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第37話 疑問


 花火大会の会場を離れ、人がまばらになった屋台の横を走り抜けていく。

 先頭を走る翔の後姿を秀次は黙って追いかけた。


 1週間ぶりに見た翔の表情は至って真剣なものだった。

 どうしてここにいるのか。

 何をそんなに急いでいるのか。

 聞きたいことは山ほどあるが、翔が説明は後と言った。

 なら今はひたすら追いかけるのが正解だろう。


 ただ、1つ絶対に今聞いておかなければならないことがあった。


「これはすぐ終わるのか?」

「多分結構かかる」

「それは困る。俺は今、綾辻さんとはぐれて探してる最中なんだよ」

「大丈夫、今からその綾辻さんのところに向かうんだ」

「……は?」

「色々聞きたいのはわかる、わかるがここは俺を信用してくれ。とにかく時間が無い。今、全てを話してる時間は無いんだ」


 親友に背中越しに真面目なトーンで言われてしまえば素直に頷くしかない。

 

 何故翔の口から陽葵の名前が出てくるのか。

 脳内の未解決フォルダに新たな疑問が追加される。

 それと同時に今まで貯め込んでいた謎が頭に溢れかえった。


 翔が何故陽葵の居場所を知っているのか。

 途中で偶々はぐれている陽葵に会った……とは考えにくい。

 大前提として翔は陽葵の顔を知らないはずだ。

 

 そもそも翔は何故ここに居る?

 今日、この花火大会で陽葵に告白すると決め、同時に翔断ちを決めた。

 それは親友のこと、更に恋の事となると良くも悪くも全力でお節介を焼く翔の影響を遮断し、自分一人の力で告白を行うためだ。

 だから告白する場所どころか、日にちすらも翔には伝えていない。


 それなのにひたすら前を走る金ピアスの男は当たり前の様に秀次の前に現れた。

 しかも陽葵の名前を引っ提げて、何やら真剣な表情で。


 ここまで考えて、胸の底に仕舞っていた1つの仮説が浮かび上がってきた。


 今までもどこか引っ掛かっていたある仮説だ。


 先ずはサイン会の整理券。

 あれは翔がキープしていた女の子から譲り受けたものだった。

 陽葵曰く、樹本真夜先生のイベントは連日大人気で1か月前から予約殺到で倍率がとても高いらしい。

 確かに翔に陽葵が樹本先生の著書が好きだと伝えたが、それはサイン会のせいぜい1週間前。

 そんな短期間で、入手困難なサイン会の整理券を持っている女の子が偶々翔の近くにいることがあるだろうか。


 バイト先の紹介だってそうだ。

 本人はあくまで偶然を装っていたが、やっぱり怪しすぎる。

 バイト先で意中の女の子と一緒だなんてことは宝くじの一等が当たるよりも確率が低いだろう。

 幸運の一言で片づければそれまでだが、何かしら翔が関与していると考える方が遥かに納得がいく。

 

 そして今回の翔の登場。

 

 佐久間翔は綾辻陽葵と知り合いなのではないか。


 そんな仮説が脳内に渦巻いていく。


 仮説が本当だとして、別に悪いことではない。

 陽葵の事を知っていた翔が色々と手を回して恋を応援してくれていた。

 サイン会の整理券も、バイト先のことも、陽葵と知り合いで前情報があればどうにだってなる。

 とてもとても有難いことだ。

 そのお陰で、こうして陽葵と花火を一緒に身に来れているのだから。

 翔には感謝してもしきれない。


 でも、それなら。


 何故翔は陽葵との繋がりを隠していたのだろう。

 

「なーんでまた、このタイミングで帰ってくるかねえ……」

「何か言ったか?」

「いや、何でもない」


 頭の中を支配する疑問を振り払うように夢中になって走っていると屋台の明かりはだんだん少なくなり、暫くして完全に夏祭りを抜けた。

 いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていて、左右いっぱいに広がる夜道を月明りと街頭が頼りなく照らしている。


 後ろを遠目に振り返れば暖かなオレンジ色のライトとカラフルな花火が見えるが、その光景はどこか非日常的で現実味が無い。

 ついさっきまでその非日常に飛び込んでいたのに、一歩外に出れば急に現実に引き戻される。


「まだ来てないよな……。よしよし、何とか間に合ったっぽい」

「綾辻さんはどこだ? 普通に歩道と車道が通ってるだけだけど……」

「今はいない。けど、ここで暫く待ってれば必ず綾辻さんが来る」

「どういうことだ?」

「そのまんまの意味。向こうからこっちにやってくる。それも猛スピードでな」


 目的地に着いたようだが、どうやら今はまだ「後で説明する」の後ではないらしい。

 疑問に対し、翔は要領を得ない言葉で返してきた。

 

「もう少し歩こう。向こうに見える橋の手前まで」


 促されるまま翔の後をゆっくりとした足取りで付いていく。 

 歩きながら左側を見れば、太く長い川がキラキラと水面を輝かせながら流れていた。

 川の左側は夏祭りや花火大会が行われている会場。

 川の右側は幾つかの高層ビルが並び立つちょっとした街並み。

 まるで現実と非現実を切り分けるように悠然と流れる川は、どこまでも広がる海へと続いていた。

 

 風に乗って僅かに流れ込む磯の香りと遠くから聞こえてくる花火の音を感じながら歩いていると、前を歩く翔の足がピタリと止まった。

 橋のギリギリで断ち止まると、そのまま寂れた欄干に寄りかかって行儀悪く地面に座り込む。


「秀次、俺が告白する前に綾辻さんの事を知っておいたほうがいい、って言ったの覚えてるか?」

「ああ、覚えてるよ。翔先輩からの最後のアドバイスだったしな」

「お前の事だ、どうせ何も聞けなかったろ」

「一応好きな食べ物とか好きな色とかは聞いたぞ?」

「そんな自己紹介レベルの事じゃねーよ。もっと深いところだ。例えば家族の事、とかな」


 家族。そう聞いて、陽葵にたった1度だけ嫌いなものを聞いた時の答えを思い出す。

 陽葵は短くただ一言。家、と呟いた。

 あの時の影を落とした暗く切ない悲し気な表情は脳裏に焼き付いている。

 

「翔。やっぱりお前、何か綾辻さんの事知ってるだろ」


 もしかしたらここで聞くべきじゃなかったかもしれない。

 翔が後で話すと言ったらきちんと後で話してくれるはずだ。 

 それは確実に今では無かった。

 さっきはぐらかされたのがその証拠だ。

 

 それでも聞かずにはいられなかった。

 翔は陽葵の事を知っている、その確信に至ってしまったから。


 まだ話さないならそれでいい。

 翔がいつか話してくれるのを待とう。


 体育座りで自分の膝に顔を埋める親友、その隣に秀次も腰を落ち着けた。

 

「……綾辻さんは囚われのお姫様なんだよ。秀次はさしずめ王子様か。だからな、お前が助けなきゃいけないんだ」


 翔の話は意外にも運命や奇跡などの言葉を好むロマンテックな一面を持つ彼らしい例え話から始まった。

 

 しかし、その事を茶化す気は全く起きない。


 それは彼の表情と声音が嘘偽りなく真剣なものだったからだ。


 車道を走る車の音と、微かに聞こえる花火の音の中で。


 佐久間翔は綾辻陽葵について語り始めた。

 

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