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【第5話】ナカニヒトナドイナイ



「え? もしかして終わりですか?」


 おそるおそる尋ねてみる。すると亀が晴明の方を向いて、両前足を大きく広げ、脅かしてみせた。


 だが、そのデフォルメされた外見は迫力に欠け、晴明は依然戸惑ったままでいた。


 それでも、めげずに近づいてくる亀。両者の間は一メートルもない。


 距離を取ろうと、晴明が手を伸ばして押しやろうとしたそのときだった。


「ちょっと、トータルくん。その辺にしときなよ」


 泊の声が、トータルくんと呼ばれたその亀を制した。立ち上がって、トータルくんの右前足を掴む。トータルくんは肩を落とし、しゅんとした仕草をしてみせた。


 気づけば、成も佐貫も起き上がっている。桜子も物音に反応したのか、目を開けた。


 成がスマートフォンへ向かっていき、音楽を止めると、校庭から運動部の掛け声が一気に流れ込んできて、晴明は現実に引き戻される。


 トータルくんは泊に連れられながら、ゆっくりと部室の一番端に移動し始めた。元々そこにいた桜子が空気を読んで、晴明の横に再び戻ってくる。


 窓からは西日が差し込んで眩しい。


 左から右へ身長が高くなっていく三人と一体はまるで、携帯電話のアンテナのようでもあった。二本目の佐貫が両手を握りながら語る。


「あの怪獣Tが最後の一匹だとは思えない……」


「佐貫、もういいって。二人とも困ってるじゃん」


 泊のツッコミに、佐貫は小さく笑う。トータルくんも腹を抱えて、笑いを表現している。


 晴明と桜子はバカみたいに口を小さく開けていた。


「似鳥晴明と文月桜子で合ってるよね。成から話は聞いてる。で、どうだった? 俺たちの寸劇?」


 どうだった? と聞かれても、二人には答えようがない。唐突に寸劇が始まり、知らないうちに巻き込まれて、気づいたときには終わっていた。


 できなかったけれど、その場に適応することで、晴明は精一杯だった。


「佐貫さ、やっぱり、今の高校生には初代『ゴジラ』はなじみが薄いんだよ。もう六五年も前なんだから。やるとしたら『シン・ゴジラ』の方が良かったんじゃないの」


「でも、成がどうしても『ゴジラ』のアナウンサーやりたいって、言うからなぁ」


「だって『ゴジラ』のアナウンサーって、みんな好きじゃないですか。とま先輩も佐貫先輩も面白そうって賛成したじゃないですか」


 二人をそっちのけで、内輪で盛り上がる三人。仲は悪くないようだが、置いてけぼりになり、晴明はかける言葉に迷ってしまう。


 だが、桜子にはそういった後ろめたさはないらしい。


「あの、三人はアクター部の部員なんですよね」


「今のところちゃんとした部員は五人で、ここにいるのは四人だけどね」


 四人? 今目の前には三人しかいないが? 幽霊部員でもいるのだろうか? もしかして他にも一年生がいるとか?


 一瞬のうちに晴明は、あれこれ考える。佐貫の「じゃあ、改めて紹介するな」という声に、自らの視線が落ちていることに気づかされる。


「この一番小っちゃいのが、南風原成(はいばらなる)。二年生。二人はもう知ってるだろうから説明はいいか」


「南風原です。これから特に似鳥くんにはガンガン指導していくので、よろしくお願いします」


 成は軽く頭を下げた。晴明の横で、桜子が深く頭を下げている。


 どうして自分だけが名指しをされたのか。成と桜子はどんな関係なのか。


 この場で聞くのは事態をややこしくするようで、晴明は喉まで出かかった言葉を飲みこんだ。


「で、俺とトータルくんを飛ばして、一番大きいのが泊詩音(とまりしおん)。三年で副部長」


「泊です。そんなにかしこまらずに『とま』って呼んでくれたら嬉しいです。よろしくお願いします」


 泊はにこやかに言っていたが、自分よりも見た目一五センチメートルは高い二学年上の先輩を、軽々しくニックネームで呼ぶことはできそうにもないなと晴明は感じた。


 目元は優しいが、手は大きく、少し彫像みたいな厳かな雰囲気を纏ってもいる。


「そして、俺が三年の佐貫陽輔(さぬきようすけ)。一応、部長をやらせてもらっています。一年が二人も興味を示してくれて嬉しいです。よろしくお願いします」


 佐貫は三人の中で一番深く頭を下げていた。手もきちんと横に添えていて、スーツ姿だからか、就活生のようだ。


 ひりひりするような眼差しで二人を見ていて、その人柄がうかがえる。


「あの、もう一人はどちらにいらっしゃるんですか?」


 桜子の当然の質問に、三人はにやにや笑っていた。佐貫が左手を横にいる相手の肩に乗せながら、「彼だよ」と言う。


 彼は大きく二回頷いていた。


「彼って、トータルくんですか?」


「いや、違う。泊、もういいってトータルくんに伝えて」


 泊は言われるがままトータルくんの肩を二回叩いた。トータルくんはしばらくもぞもぞしたのち、動きを止めて泊の背中を叩いた。


 すると、泊はトータルくんの頭に両手をかける。


 そして、「よいしょ」という掛け声とともに、トータルくんの頭部を引き抜いた。


 二人はほとんど条件反射みたいに、目を逸らしてしまう。見てはいけないものを見てしまったような。


 おそるおそる晴明が視線を戻すと、黄緑色のトータルくんの胴体から、男性の顔が浮き出ていた。頭に白いタオルを巻いていて、額にはぐっしょりと汗をかいている。大きい目に、薄い唇。一五〇センチメートルの晴明よりも小柄なその男性は、中学生どころか小学生と言われても信じてしまいそうなほど、幼く見えた。


「今日、トータルくんの中に入ったのが、うちの二年の渡真仁(わたりまさひと)。みんなからは略して『マト』って呼ばれてる」


「渡です。…………。よろしくお願いします」


 甲羅を背負ったトータルくんの胴体で自由が利かないのか、渡は小さく頭を動かして挨拶をした。頼りない目つきは、彼をよりいっそう小さく見せ、隣の泊との身長差が目を引く。


 縮こまりそうな渡の横で、佐貫が二回手を叩いた。


「これで今ここにいる部員の紹介は終わり。本当はもう一人いるんだけど……」


「佐貫先輩、それは今言わなくても良くないですか?」


 成が強めの口調で佐貫を制す。少し怒っているように見えるのも、演技なのだろうか。


 佐貫は「それもそうだな」と頷いた。


「じゃあ、これから活動内容の説明に入るけど、大体のことは南風原から聞いてるな」


「はい、演じること専門の部活と聞きました。さっきの寸劇も活動の一環ですよね? びっくりしました」


「それはどういったところで?」


「いきなり寸劇が始まったのも、有無を言わさず巻き込まれたこともありますけど、一番は着ぐるみさえも演じていたことです」


「まあ、それがうちのメインの活動だからね」


 「え?」という声は桜子のものだ。きょとんとした顔で晴明の方を向いている。


 そんな落ち着かない目で見られても、晴明だって驚いているのだから、返す言葉がない。


「生身の役者がメインじゃないんですか?」


 その言葉を受けて、四人は顔を見合わせた。しかし、成がこらえきれずに笑っている。「ちょっと、成。もしかして騙して連れてきたの?」という泊の言葉にも、言葉の代わりに笑顔で返していた。


 佐貫が一つ咳こんでから、また喋り始める。


「えっと、なんかうまく伝わっていなかったみたいだけど、うちの部活はアクターはアクターでも、着ぐるみやヒーロースーツの中に入って演技をするスーツアクターの部活なんだ」


「スーツアクター?」


「そう。トータルくんをはじめとして、地方自治体や企業、スポーツチームから依頼されてやってる部活だ。いわゆる『中の人』だな。あまり多くないけど、ちゃんとお金ももらってる。全部学校に入るけど」


「それってあまり人前には出られないってことですか?」


「まあ、そうなるな」


 きっと目立つことが大好きな桜子にとっては、望まぬ言葉だったに違いない。手をだらんとさせて、分かりやすく落胆していた。長く息が吐かれる。ためらいを体から追い出そうとしているように、晴明には思えた。


「ねぇ、フミ。あんた今ウチに入ろうかどうか迷ってるでしょ。でも悪いんだけど、うちの高校には演劇部も映画部もないからね」


 落ち込んでいる桜子に成が追い打ちをかける。この人には慈悲がないのだろうか。


 桜子の周りの空気はますます重くなり、晴明が励ませるような雰囲気ではなかった。


 だが、桜子は大きくかぶりを振り、背筋を再び伸ばす。誰よりも高いその背丈が、晴明には少し悲壮に感じる。


「大丈夫です。私着ぐるみの中に入れます。言葉を使わずに、動きだけで演じるのも表現力を磨くうえで勉強になりますし」


 つとめて明るく振る舞う桜子。口に出すことで自分を納得させているようだ。


 だが、そんな桜子の虚勢も、数秒で打ち砕かれることになる。


「あの、意気込んでいるところ悪いんだけど、文月さんって身長どれくらい?」


「先週測ったときは一七五センチでした」


「うーん、それじゃあ着ぐるみの中に入るのは結構厳しいかもね。着ぐるみって小柄な人のものだから。一六七の私でもあまり入れる着ぐるみないから、文月さんに会う着ぐるみはそうそう見つからないと思う」


 泊の言葉は、畳みかけるように桜子に降りかかった。「そうですか……」と声にならないような声が、隣から聞こえる。


 着ぐるみの中とはいえ、主役にすらなれないことは、桜子の存在価値を根底から揺るがすだろう。


 横顔ですら目が泳いでいるのが、晴明には分かった。


「まあでも着ぐるみに入れなくてもできることはいっぱいあるよ。とま先輩みたいに設定考えたり、台本書いたり。渉外も大事な仕事の一つだし。フミは女優になりたいんだよね? だったら、そういう裏方の仕事も体験しておいて損はないと思うけど」


 良いように捉えればそうなるだろうけれど、桜子が納得するのか晴明にはいまいち判然としない。


 隣の桜子の顔には、もはや何の表情も浮かんではいなかった。


「まあ文月には泊についてもらうとして、肝心なのは似鳥だな。身長いくつだ」


 佐貫は桜子の件を一言で解決しようとし、晴明に関心を向けた。勝手に片付けるなよと少し思ってしまうが、それを言ったところで誰のためにもならない。


 だから、平坦に答えた。


「一五〇センチです」


「ならちょうどいいな。大体の着ぐるみに入り放題だ。着ぐるみに入った経験は?」


「ないです。でも、自分が自分として見られないことには興味があります」


 放った言葉が部室を漂い、歓迎の空気を奪う。


 佐貫の眉に皴が寄った。自分とそんなに背丈が変わらないはずなのに、真に迫るような迫力がある。


「あのな、自分として見られないんじゃない。存在する人間として見られないんだ。似鳥は『ナカニヒトナドイナイ』って言葉知ってるか?」


「いいえ、知りません」


「キャラクター業界のお約束だよ。立体化したキャラクターに入っている中の人は、いるけどいないことにするという共通認識がこの界隈にはあるんだ。どんなにがんばっても、キャラクターの中にいる限りは褒められない。認められない。言ってしまえば透明人間みたいなもんだ」


 佐貫の声が一段と低くなっていた。他の三人も頷いている。


 だが、今までは似鳥晴明という名前が独り歩きしていて、そこに中身はなかった。自分を、風船を膨らます空気みたいなものだと考えていた晴明にとって、その言葉は脅しにもならない。


「それでもいいです。むしろ、それがいいです。俺は透明になりたいんです」


「簡単にそんなこと言うなよ。もしその願いが叶ったとして、誰からも見向きもされない、いないものとして扱われる。自分の輪郭が薄れていくような感覚に襲われる日が、いつか必ず来るんだ。きっと本当に消えてなくなりたいと思うほどの苦しみだぞ。それでもいいのか?」


 数分前まで早口でセリフをまくし立てていた人間と同一人物とは思えないほど、佐貫の目は笑っていなかった。あまりの落差に、隣の桜子がたじろいでいる。


 だが、消えてなくなりたいほどの苦しみならもう経験している。晴明は佐貫の目を見て、「大丈夫です」と告げた。


「着ぐるみの中は暑いし、手入れされていないと臭うぞ。それでも本当にいいんだな?」


「大丈夫です」


 二人は数秒見つめ合った。佐貫の眼光は鋭かったけれど、ここで目を逸らしたら、緩い地獄のような日々は何も変わらない。


 晴明は拳を握って立ち続けた。一秒が一時間にさえ感じた。


 やがて、佐貫がフッと表情を緩める。空気も一気に弛緩していくようだった。


「分かった。まずは仮入部になるけど、入部届を金曜までに持ってきてくれ。それと来週の日曜日に、海浜幕張に新しくオープンする住宅展示場でイベントがあるって、そこに俺と南風原が入った着ぐるみが出るんだ。口で説明するよりも、実際に活動を見てもらった方が分かりやすいと思うから、二人とも来てほしい。予定は大丈夫か?」


 最初に頷いたのは、意外にも桜子の方だった。考えがまとまったのか元の明るい声で「はい、行けます」と発している。


 晴明もその日は予定がない。決意を込めるように精一杯の大きな声で「はい!」と答えた。四人はその突拍子もない声にも、笑うことはない。


 ちゃんと目の前の自分を見てくれているような気がして、晴明は胸の底が少しだけ暖かくなるのを感じた。




(続く)

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[一言] いい感じに続きが気になります! ブクマして追わせていただきます!!
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