第53話 君が桜色に染まる時②
「……めちゃくちゃ良かった」
映画を見終わった後、陽葵と共に近くのカフェに入った秀次は席に着くや否や天を仰いで言葉をこぼした。
結論として、樹本真夜原作『君が桜色に染まる時』の映画は最高以外の何ものでもなかった。
朝陽がかなり高く設定したハードルを軽々と超え、それどころか二倍くらいの高さまで到達していたように思える。
一時間半の上映時間はあっという間に過ぎ去り、最後には自然と頬に涙が伝っていた。
陽葵も瞳を潤ませて泣いていたが、秀次の場合は潤ませるどころか大号泣の域にまで突入するほど。
映画の内容は難病にかかったヒロインとの別れや、記憶を失った彼女などをテーマにしたお涙頂戴ものではなく、ただただ男女の恋模様を丁寧に描いた物語。
しかし、その中で主人公を始めとする登場人物の思いが交錯する様子が繊細に描かれ、彼らの葛藤がまるで自分のことのように感じられるようになっている。
特にヒロインが長い間囚われていた両親の呪縛に自ら立ち向かい、主人公への下へと向かった場面は涙無しでは語れない。
ラストシーンは度肝を抜かれるどんでん返しの連続で、エンディング曲と共にスタッフロールが流れると観客席は温かい拍手に包まれた。
「これは原作も読まなきゃ……」
作中のワンシーンを思い出すとまたこぼれ落ちる涙を拭い、秀次は久々に活字を読むことを決める。
その様子を見て、陽葵は心底嬉しそうに笑みを浮かべた。
「お気に召してらえたようで何よりです」
「そりゃあもう。陽葵が言っていた通り最高だったよ。それに……」
「それに?」
秀次が言葉を途中で区切り、途端に歯切れが悪くなると、陽葵が不思議そうに首を傾げる。
その純真無垢な瞳は一切の汚れを知らず、暫く目を泳がせて言おうか言わまいか迷っていた秀次はやがてゆっくりと口を開いた。
「……あの映画って俺たちに似ていないか?」
ああ、言ってしまったと言葉を発してから頬に熱が籠るのを感じる。
大号泣した手前で恥ずかしい話だが、『君が桜色に染まる時』の物語に妙な親近感を秀次は覚えていた。
至って平凡な一般人の主人公が名家生まれの箱入り娘であるヒロインに恋をする。
高嶺の花相手の無謀な片想いだと周りは馬鹿にするが、親友を始めとする登場人物の協力で主人公はヒロインと仲を深め、最後は最初から両想いだったと明らかになる。
他にも主人公がヒロインが住む豪邸に乗り込むシーンなど、作中の展開は現実では想像し難いものだが、作中の大まかな流れは秀次と陽葵の恋模様と確かに似ていた。
しかし、フィクションの世界と自分たちを重ねるという行為は少々恥ずかしい上に痛々しい感じもする。
現に陽葵からは反応が無く、少し俯いてしまっているために表情が見えない。
これは引かれた、と秀次が肩を落とし掛けた時、ポツリと透き通った声が耳に届いた。
「……私もそう思います」
「よ、よかった俺だけじゃなかったのか……。あっ、もしかして陽葵がこの小説を好きな理由って……」
「いえ、私達にこの小説が似ているのは結果論と言いますか……私がきみときを好きな理由は別にあります」
君が桜色に染まる時、略してきみとき。
初めて聞いた略称に少し気が逸れたのを立て直し、今度は秀次が首を傾げる。
どうして、と無言の質問が伝わったのだろう。
陽葵は注文したエスプレッソを一口流し込み、それからほんのりと頬を染めて話を始めた。
「君が桜色に染まる時③」投稿は暫くお待ちください。




