第32話 迷子
花火の音がとても近くで聞こえる。
花火の大きさが良く分かる。
花火の色、形がはっきりと見える。
どこまでも限りなく続く夜空を明るく照らす満開の火花。
今こうして目の前に広がっている光景は物心ついたころからの憧れであり、希望だった。
将来の夢など何もなかった自分が、1つだけ密かに抱いていた小さな夢。
10年以上の月日が流れ、叶わないと諦めていた夢がようやく実現した……それなのに。
胸にぽっかりと穴が開いている。
1年前、長方形の窓から遥か遠くの眩い光を眺めることしか出来なかったころならこれ以上ないほど満たされたはずなのにだ。
何故だろう。
何が物足りないのだろう。
その答えは右隣りにあった。
砂浜に残る自分の足よりもニ回りほど大きい足跡を見て、その持ち主の姿を鮮明に思い浮かべる。
もはや花火の音も、観客の歓声も聞こえていなかった。
心臓が激しく脈を打ち、胸の内から熱いものが込み上げてくる。
(ねえ、樋山君。君はあの時、私の名前を呼んで何を言おうとしていたの?)
電話に遮られてしまった言葉の続きを聞くことは出来ない。
きっとあの時、あの瞬間だけのもの。
そんな感じだった。
それでも気になってしまう。
もしかしたら自惚れかもしれないけれど。
(告白、だったり……)
どうしてそう思ってしまうのか、自分に問いかけみる。
(私が考えていたことと同じだったから……)
一緒に花火を見ながら、少しづつロマンティックな雰囲気になって愛の言葉を伝える。
勇気を出して花火大会に誘った時、いや、そのずっと前から。
今日この日の為に、思い浮かべていた告白の計画だった。
本当はもっと時間をかけて仲を深めたい。
本当はもっと彼のことを知りたい。
本当はもっと自分の事を好きになってもらうためにアピールをしたかった。
それでも自分には時間が無い。
この夏が終われば、もう彼には会えなくなってしまう。
だから。
自分を暗闇の中から救い出してくれた男の子に。
生まれて初めて恋をした男の子に。
好きの気持ちが溢れて止まらなくなってしまうほど恋焦がれた男の子に。
胸の内に秘めていたありったけの気持ちを包み隠さず全て伝える、つまり告白をすると決めていた。
彼はさっき何を言おうとしていたのか。
それがもしも、万が一、自分への告白だったとしたらどんなに嬉しいだろう。
想像するだけで胸が熱くなり、顔が火照る。
けれどもこれはやっぱり彼に対する片想いだと、そう改めて自分に確認する。
片想いだからこそ、そんな都合のいいことを考えてしまう。
両片想いで、どちらかが気持ちを言葉にすればいいだけでした。
そんなハッピーエンドを。
ありのままの好意を相手に伝えるのはとても怖い。
拒絶され、関係が崩れてしまうかもしれないから。
好きの気持ちの行き場を失くしてしまうかもしれないから。
やっと見つけた光が消え、再び暗闇に閉ざされてしまうかもしれないから。
「樋山君」
花火の音と周りの声できっと聞こえない。
だから、好きで好きで仕方がない男の子の名前を小さな声で呼んだ。
「……秀次君」
本当は下の名前で呼んでみたい。
そんな気持ちを反映させて、再び声を出す。
「……樋山秀次君」
彼は今隣にいない。
電話に出るために少し遠くまで行っているから。
そして暫くは帰ってこないだろう。
少なくともまだ戻ってこないはずだ。
それなら絶対に彼に聞かれることはない。
そう自分に言い聞かせる。
「好きです、付き合ってください」
これは練習。
彼が戻ってきた後、この場所で彼に伝える言葉。
隣に彼はいないし、他にも誰も聞いていない。
それなのに思わずしゃがみ込んで膝に顔を埋めてしまうほど恥ずかしかった。
たった一言。
シンプルな言葉なのにどうしてこんなにも勇気がいるのだろう。
果たして本当にこんな調子で彼に気持ちを伝えられるのか自分で心配になってくる。
家で何度も何度も練習したのにリハーサルすらままならない。
(もう1度練習しようかな……)
そう思って立ち上がろうとした瞬間だった。
後ろから肩を叩かれた。
(……まさか、樋山君!? 今の言葉、聞かれてたりしないよね!?)
彼が電話をしにいってからまだ全然時間が経っていない。
冷静に考えればこんなに早く戻ってくることは無いだろうし、誰か他の人の可能性の方がずっと高い。
でももしかしたら電話が途中で切れたとか、電話の内容が短くて直ぐに終わったとかも十分ありえる。
それに例え今後ろにいるのが彼じゃなく、他の人だったとしても告白の練習をしているところを聞かれたなんて恥ずかしすぎる。
肩を叩いてきた相手の顔を見るのが怖い。
それでも無視するわけにもいかず、ゆっくりと首を回そうとした時だった。
「お母さん……?」
耳に聞こえてきたのは今にも泣き出しそうなか細い弱弱しい声。
咄嗟に振り返れば、目を真っ赤に腫らした小さな子供が浴衣の袖を掴んでいる。
「お母さんじゃない……ぐすっ。お母さんどこ……」
どうやらこの子は迷子らしい。
花火大会に一緒に来たお母さんとはぐれてしまい、探しているのだろう。
見た感じ小学生低学年くらいの男の子だ。
さっきまで一緒に居たお母さんが突然目の前から姿を消してしまえば不安で一杯になってしまうに違いない。
特にこの暗闇の中でこの人だかりだ。
綺麗な花火の光があるといっても、親がいない心配が勝つに決まっている。
その証拠にぐすっ、ぐすっ、と目を擦り鼻を啜る男の子はもう涙が出ないほど泣いた後のようだった。
こんなにもなるまで誰も声を掛けないだなんて信じられない。
陽葵が真っ先に思ったのはそんな怒りの感情だった。
それから心の底から同情。
お母さんが突然いなくなる不安。
それは誰よりも分かっているし、苦しんだ経験がある。
だから不安で押し殺されそうになっている迷子の男の子に向かい合う。
しゃがんだまま目線を合わせ、言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「もう大丈夫。私がお母さんを見つけてあげる」
「……本当?」
「本当だよ。だから安心して。私が傍にいるから」
ゆっくりと、怖がらせないようにゆっくりと。
その小さな小さな背中に手を回し、優しく抱きしめてあげる。
今までの不安を取り除くように。
少しでも安心させてあげられるように。
「名前は何て言うの?」
「高見優太」
「いい名前だね。年齢は?」
「8歳」
「8歳、それなら小学二年生だ。お母さんの名前は分かるかな?」
「……ゆか」
「凄いじゃん、お母さんの名前もちゃんと覚えてるんだね。絶対お母さん喜ぶよ。一緒に来たのはお母さんだけ?」
「うん」
「よーし、わかった。優太君、色々教えてくれてありがとう」
背中に回した手を離し、次はそっと頭を撫でてあげる。
少しくずぐったそうに優太の頬が緩んだ。
さっきまで涙でぐちゃぐちゃになっていた表情が嘘の様に消えていた。
「優太君、私と一緒にお母さん探しに行こうか。きっとお母さんも今頃優太君を探しているはずだよ」
「うん、僕探す!」
「いいぞ、優太君。その意気その意気」
頭を擦っていた手を今度は優太君の手に移動させた。
そしてそのままその小さくてぷくぷくとした手を包み込む。
夏の夜、涼しい風が吹き込んで若干冷える中、握った優太の手はとても暖かかった。
子供の体温はこんなにもあったかいのだろうか。
そんな風に考えるのと同時に、何故か大好きな彼の顔が思い浮かんだ。
(樋山君の手、とってもあったかかったな)
思い出すのは初めて彼と2人で遊びに行った日。
ナンパに絡まれて不安で不安で仕方がなかった時に、彼は現れて助け出してくれた。
その時、手を握ってくれたあの感触は今でも覚えている。
こんな時にでも彼のことを思い出してしまうなんて。
我ながら好きが過ぎるなと自然と笑みが零れた。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「ううん、何でもないよ。さあ、お母さんを探しに行こう」
突然いなくなったら彼はきっと心配してしまうだろう。
それはもう物凄く。
だって彼はとても優しいから、そう確信できた。
(後でメッセージ送っておこう)
連絡することを忘れないよう心に留め、花火に背を向けて優太と一緒に歩き出した。
第32話を最後までお読みくださった皆様ありがとうございます。
読者の皆様は最初の方で違和感を感じ、そして徐々に気づいてもらえたかと思います。
今回のお話、短編から応援して下さっている方はどこか懐かしいのではないでしょうか。
そうです。今回のお話は視点変更をし、陽葵目線で物語が綴られています。
ずっとずっと書きたかった、今まで温めていたものです。
例えば今回、地の文に陽葵の文字も秀次も文字も1度も出て来ません。
それぞれ自分、彼で表現いたしました。
意図まで説明してしまうのはタブーの気がしますので伏せますが、ここからは作者の書きたかった展開が続きます。
「ピュア甘」はここからと言っても過言では無いかもしれません。
変わらず読み続けて貰えると嬉しいです。
【祝】総文字数10万字突破!!!




