第33話 再会
仲良く会話をしながら歩いていると、暫くして無事に優太のお母さんは見つかった。
どうやら花火大会の会場に向かう途中、雪崩れ込む人混みに巻き込まれ離れ離れになってしまったらしい。
お気になさらずと遠慮してもペコペコと何度も頭を下げられ、居心地が悪かったので早めにその場を離れることにする。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
もう離すものかと言わんばかりにお母さんの手を強く握っている優太の顔はとても晴れやかだ。
満面の笑みでこちらに手を振ってくる。
その目に不安や怯えといった負の感情は一切見えない。
「花火楽しんでね!」
手を振り返し、それから背を向けて元来た道を戻るために歩き出す。
彼にメッセージを送ったが、既読はついていない。
まだ電話中なのだろうか。
それなら先に戻って、彼のことを待とう。
『迷子の子供、無事にお母さんの下に送り届けられました。これからさっきと同じ場所に戻りますね』
歩きスマホは良くないので1度立ち止まり、追加のメッセージを送ってから再び歩きだす。
空っぽの手の中には仄かな温もりが残っていた。
きっと優太の体温だろう。
手を繋いでいたからか少し赤らんでいる掌を眺めれば、遠くから微かに聞こえてくる花火の音と相まって、夕べに聞かされたある言葉が思い出された。
(大地さんが言っていたジンクスって本当なのかな)
毎年ランダムなタイミングで打ちあがるハート型の花火を手を繋いで一緒に見た男女は必ず結ばれる。
所詮はジンクス。
根も葉もないただの噂話だし、第一自分で考えたプランがある。
だから直前に聞いたそんな話を信じて頼るなんてことはしないと決めていた。
それでもやっぱりロマンティックで素敵だな、とは思う。
(手……頑張って繋いでみようかな)
そんな大胆で積極的な行動を考えてしまうなんて相当浮かれている。
夏祭りや花火大会の雰囲気にあてられたのか、それとも告白を決めて浮足立っているのか。
恐らく両者だろう。
盆踊りの時だって、何で彼にあんなことをしたのかは分からない。
気づけば彼の大きくて頼もしい背中を抱きしめていた。
思えば今日に限った話ではない。
彼に恋をしたあの日から。
自分が自分じゃ無いみたいに大胆にも積極的になれた。
親に反抗するなんてちょっと前までは考えられない。
でもそれくらい。
父親との縁を切ることを決める程に、彼に救われ、彼に恋をしていた。
「夜空一面に光り輝く七色の花火、如何でしたでしょうか。これより打ちあがるのは――」
聞き取りやすいハキハキとした声が遠くから耳に入って来た。
カウントダウンを呼び掛けていたお姉さんの声だ。
どうやら花火大会のプログラムは半分を終え、これから後半戦のようだ。
お互いの都合で少しだけ離れ離れになってしまったのは残念だが、今から彼と合流すれば十分に花火を堪能できるし、自分にとって忘れられない思い出になるだろう。
そう考えると自然と身体が前がかりになり、歩くスピードが上がった。
現実は早歩きどまりだが、心は満面の笑みでスキップをしている。
幸せな気持ちが胸に溢れ、抑えきれずに思わず頬が緩んだ。
彼に対する恋心が日に日にエスカレートしているのがはっきり分かる。
それはとてもとても幸せな事だった。
恋をすると世界が変わる。
いったい誰が言いだしたのだろう。
大好きな樹本真夜先生の小説『君が桜色に染まる時』にもその一文は書かれていた。
今まで恋をしたことが無い自分にとって、その気持ちは到底理解が出来ないもので未知のものだった。
恋愛小説をいくら読んでも。
主人公を自分に当てはめて想像してみても。
自分の世界はこれっぽっちも変わらなかった。
今なら全て理解できる。
彼に恋したあの日から。
比喩では無く、本当に毎日がキラキラしていた。
彼は長い間彷徨っていた暗い暗い闇の世界を虹色に明るく煌びやかに塗りつぶしてくれた。
まるで夜空に打ちあがる花火のように。
(樋山君、メール読んでくれたかな。もしかして、もう着いてるのかな? ……早く、会いたいな)
まだ花火大会の会場までは少し距離がある。
いっそ走ってしまおうか。
みんな花火を見に行っているので周囲に人は少ない。
勢い余ってぶつかってしまうなど、迷惑を掛けることはないだろう。
早歩きから、小走りに変えて徐々にスピードを付ける。
早く彼に会いたい。
会って彼と一緒に花火を見たい。
そして抑えきれないこの想いを彼に伝えたい。
風を切りながら走っていると、やがて開けた河川敷にでた。
膝に手を付いて呼吸を整え、激しく上下する肩を落ち着かせる。
ここまで来れば目的地までもう直ぐだ。
あともうひと踏ん張り。
足に力を込め、再び走り出そうとした――その時だった。
「陽葵」
背後から低くて重い声で名前を呼ばれた。
あんなにも軽かった足が地面に縫い付けられたようにぴたりと止まる。
声に温度など無いはずなのに、後ろから投げかけられたその言葉は背筋が凍る程冷たかった。
振り返らなくとも声の主は分かった。
分かってしまったからこそ振り返りたくなかった。
幸せで溢れていた心と、温もりに包まれていた身体が急激に冷めていくのがはっきりと分かる。
花火の音も観客の喧騒も、思い出話も彼への気持ちも全てが色を失う。
脳裏にはただ一言、父親が自分の名前を呼ぶ声が反芻していた。




