出会い
「はぁ…!はぁ…!はぁ…!」
走る。走る。走る。走る。
自分の命を守る為に。人間の、温もりを求め走る。
あの恐ろしい化物の巣窟から、私の暮らしていた人の社会に帰るために。
足場も悪く、靴も履いていないから足が血塗れになっている。心臓も張り裂けそうだ。夜だから見通しも悪い。けど、走らなきゃ。逃げなきゃ。
見回りの化物が少なくなった隙をついて、ようやく逃げられたこの時を無駄にしちゃいけない。
だから、たとえ足がもげても走って–––––!
「あっ…!」
木の根っこか何かに足を引っ掛けて転んでしまう。
思わぬ事だったので、思い切り身体を地面にぶつけてしまった。
まずい、直ぐに立ち上がらないと!
あ、ああしゃあぁぁ…
–––声が聞こえた。私の名を呼ぶ声が。
低い、男の人の声だった。
私は、その声を良く知っていた。
ああしゃあ…ああじゃあ……!
その声の人も、私の事を良く知っていた。
いや、ひょっとすると生まれる前から知っていたのかもしれない。
私の幸せを心から願い、心から愛してくれた人。
その声は、ちょうど化物の巣の方から聞こえてきた。
そちらの方に恐る恐る目を向けると––––
「おとう、さん…。」
羽虫のような翅が生えている、異形化した父が居た。
あぁぁあしゃぁああ…ゔちち、にぃ…が、がえろう
虚な目でこちらを見る父"だったもの"。
少し抜けてるところがあったが、早くに死んでしまった母の代わりに私をとても大事に育ててくれた父が、今こうして、化物になって、私を殺そうとしている。
涙が流れる。酷い吐き気がする。心臓が鷲掴みにされてるみたいな胸の痛みがする。
–––私たちが一体何をしたのか。何故こんな目に遭わなきゃならないのか。こんな事をして何になるのか。
救いは、無いのか。
–––––いいかいアーシャ。この先生きていたらどうしようもないピンチは必ず来る。そういう時には、思いっきり歯を食ばって前を向くんだ。
苦しい時にこそ、人の真価が発揮される。
そんな時にこそ、頑張れる人になって欲しいんだ。
その苦しみを我慢出来たら、きっとアーシャに幸せが訪れると僕は信じているよ。
…ふと、そんな父の言葉を思い出した。
––––そうだ。諦めちゃダメだ。挫けちゃダメだ。
私はこんな所で死にたくない。もっと色んな世界を知りたい…!
「絶対に、諦めてやるもんか…!」
さっき転んだときに、足を痛めたらしく上手く動かない。なら、這いつくばって逃げるしかない。
腕を動かせ。前へ進め。私が死んだら、それこそお父さんが報われない!
「あっ…」
突然、地面が傾き視界が回された。
どうにも斜面になっている所に身体を投げ出してしまったらしい。
転がり落ちた先は、周囲に比べ木々が生えておらずにまるでその場所のみぽっかりと穴が空いているように見えた。黒い雲に隠れてた月が現れ、地上の景色を寒々と映し出す。
––––––そんな月天の下に、彼は居た。
襤褸を纏い、夜陰の闇より黒い髪と、金色の双眸でこちらをしっかりと見据えていた。
その時見た人並み外れた金色の瞳は、神々しさと同時に普通の人とは隔絶した恐ろしさを感じた。
だからこそ、この最悪の状況を何とかしてくれる。
そんな期待を込めて、力一杯に叫んだ。
「助けてッ‼︎」
「ああ、任せろ。」
彼はそれだけ言って、化物の巣の方に向かった。
私はそこで、気を失った。
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
–––––––––––––––––––––––––––
––––––––––––––––––––
「……んぅ」
目が覚めた場所は、厚い布で間切りした簡易的な一人部屋だった。
私が寝ているベッドの横には様々な医療器具やぬるま湯の入った大きめのボウルが置いてあり、怪我の治療をしてくれたのだろう。身体を起こし、治療のお礼を言おうと間切りの布に手にかけ、開けた。
「…起きたか。」
そこには、私が助けを求めた例の彼が居た。
暖炉に照らされた金色の瞳は、宝石の様な煌めきをしていた。私と同じ十代後半くらいの見た目をしているのに、物腰静かな様子はとてもそんな風には見えず、ますます同じ人間なのかと疑ってしまう。
「あの…助けて頂いてありがとうございました!
治療までしていただいて、本当にありがとうございます!」
「俺がしたのは助けた所までだ。
治療のお礼なら–––––」
ガチャリ、とドアの開く音がした。
「おや、目覚めたのかい。それは重畳だ。」
「今入ってきたヤブ医者に言いな。」
ヤブ医者、と呼ばれた女性は茶色の長い髪を後ろでまとめた大人っぽい人だった。目元にある泣きぼくろが更に艶っぽく、同性でもドキドキする。
あと、胸が大きい。
「ご紹介の通り、ヤブ医者のソフィアだ。金さえ払えば誰でも治療する守銭奴さ。お嬢さん、お名前は?」
「アーシャ、だろ?」
「…別に君には聞いていないんだが。というか何故、君が知っているんだい?マサツグ。」
マサツグ…。独特な名前だ。一体何処から来たのだろうか?
「最後に殺した奴が、そんな様な事を今際の際まで
ぶつぶつ言っていた。俺にどれだけ傷付けられようとも、その女のいる方へ向かって、な。
…恐らく、父親だったんだろう。」
「…れが。」
「ん?」
「誰が、お父さんを…皆んなを…人間を!
何の理由があってあんな形にしているの‼︎
何が目的なの⁉︎何がしたいの!
…誰がやっているの‼︎」
彼らに当たった所で答えが返って来ないのは分かっている。…ただそれでも叫ばずにはいられなかった。
問わずにいられなかった。
誰が、こんな神をも畏れぬ事を––––!
「–––"神"だよ。」
「……え?」
「人を人とも思わぬ所業が出来るのは、同じく人間か神だけだ。神に善悪を問う機能なんて無い。ただ自分の思うように行動したら、結果人が死んだだけ。
…たったそれだけだ。」
…理解が追いつかない。意味が分からない。
どういう、事なんだ。この人は一体–––
「貴方は、一体何なんですか…?」
「そう言えば、自己紹介がまだだったな。
俺の名前は神々廻正嗣
こことは別の世界から来た異世界の人間だ。
俺の使命はたった一つ。」
「–––––––この世界の全ての神を、殺す事だ。」