第27話 盆踊り
聞きなじみのあるゆったりとしたテンポの曲に合わせ、賑やかな祭囃子と力強い和太鼓の音が辺りに響き渡る。
屋台からも微かに聞こえた音の出どころは、開けた空間の中心に高々とそびえ立つ櫓だ。
紅白の垂れ幕で彩られた櫓を見上げれば、普段滅多に見られない大きな和太鼓と上裸に法被、ねじり鉢巻きといったお祭り男スタイルの男性が目に入る。
お祭り男は汗だくになりながら2本のばちをめいっぱい太鼓に打ち付けリズムを取り、その度に辺りの空気が震えていた。
「凄いですね……」
目をキラキラと輝かせ、感嘆の声を漏らした陽葵の視線の先は忙しく動き回って定まらない。
陽葵が盆踊りを見に行きたいと言い出したのは焼きそばを食べ終えた後の事だった。
お兄さんの粋なサービスなのか、パックに入る限界まで所狭しと焼きそばを秀次はお腹が減っていたのもあってペロリと軽く平らげた。
一方で陽葵はその小さな口でちまちまと焼きそばを口に運び、ゆっくりと時間をかけて完食。
途中から食べるスピードが大幅にダウンしたあたり、陽葵のお腹がいっぱいなのは火を見るよりも明らかだった。
一応ついさっきまで屋台の食べ物全制覇を打ち出していたので、他に何か食べなくていいのか、と聞くと陽葵は無言で首を横に振った。
もう食べれない、そんな訴えがコバルトブルーの瞳から伺える。
そんなこんなで屋台巡りは一先ず切り上げて、近くでやっている盆踊り会場に行くことになったのだが、実際に着いてみるとその幻想的な光景に思わず目を奪われてしまう。
櫓を中心として円を描く人々に辺り一帯を温かな光で照らす提灯。
派手な音を鳴らす太鼓とゆったりと抑揚の効いた音楽に合わせ、皆が同じ方向に歩きながら同じ踊りを踊る姿は浮世離れしていてとても趣深い。
「せっかくだし俺たちも踊ってみる?」
「えっ、参加できるんですか?」
「もちろん、誰でもオッケー。ほら、子供からお年寄りまで沢山いるし、服装も自由」
「でも……私、盆踊りなんて踊ったことありませんし……」
「それじゃ、俺が教えるからさ。どう? 体験してみない?」
秀次が多少強引に盆踊りを勧めているのは、もちろん念頭に陽葵を楽しませたいという思いがある。
その上で単純に陽葵が盆踊りを踊っているところを見たいといった強い思いがあった。
脳内には既に浴衣の袖をはためかせ、優雅に踊る陽葵の姿が映っている。
秀次の熱い気持ちが伝わったのか、若干躊躇っていた陽葵がコクンと頷く。
盆踊りに参加する、そう受け取っていいだろう。
「よっしゃ。そうと決まったら早速列に入ろ」
「もうですか!? 踊り、教えてくれるんじゃ……」
「実際に踊りながら教えるよ。その方が身に付きやすいと思うし」
「そ、それはそうですが……心の準備がまだ出来て無いというか……」
「そんなに緊張しないで大丈夫。簡単な踊りだし、綾辻さんも直ぐ踊れるようになるよ。そうだなあ……基本こんな感じ」
何やらまだ躊躇いがあるらしい陽葵の前で例として基礎的な踊りを見せてみれば、何故か羨望の賞賛の拍手が送られた。
両手を2回叩き、掌を上に向けるという単純な動きをしただけなのに、凄い凄い、と囃し立てられ急に恥ずかしくなってくる。
「と、とにかく。こんな風に誰でも出来るレベルだから安心して。さっ、そろそろ俺たちも輪に混ざろ」
「わかりました……その、変でも笑わないでくださいね」
「笑わない笑わない」
「絶対ですよ!」
変、というのは踊りがという意味だろうか。
仮にそうだとしたら、きっと笑わずにいられるだろう。
陽葵の踊りが変ならそれはそれで可愛いに決まっている。
笑うというよりは、ニヤニヤしてしまうことに注意しなければならない。
余程の心配事なのか、何度も笑わないでと念押ししてくる陽葵に返事を返しつつ、秀次は踊りが変なバージョンの陽葵の姿を思い浮かべながら盆踊りの輪に向かった。
「笑わないでって言ったじゃないですか……」
後ろから両手でポコポコと秀次の腰辺りを殴打している陽葵の顔は見事に赤く染まっている。
頬を風船のように膨らまし、口を尖らせて不満気なその様子すらも秀次の目には可愛く映ってしまう。
「ごめんごめん。まさかあんなに……ふふっ」
「あっ、また笑った! 絶対笑わないって約束したのに……」
上目遣いで抗議の目線を送ってくる陽葵には悪いが、つい思い出し笑いしてしまうほどに盆踊りを踊る陽葵の姿は個性的だった。
何と言えばいいのか、とにかくぎこちない。
下手というわけでは無く、見ているうちに自然と笑みがこぼれてしまうのだった。
もちろん秀次が耐え切れず笑ってしまったのは、決して陽葵を馬鹿にしているわけではない。
必死に踊る陽葵の姿が可愛すぎて、といった理由だ。
微笑ましい、そんな言葉がぴったりかもしれない。
しかし、当の本人からしてみれば自分の踊りを見て笑われたので良い気分ではない。
盆踊り会場から離脱し、屋台が集まる場所まで戻る道の途中、後ろを歩く陽葵からは絶えず怨嗟の声とマッサージレベルの強さであるグーパンが飛んできていた。
「本当にごめんって。面白くて笑ったんじゃない、可愛いくてつい笑っちゃったんだよ」
「そ、そんな事言われても笑ったは笑ったです!」
「ええっ……どうすれば許してくれるんだ……」
素直に笑った理由を白状して許してもらう作戦に出たのだが、何故か逆に陽葵はパンチの威力とスピードを上げてきた。
今度は腰だけではなく肩甲骨辺りまで幅広いレンジの攻撃。
それでも残念ながらダメージは1ミリも入らない。
寧ろマッサージの範囲が広がって癒されるし、むきになる陽葵は微笑ましさアップで秀次にはメリットでしかなかった。
この生き物はどこまで可愛いんだ、そんな事を考えていた時。
「あっ」
短い声と共に、背中を撫でるような手の感触がふと消えた。
「だ、大丈夫か!?」
急に攻撃が止んだので気になって振り返ってみれば、道の途中で陽葵が蹲っていた。
体調を崩してしまったのか、それとも怪我をしてしまったのか。
しゃがみ込んで俯いたまま顔を上げない陽葵の元へ、秀次は急いで引き返していく。
「綾辻さん大丈夫? どこか具合悪い? それとも怪我しちゃった?」
陽葵の傍に駆け寄り、近くから声を掛ける。
平気だと言っていたが、満員電車のような人の密集具合だ。
もしかしたら人酔いをしてしまったのかもしれない。
声を掛けながら色んな事を考えていると、ようやく陽葵が顔を上げた。
「……鼻緒、切れちゃいました」
「えっ?」
指で差された陽葵の足元を覗き込むと、漆塗りの土台に2本の太い白糸が目に入る。
花柄が刺繍された白糸は本来つま先部分で結ばれていて、足の指と指の間に通して固定する役割を果たすはずなのだが、その結び目がぷっつりと綺麗に切れてしまっていた。
これではただの木製の板であり、歩くことなど叶わない。
とは言っても、屋台までの道はまだまだあるし、人は絶えず行き来しているのでここで留まるわけにはいかない。
歩けないし留まれない。
そうなると道は1つしかない。
意を決した秀次は徐に立ち上がって陽葵の隣から正面に移動すると、背を向けて再びしゃがみ、それから両手を背中側に回した。
「綾辻さん……乗って」
「乗って、って……えっ、えっ……えええええっ!?」
最初は秀次の行動の意図が分からずきょとんとしていた陽葵が段々と目を見開いていき、その真ん丸な碧眼が露になるのと同じくして悲鳴にも似た大きな声が発せられた。




