第23話 浴衣
「秀次君は俺と一緒にここで待機ね」
バイト終わり、私服に着替えた後に大地に連れられて外に出れば、いつもは陽葵が先に座って待っている店前のベンチに座らされた。
陽葵は珍しく店内で用事があるらしく、まだ出てくる気配は無い。
幸い花火大会が始まるのは日が沈み、辺りが一気に暗くなる19時からなので時間には余裕がある。
ベンチに深く腰掛け、長く大きいため息を吐き出すと、隣に座った大地が愉快そうにケラケラと笑いだした。
「何でそんな元気なんですか……」
「慣れだよ慣れ。後は筋肉」
「はあ……俺はもうくたくたですよ……」
昨日の帰り際に宣言された通り、今までで一番激務だった午後のバイトのせいだろう。
笑顔とお喋りが絶えない大地とは対照的に、秀次の顔はゲッソリとしていて見るからに疲れ切っている。
地元だけでなく全国的に有名な花火大会の影響は凄まじく、陽葵効果と相まって客入りは常にフィーバータイムにスペシャルが付くほどの様相だった。
海水浴場だと言うのに浴衣を着て来店するお客さんもいたほどだ。
もう見慣れてしまった水着の兄ちゃん姉ちゃんからの会話からも浴衣や花火と言ったワードが聞こえてくるように、今夜控えているメインイベントを皆が楽しみにしている様子が見て取れた。
そして、そんな花火大会へ思いを寄せるお客さんを見てガチガチに緊張していた男の子が1人。
(とうとう花火大会当日……綾辻さんに気持ちを伝えるんだ……コクハクスルンダ……)
陽葵との約束を意識すれば自然と告白の2文字が思い浮かび、今までそつなくこなしていた接客にらしくないミスが出る。
かと言って無心でいようと心がけようにも、強制的に目に入る浴衣姿や聞こえてくる関連ワードに意識が持ってかれる。
そんなこんなで単純に大繁盛による激務が肉体的な疲れと、陽葵への告白に対する緊張が精神的な疲れとがダブルで秀次を襲っていた。
勝負の花火大会までに少しでも体力を回復させようと、全体重をベンチの背もたれに預けて瞼を閉じる。
心地よい潮風が素肌を撫で、ついつい眠ってしまいそうになるのを首を振って我慢すれば、大地がそれを見て真っ白な歯をニヤリと覗かせた。
「いやー、秀次君と陽葵ちゃんがいなくなると思うと寂しいね。1週間と言わず、シーズン終わりまで一緒に働いて欲しかったわ」
「そしたら俺の身体が持ちませんって。疲れが溜まって今日みたいにミス連発して迷惑かけるだけです」
「いやいや迷惑だなんて思ってないよ。突然のヘルプ、しかも初バイトなのに手際よくてこっちはめちゃくちゃ助かったんだから」
「そう言って貰えると有難いです……」
「ささやかなお礼としてバイト代プラスしておいたから楽しみにしといて」
「本当ですか!」
ぐったりとしていた秀次が大地の言葉を聞いた途端にガバッと身を起こして小さくガッツポーズを決める。
かなり現金な反応だが、給料アップと言われたらみんなこんな反応になるだろう。
「どう? 疲れが和らいだ?」
「そりゃあもう……」
「じゃあ、ついでにもう1つ、大地お兄さんからのサプライズ」
大地の言葉と共に、ギギギギ、と聞き慣れた木製の扉が軋む音が背後から聞こえた。
ニッコリと少年の様に屈託のない笑顔を浮かべる大地に目で促され、ゆっくりと後ろ振り返り……そして当たり前に分かっていることを念のため確認するように、恐る恐る遠慮がちにその名前を呼んだ。
「……綾辻……さん?」
海の家「はなび」を背に佇む陽葵の姿を一目見た瞬間に、秀次は思わず口を開いて呆けてしまう。
バイトが始まる前に着ていた私服とは明らかに違う格好。
陽葵の華奢で小柄な全身を、白を基調とした布地に細やかな花の紋様があしらわれた浴衣が包み込んでいた。
華やかな赤色の帯は背中で蝶々結びされていて、普段は隠しきれていない起伏のある身体のラインが直線美を描き出している。
まるで陽葵の為に作られたかのように、花柄の着物を陽葵は着こなしていた。
ただでさえ体型や色調によって着こなすのが難しい着物をここまで完璧にフィットさせてしまう陽葵に感嘆しつつ、視線を上にあげれば海のように深いコバルトブルーの瞳に吸い込まれる。
ばっちり目が合ってしまい、気恥ずかしさから秀次が咄嗟に目を離そうとすると、それよりも早く陽葵がプイッと顔を背けてしまった。
いつもと明らかに違う反応に戸惑いつつも、目線が外れたことで遠慮なく陽葵の横顔を見ると、普段は長い髪に隠されうなじが露になっている。
腰まで伸びる色素の薄いダークブロンドの髪はサイドに1房だけ残され、のこりは玉かんざしによってお団子状に纏められていた。
よくよく見れば、元の美しさを引き立てるようにほんのりと化粧が施されていて、着物美人という言葉では表しきれないほどに陽葵の姿は完成されている。
心身共に疲弊させていた今日の疲れなど遥か彼方に吹っ飛んでいき、無意識に下から上、上から下へと無我夢中に眺めていると、陽葵はやや恥じらうように瞳を伏せた。
「そ、そんなに見つめないでください……」」
「あっ、ご、ごめん……」
「いやっ、目を逸らす必要は無いんですけど……どう、ですか? に、似合ってますか?」
「もちろん! めちゃくちゃ似合ってるし……」
「可愛い」と言いかけて、ふと隣を見れば満面の笑みの大地が目に入った。
「似合ってるし?」
「いや、何でもないです……」
「おいおい、そんなのアリかよー」
ぶーぶー、と子供の様に口を尖らせて文句を言ってくる大地は、大袈裟なジェスチャーを交えながら続きを言えと言っているのだが、秀次が口をつぐんだのはそもそも大地のせいだ。
素直に褒めたい気持ちはやまやまだが、大地の前で言ったら確実にからかわれる。
面倒臭いことになるのは目に見えているので、こういう時は話を逸らすのが一番だと、バイト期間で身に付けた大地のかわし方を秀次は実践することにした。
「土尾さんが言ったサプライズって、こういう事ですか?」
「そうそう。陽葵ちゃんから秀次君と花火大会に行くって聞いてね。やっぱ夏祭りと言えば浴衣ってことで、大地お兄さんが手配したってわけ。着付けはキッチン担当のクミちゃん。実家が呉服屋らしくて頼んじゃった」
「どうりで完璧に仕上がってるわけですね……」
呉服屋の娘が着付けたのなら納得だと、再び陽葵の浴衣姿を見て感心していると、直ぐ後ろのドアがゆっくりと音を立てて開いた。
ひょっこりと頭だけだして、こちらを覗き込むポニーテールの女性は丁度話題に上がったキッチン担当のクミだ。
陽葵、秀次と視線を動かし、最後に大地を見つけるとクミから怒声が飛んでくる。
「ほら、おっさんはとっとと帰る! 後は2人の時間でしょうが!」
「むー、俺も青春を少しでも味わいたかったのにー……。てか、おっさんじゃない! まだお兄さん!」
「ほぼおっさんですって。お兄さん要素ゼロでしょ」
「うわっ、地味に刺さる一言……」
自己紹介の時に二十歳だとクミは言っていたはずだが、大分年上の大地にほぼタメ口、しかもかなり上から目線である。
バイトしながら女房の尻に敷かれる旦那のような関係だなと思っていたのだが、秀次は決して口には出さなかった。
一度、同じことをお客さんが指摘してクミが般若のような形相で否定した現場を見れば、誰でも同じ轍は踏まないように心がけるだろう。
何だか口振り的に大地だけでなくクミにまで陽葵との関係を誤解されているような気がするが、わざわざ否定すれば更に邪推されそうだ。
陽葵も俯いて何やらモジモジしているが否定する気は無さそうだし、スルーが1番と決め込んで黙っていれば、名残惜しそうにベンチから立って店内に戻りかけた大地が振り向いて口を開いた。
「そうだ。今日までバイトを頑張ってくれた2人に、最後に1つ良いことを教えよう。知っての通り、今日は19時から1万発以上もの花火が上がる。その中で唯一ハート形の花火が上がるんだけど、この花火にあるジンクスがあるんだ。2人とも知ってるかい?」
「ハート型の花火が上がること自体知りませんでした……」
「やっぱり女の子の陽葵ちゃんも知らないか。秀次君も多分知らないだろ?」
「そういった話は聞いたことないですね」
「だと思った! これは地元の人間しか知らない取って置きだからね」
実は秀次は事前にばっちりと月ヶ浜花火大会について調べてきて、花火大会が始まる時間、メイン会場である夏祭りの場所、インフォメーションセンターにトイレの場所、更には花火が見やすい穴場スポットなる所まで網羅していた。
しかしその中にハート形の花火のジンクスについて特に覚えのある情報は無い。
ネットにすら出回っていない、地元の人しか知らないジンクスとなると、あまりそういったオカルトを信じない人間でも自然と興味が湧いてくる。
陽葵も女の子らしく興味があるらしく、続きの言葉を待って目を輝かせていた。
口外しちゃダメだよ、と前置きしてから大地が得意げに話し始める。
「毎年ランダムなタイミングで打ちあがるハート型の花火を手を繋いで一緒に見た男女は必ず結ばれるってジンクスが月ヶ浜には昔からあるんだよ。だから秀次君と陽葵ちゃん2人でしっかりと手をつな……」
「いい加減に引っ込め!」
クミに思いっ切り頭引っ張たたかれた大地が情けない顔で店の中に消えていく。
「ごめんね、後はごゆっくり」とこちらもこちらでニヤニヤとあらぬことを考えていそうなクミが扉を閉め、ようやく秀次は陽葵と2人きりになった。
少しの間、互いに動かず何も喋らない気まずい空気が流れる。
大地が置き土産にジンクスを披露したせいだろう。
あんなこと言われたら誰だって意識してしまうに決まっている。
それでもこのままベンチに座りっぱなしでいてはいけない。
秀次は震える足を勢いよく叩いて立ち上がり、陽葵の元へと歩く。
目の前に立ち、改めて間近で陽葵の浴衣姿を見れば緊張や不安、気恥ずかしさなどあっという間に意識の外へ飛んでいき、素直な気持ちを伝えられた。
「さっき言いかけたけど……浴衣、凄い似合ってるし可愛いと思う。今までで1番綺麗だよ」
「ありがとう……ございます。嬉しいです、浴衣着た甲斐がありました」
陽葵の目がやんわりと細められ、桜色の薄い唇がたわむ。
この頬が緩み切った幸せそうな表情は、小説に対してや普段の会話の中では絶対に見られない。
秀次が陽葵を褒めた時にだけ向けられる、とびっきりの表情だ。
「それじゃあ、行こうか」
「……はい」
陽葵の歩幅に合わせながらゆっくりと花火大会の会場までの道を歩く途中、秀次の心臓がドクンドクンと激しく脈を打って鳴りやまない。
普段は見られない薄化粧に特別な浴衣姿で陽葵の最高の笑顔を見たせいか、それとも覚悟を決めた告白に向けた緊張か。
恐らくそのどちらもだろう。
チラリと横目で捉えた陽葵の横顔を見て、秀次は改めて好きの気持ちを自覚した。




