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第28話 おんぶ


 歩けないなら代わりに自分が足になればいい。

 秀次が陽葵に提案したのは即ちおんぶだ。

 これなら草履の鼻緒が切れてしまっても、2人で移動することが出来る。


 しかしおんぶというのは何せ密着度が高い。

 異性同士で行うとなると、それ相応の仲ではないと躊躇われる行動だろう。

 秀次もそれを分ったうえで、これしか考えつかなかったので一応提案したという感じだ。


 現に陽葵の目は忙しく泳いでいて、口をパクパクさせている。

 真っ二つに切れた鼻緒と秀次の背中を交互に見て、どうすればいいのかと困っている様子だ。


 きっと陽葵は遠慮するだろう、秀次は自分で提案していながらそう思っていた。


「……よろしくお願いします」

「えっ?」


 鈴を転がすような声が耳元で囁かれたのと、首筋を両側から包み込むような感触が覚えたのはほぼ同時だった。

 その声と感触の正体がいつの間にか至近距離にまで近づいていた陽葵によるものだと気付いた時には、首筋だけではなく、背中全体が確かな温もりを帯びた布地に覆われた。

  

「いいのか?」

「いいのかって、樋山君が乗れって言ったんじゃないですか」

「それはそうだけど……」


 まさか本当に陽葵がおんぶを受け入れるとは思っていなかった、などと言ってももう遅い。

 既に陽葵は秀次の首に腕を回していて、後は秀次が陽葵の足を抱えて持ち上げるだけだ。

 しかし秀次は両手を握ったり開いたりしたまま動かない。

 

 もう立ち上がっていいのか。足に手を回してもいいのか。やっぱり別の方法の方がいいんじゃないか。

 

 突然の密着に秀次の脳内は混乱を極め、頭の中は真っ白になていた。

 

「樋山君、早く動かないと人が……」

「あっ、ご、ごめん。……じゃあ、立ちあがるからしっかり捕まってて」

「はい、お願いします」


 道の真ん中でしゃがみ込んで密着する男女がいれば誰でも1度は目を向ける。

 すっかり好奇の目線を集めていたことに気づき、秀次は慌てて陽葵の足に手を回す。

 そのままよいしょ、とタイミングを計って立ち上がれば、陽葵の身体は驚くほど簡単に持ち上がった。


「さっき焼きそば食べたところまで行こう。あそこなら座って休めるし」

「そうですね。少し遠いですが、大丈夫ですか?」

「ん? 大丈夫って何が?」

「その、重く、ないかなって……」

「そういう事なら全然大丈夫。寧ろ軽すぎて心配になるくらい」

「そ、そうですか! それなら良かったです……」


 部活で身体を鍛えている訳でも、普段から筋トレしている訳でもなく、平均的な力しかない秀次をしても陽葵を背負って歩くのは全く苦では無かった。

 ありのままを伝えれば、陽葵の声が明るく弾む。

 体勢的に表情は見れないが、きっと喜んでくれているだろう。


 女子が体重を気にして入れば、多少大袈裟にでも軽いよと伝えてあげる。


 いつの日か忘れたが、翔から教えられた女の子のトリセツが役立った……と思ったのだが。


 何故か急に背中にかかる重みが増した。

 増した、と言ってもせいぜい少し腕に力を籠めればカバーできるレベルだが問題はそこではない。


 陽葵がその細くか弱い腕を、秀次の首前に回してきたのだ。

 後ろから抱きつかれる格好になり、秀次の背中と陽葵の身体が密着することになる。

 

 先程までは秀次の細心の配慮と、恐らく陽葵の遠慮でおんぶと言っても密着面は少なかった。

 陽葵は秀次の肩に両手を置き、両者の身体には僅かな隙間があった。

 肩以外に接触していたのは陽葵の体重を支える腕と陽葵の足くらいか。


 それが今は首から、腕から、背中から女の子特有の柔らかな感触が伝わってきていた。


「あの……綾辻さん?」

「はい、何でしょうか?」

「そのー、あのですね……何と言えばいいのでしょう。体勢があまりよろしくないというか……」


 色々当たって理性が保てませんとは言えないので、ゴニョゴニョと言葉を濁しながら陽葵に伝えれば、少し間が空いた後、陽葵は「ああ」と納得したように頷いた。

 しかし、秀次の訴えの意味を理解したはずなのに体勢が直される様子はない。

 

「こうした方が樋山君が楽かと思って」

「確かに楽だけど……その、いいんでいょうか」

「と言いますと?」

「いや、何でもありません……」


 どうやら気にしているのは秀次だけらしい。

 秀次としては大問題なのだが、一方の陽葵はお構いなしに身体全体で体温と柔らかな感触を伝えてくる。


 浴衣の上からでも十分に感じられる乙女の柔肌を一度気にしてしまえば、再び思考を正すのは難しい。


 髪にかかる陽葵の吐息。

 ふんわりと香る甘い匂い。

 腕を通して伝たわる細すぎず程よい肉付きをした太ももの感触。

 

 そして何より無自覚に背中に押し付けられる、特別柔らかく重みのある2つの膨らみが秀次の理性を奪いかけていた。


 確かに密着面を増やした方がおんぶは安全面や安定性が増す。

 きっと陽葵はそれを考えてこうして体勢を変えたのだろう。

 決して秀次のようにやましいことを考えたり、心臓を高鳴らせたりしていないはずだ。


 陽葵はただ単に合理的なおんぶの体勢を取ってるだけ。

 だから邪念を抱くなどもってのほか。

 上半身を包み込む柔らかく暖かな感触を意識してはいけない。


 秀次は頭をぶんぶんと横に激しく振って、脳内を支配していた邪念を追い出していく。

 それから再び密着している陽葵の身体を意識してしまわない様に、思考を別の方向に当てることにした。


 すうっ、と息を吸って深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。

 それからついさっき見に行った盆踊り会場での一幕を思い返していった。

 

「……綾辻さん、さっきはごめんね」

「さっき……? ああ、笑ったことですか? それならもういいですよ。理由は十分伝わりましたから」

「いや、それもごめんなんだけど……。ほら、綾辻さんが踊り苦手だって知らずにしつこく誘っちゃったからさ。本当は嫌だったんじゃないかと思って」


 あの時、陽葵は見るからに盆踊りに参加することを躊躇っていた。

 秀次としては陽葵にお祭りを楽しんでもらいたい一心だったのだが、今冷静になって考えてみれば、盆踊りに参加させようとしたのは迷惑だったのではないかと心配になってくる。

 

 ここできちんと謝っておいた方がいいと思っていたのだが、背中越しに陽葵は意外な反応を見せてきた。


「私、全く嫌だと思ってませんよ。元々盆踊り、とても興味があったんです。だから寧ろ、樋山君が一緒に踊ろうって言ってくれて嬉しかったです。自分からは絶対に踊ろうとしませんでしたから」 

  

 確かに陽葵の躊躇い具合とその後の踊りをみれば、たとえ興味があっても自分から踊ろうとはならないのも頷ける。

 思いが空回りして強引過ぎてしまったと思っていたが、どうやら陽葵にとって好印象だったらしい。


「樋山君はいつも私が欲しい言葉を掛けてくれます」


 耳元で囁かれた言葉だけでも十分な破壊力だというのに、陽葵は追い打ちをかけるように秀次の背中をぬいぐるみの様にぎゅーっと抱きしめた。


(ちょっ、あ、綾辻さん!? こ、これ色々当たっててマズいって、マジでヤバいって!)

 

 あちこちを女の子の柔らかなで包み込まれ、陽葵の存在を強制的に意識させられてしまう。

 せっかく会話をすることで逸らしていた邪念が数倍になって一気に押し寄せてくるので大変だ。

 鏡を見なくても、直接手で触れなくても、内側から熱が籠り、自分の顔が真っ赤に染まっているのが良く分かる。

 幸いなことにおんぶをしているため、陽葵からは見られることは無いだろう。


 あくまで陽葵にとってこれはおんぶの安全面と安定性を求めた合理的な体勢。

 自分だけ意識しまくってることがバレたら最悪だ。陽葵にドン引きされてしまうかもしれない。

 

 しかし、いくら仕方ないと言っても陽葵はこれだけ密着して恥ずかしくないのだろうか。

 歩きながら少し気になった秀次は首をほんの少し回して、後ろの様子を目で確認してみる。

 背中に顔を(うず)めてしまっている陽葵の顔は見えず、その表情は分からない。

 やっぱり気にしているのは自分だけか、そう思って前に向き直ろうとした時だった。

 

(あれ……綾辻さんの耳、リンゴみたいに真っ赤だ……)


 いつもは長いダークブロンドの髪に覆われていて見ることが出来ない陽葵の小さな耳。

 それが今日は浴衣に合わせ、髪をうなじ付近でお団子にしている影響で普段隠れてる部位が露になっていた。


 付け根まで見事に赤く染まってる陽葵の耳は何を意味するのか。

 背中に埋まり隠れてしまっている陽葵の表情は今どうなっているのだろう。


「綾辻さん……?」

「こっち、見ないで……ください」


 さっきまで普通に話していたのに、陽葵の言葉は途切れ途切れで、その声は微かに震えていた。

 少しすれば言葉だけでなく、片手で前方を指差され前を見ろと促されたので、秀次はそれ以上陽葵を見ることなく言われた通りに前に向き直る。

 

 恐らく陽葵もこの密着状態を意識している。


 それなら何故自分から強く抱きしめてくるのか。

 

 そっちのほうが秀次が楽だから、何て理由でここまでしないはずだ。


(……ダメだ、全く分からん)


 異性の身体を強く抱きしめるなど、普通に考えればその意味は一択しかないはずだ。


 しかし秀次の頭は陽葵の温もりと柔肌の感触で支配されていて、思考がろくに回らない。


 顔を真っ赤に染めながら夜道を歩く男の子に、その男の子におんぶされ、後ろからぎゅっと強く抱きしめる女の子。

 

 傍から見れば答えは出ているのに。

 

 当の本人たちは互いに届かない、伝わらない胸の鼓動をただ静かに高鳴らせていた。





 





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