目しつつあるらしい。
ウッピーが三歩前に出た。手を自信たっぷりに突き出す。
平たいのでわからないが、きっとサムズアップをしているのだろう。
「では、ウッピー! よろしく!」
(続く)