第3話 後1歩
秀次は思わず一瞬、まだ夢の中なんじゃないかと疑った。
しかし、強めにつねった手の甲がジンジンと痛むのを感じてここが現実だと認識する。
(な、なんで目の前に1億年に1人の超絶美少女が……)
作戦が上手くいけば、明日こうやって初恋の女の子が話しかけてくれるはずだった。
電車に置き忘れた小説を返してくれる。そして同じ小説を読んでいる2人は共通の話題に花を咲かす……。
現実には、まだ秀次の右隣りに徹夜で読み込んだ小説が横たわっている。
それなのに、目の前には厚意を利用してでも接点を作りたかった意中の相手が。
今も吸い込まれるように美しいコバルトブルーの碧眼が真っ直ぐ秀次の目を捉えている。
初恋の相手が至近距離から見つめてくる状況に耐え兼ね、視線を逸らして辺りを見渡すと、ドアの上に設置された電光掲示板が目に入る、
チカチカと点滅するオレンジ色の文字がこの後は桐山町駅の次、舞都駅に到着することを示している。
「うわっ、乗り過ごしたかこれ。遅刻確定だな……」
「ごめんなさい……。私がもう少し早く気づいていれば良かったんだけど……」
秀次にとっては独り言だったのだが、目の前に立っている麗秀学院のお嬢様はどうしてか責任を感じてしまったようだ。
消え入る様に小さな淡い声で謝罪の言葉を口にした。
「いやいやいや、こっちは起こしてくれただけでめちゃくちゃありがたいです。そ、それよりどうして俺を……?」
「いつも桐山町で降りているのを見ていましたから。寝過ごしているのを見て放っておけなくて」
思惑通り、いつもあの駅で降りる人程度の存在を認識してもらえていたらしい。
当初の予定とは大分違う形になったが、4か月の頑張りはこうして話しかけてもらえるきっかけとなった。
何の発展も無かったあの時間も無駄じゃなかったことが分かり、何とか無表情を保っていた秀平の頬が思わず少し緩んでしまう。
「まもなく舞都ー舞都ー。お出口は右側です」
「やべっ、降りなきゃ。……今日は本当にありがとうござました。お陰で1時間目には間に合いそうです」
「いえいえ、当たり前のことをしただけですから。次からは寝過ごさないよう気を付けてくださいね」
「肝に銘じておきます……」
ご乗車ありがとうございました、のアナウンスと共にゆっくりと駅に電車が停車する。
ドアが開き、電車を降りる人の波が出来る。
その波に乗り遅れまいと秀次が席を立つと、目の前に立つ碧眼の美少女と丁度頭いっこ分くらいの身長差が生まれた。
流れるように綺麗なダークブロンズの髪からからふわりと甘い匂いが漂い、思わず顔をそむけてしまう。
「それじゃあ……」
「はい……」
どこか歯切れが悪い別れの挨拶を済ませ、秀次は初恋の女の子に背を向けて電車を降りた。
本当は明日もこうやって話したい。名前を知りたい。連絡先を知りたい。友達になりたい。
何かもう1つ踏み出せば、距離がもっと縮まったかもしれない。
それなのに、また明日、の言葉がどうしても出てこなかった。
1億年に1人の超絶美少女とただの平凡な乗客Aの関係を崩すには至らない。
「あれっ、何か忘れているような……」
駅のホームで1人、複雑な心境の中で後悔をしていた秀次は妙な引っかかりを覚え、直ぐにその正体に気づいた。
「結局、本忘れて来ちゃった……」
秀次がいなくなった後、ポツンと残された小説を見て1億年に1人の超絶美少女は何を思うだろうか。
思わぬ形で続行となった作戦が乗客Aから友人Aへ昇格するきっかけになりますように、と秀次は人影が少なくなった駅のホームで神様に小さくお願いをした。