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第29話 りんご飴


 お互い無言のまま夜道を進んでいくと、段々と屋台の明かりと人々の喧騒が近づく。

 目的地のちょっとした広場に着き、陽葵をそっと降ろしてあげる。


 「ありがとうございました」と律義にお礼を言う陽葵の顔はまだほんのり赤く色づいていた。

 と言っても秀次も顔が赤らんでいるのでお互い様だ。

 背中を擦ればまだ若干温もりと柔肌の感触が残っていて、否応にも陽葵を背負っていた時の思い出してしまう。

 

 やはり対面するとどこか気恥ずかしくなり、秀次は陽葵から目を逸らしてポケットから財布を取り出した。

 小銭入れを覗いて目的のものを探すが、残念ながら丁度切らしてしまっている。

 

「綾辻さん、5円玉って持ってる?」

「5円玉ですか? ちょっと待ってくださいね……あっ、ありましたよ」

「良かった。その5円玉貸してくれない? あと鼻緒が切れた方の草履も」


 もし陽葵が持っていなかったら屋台で何かを買っておつりから調達しようと思っていたのだが、陽葵が持っていたのでその手間が省けた。

  

 要領を掴めず不思議そうな顔をしている陽葵から5円玉と草履を受け取った秀次は、早速膝の上で作業を始めた。

 

 ポケットから薄い生地のハンカチを取り出すとそれを捻じって紐状にし、5円玉の小さな穴に通していく。

 それから捻じったハンカチの両端を草履の裏から前つぼを通して表に出し、長さを調節しながら切れてしまった鼻緒の先っちょと結んで繋げる。

 

「はい、これで普通に歩けると思う」

「あ、ありがとうございます! 凄いですね、樋山君。まるで職人さんみたいでした!」

「いやあ、まあね」


 花火大会の下調べをした時に偶然目に入った『ゆかたdeデート! 男の子心得10ヶ条』と銘打たれたサイトに載っていた、下駄や草履の鼻緒が切れた時の対処法。

 そんなベタな展開が起こるわけないと思いながらも、サイトによれば5円玉とハンカチさえあれば良く、一応普段持ち歩かないハンカチを持参してきたのが大正解だった。


 現実になったハプニングを前にサイトで覚えた手順で鼻緒を修復すれば、陽葵は目を輝かせ、賞賛の眼差しを送ってくる。

 秀次から受け取るとそのまま草履に足を通し、嬉しそうに試し歩きをし始めた。

  

 広い砂利道を歩いたり、走ったり、くるりと1周回ったり。

 浴衣の美少女が袖をはためかせながら自由に動き回る姿は大変絵になり、秀次だけでなく、その場に居合わせた人々の目を引きつけた。


「履き心地はどう?」

「普通に歩けます! 違和感も無いですし、完璧です」

「それは良かった」


 これで何の滞りも無く花火大会を迎えられだろう。

 開始時刻まで後10分と少し。


 夕食はやきそばで済ませたし、盆踊りは既に体験した。

 もう1度屋台を巡って何かを食べるか。それとも射的や輪投げなどで遊ぶか。


 残り少なくなった時間で陽葵をどう楽しませようか考えていると、シャツの袖をくいっと引っ張られた。

 顔を上げると、いつの間にか陽葵が隣に座っていてこちらを覗き込んでいる。


「樋山君。私、食べたいものがあるんですけど一緒に来てもらってもいいですか?」

「それはもちろんいいけど……まだ食べれそうなの? やきそば食べて満腹になってなかった?」

「盆踊りで身体を動かしたので大丈夫です。それに、デザートは別腹ですから」

「デザートか、なるごどね。かき氷とかチョコバナナとかか?」


 とりあえず思い当たる定番を言ってみれば、陽葵は首を横に振った。

 

「私が食べたいのは……」





 陽葵に連れられて来た屋台は盆踊り前に一通り回った場所とは反対側に位置していた。

 ソースや鰹節の香ばしい匂いはせず、代わりに何だか全体的に甘い匂いがする。

 それもそのはず、屋台の暖簾を見渡せばわたがしや水飴、ベビーカステラにクレープと言ったスイーツ系が集まっているのが分かる。

 定番中の定番、かき氷とチョコバナナに至ってはここから見ても2、3つ文字が見つかる。

 

「あっ、ありました!」


 その中で陽葵が一直線に進んで行ったのは「リンゴ飴」と書かれた屋台だった。

 拳サイズのリンゴの周りに薄く飴がコーティングされいて、光沢を放つ艶々とした赤い塊は食べ物というより観賞用かのように綺麗だった。


「いらっしゃーい。2つ? お嬢ちゃん可愛いから大きいのにしとくね」


 店頭に並べられたいくつもの赤い樹々の中から1番大きいものを見繕うと、屋台のおっちゃんは人の良い笑顔で陽葵にそれを渡す。

 秀次には適当に手前から取ったものを渡して来たので若干不満が残るが、おっちゃんの気持ちはわかるので顔には出さないでおく。


 もし自分がおっちゃんと同じ立場だったら、陽葵に1番大きなものを選んで渡す自信がある。

 受け取った特大サイズのリンゴ飴を見て、子供の様にあどけない笑顔を見せる陽葵。

 こんな笑顔を見せられたら、誰だってサービスをしたくなってしまう。


「なるほど。リンゴ飴と言うのはリンゴ味の飴ではなく、リンゴをまるまる飴で包んでいるのですね」

「外側の飴はリンゴ味だからあながち間違ってないけどね」

「ほ、ほんとだ! ちゃんとリンゴの味がします!」


 ペロリと可愛らしく舌で外側の飴を舐めた陽葵の表情はとても明るく、そして嬉しそうだ。

 ここに来て1番テンションが上がってるように見えるのは気のせいではないだろう。

前に陽葵に好きな食べ物を聞いた時にリンゴと答えていたのを覚えている。


 そして、同時に何故か陽葵に1度だけ嫌いなものを聞いた時の事も思い出した。

 

「家、かな」


 短く、そして小さく呟かれた言葉の意味を秀次は聞けなかった。

 それ以降、他の嫌いも聞くことも。

 もし聞いていれば、陽葵が踊りが苦手ということも知れたかもしれないが。


 あの時の表情を見てしまえば、とても話を続ける気にはなれなかった。

 今隣にいる陽葵からは想像も出来ない、影を落とした暗く切ない悲し気な表情。


「見てください樋山君! 飴が割れて中のリンゴが見えました」

 

 りんご飴1つでこんなにも天真爛漫な笑顔を浮かべ、無邪気にはしゃぐ女の子は一体その胸の内に何を抱えているのか。


 告白する前に綾辻さんの事を少しでも知っておいた方がいいじゃないかなと思ってな。


 何故かここに来て、ファミレスで翔に言われた言葉が脳裏によぎる。


――ピーンポーンパーンポーン


「ご来場の皆様にお知らせです。まもなく、花火大会が始まります。夜空に打ちあがる1万発以上の……」

 

 何を思い、何を想ったところで時は待ってくれない。

 

 秀次の思考を遮るようにして、お祭り会場にアナウンスが響き渡った。



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