第22話 前日
「陽葵ちゃんがバイトしてる理由? うーん、特に聞いてないな」
「そうですか……」
「知りたいなら直接聞いて見れば? 今日も店前で待ってるでしょ、相変わらずお熱いこと。お兄さん嫉妬しちゃうよ」
「綾辻さんとはそういうのじゃないですって! ほんと、このくだり何回やるつもりですか土尾さん。まさか綾辻さんにも同じように絡んでないでしょうね」
「いやー、2人も反応がピュアピュアで良いよね……まさに青春って感じ」
キッチンの電気以外全て消灯し、薄暗くなった海の家「はなび」の店内で豪快な笑い声が響き渡る。
視線と表情で抗議をすれば、大きな掌でわしゃわしゃと髪をかき乱され誤魔化されるのはいつも通りだ。
悪い悪いと平謝りするだけで、大地はこの弄りを止めようとしない。
聞いた感じ、同じようなことを陽葵にもしているのだろう。
ピュアピュアな反応をする陽葵というのは見てみたいが、見当違いの弄りをされて大迷惑を被っているに違いので大地に変わって申し訳ない気持ちになる。
原因は恐らく、バイト終わりに秀次が店を出るのを毎日陽葵が律義に待って、仲良く一緒に帰っているからだろう。
最寄り駅が一緒なだけときっぱり断りを入れても、大地は中学生の様にやんややんやと茶化してくる。
もちろん花火大会で告白をして成功し、晴れてカップルになれたらいくらでも弄って貰って構わない。
寧ろ幸せがブーストするのでもっとやってほしいくらいだ。
しかし、まだ成功の兆しすら見えていない段階で弄ってくるのは、万が一告白が失敗した後のことを考えると気まずすぎるし惨めすぎる。
「ほら、陽葵ちゃんが待ちくたびれちゃうぞ。後は俺がやっとくから帰った帰った」
「それではお言葉に甘えて……お先に失礼します」
「おう、お疲れちゃん。明日は花火大会の影響でこれまで以上に忙しくなるだろうから気張っていこうな」
「りょ、了解です……」
明かりが少ない中でも分かる爽やかスマイルで見送られ、店の出入り口の扉に手を掛ければ一気に身体が重くなる。
(いよいよ明日か……俺って本当にヘタレ野郎だな……)
大地の言葉で改めて付きつけられる。
今日は土曜日、陽葵と約束した週末の花火大会までもう後1日。
それなのに、胸が高鳴るどころか、どんよりと気が重いのは何故なのか。
ヘタレ野郎はドアノブを握りながら、がっくりと肩を落として項垂れてしまう。
バイトを終え、一緒に帰り、またバイトで顔を合わせる。
そんな変わらないループを秀次は今日までずっと繰り返していた。
ちょっと前の秀次ならそれだけで胸がいっぱいになるほど幸せだったが、告白を決めた今になると少しも進展が無いこの状況に焦りと自分に対する苛立ちが募ってくる。
ダメもとで大地に翔の言っていた、お嬢様であろう陽葵がわざわざバイトをする理由を聞いてみたが収穫は無し。
ファミレスに翔を呼び、翔断ちを宣言したのはいいものの、今日まで特に何もアプローチが出来なかったことが秀次のヘタレさをよく表していた。
告白までに少しでも距離を縮めたい秀次は陽葵を遊びに誘うにも、バイトが終わる頃には既に夕方。それなら午前中と考えても、連日の激務でとてもじゃないが朝から遊びに出かける気力が湧かない。
結局、サイン会の時の様に2人でお出かけをして仲を深めることは今日まで全くできなかった。
一応、せめてもの行動として翔のアドバイスを参考に帰りの電車で陽葵に好きなものを聞いてみたりした。
好きな食べ物はりんご、好きな色は白、好きな科目は国語……と言った風に色々教えてもらったが、果たして距離が縮まったと言えるかは微妙だ。
好きな本は、と聞いた時に『君が桜色に染まる時』という小説について目をキラキラさせて、いつになくテンション高めに語っていた陽葵の姿は記憶に新しい。
あの時の陽葵の反応が今日までのピークだった気がする。
今日の帰りに本屋で買って読んでみようかと、明日に迫った勝負の花火大会までに出来ることを思案しながら扉を開ければ、直ぐに陽葵の横顔が目に入る。
夕焼けに照らされオレンジ色に染まる海と砂浜を背景に、ベンチに腰掛けて物静かに小説のページをめくる陽葵の姿は芸術作品のように美しい。
ギギギギ、と年季の入った木製の扉が軋む音が聞こえたのか、読み途中の小説からパッと目を離して振り返った陽葵とばっちり目が合う。
ぎこちない笑顔を作って「お待たせ」と声を掛けると、その蒼い瞳がやんわりと細められ、慈愛に満ちた表情で微笑みを返してくれる。
それでだけで秀次は、今日1日の疲れが遥か海の彼方へ吹っ飛ぶほど心の底から癒されるのを感じていた。ついでに扉の向こうで突入していたいつものネガティブモードも振り払われる。
「いつもより早いですね、片付けが早く終わったのですか?」
「いや、土尾さんが綾辻さん待たせるのは悪いから先に帰れって」
「そんなこと気にしなくてもいいのに……。寧ろ私だけ手伝わないで申し訳ないです」
「それこそ気にしなくていいんじゃない? 土尾さんが力仕事は男に任せてって言って聞かないし」
でもでも、と納得できない様子の陽葵にフォローを入れながらどこまでも続く水平線を横目に、影が差してヒンヤリと涼しいアスファルトの道を陽葵と共に歩く。
電車の中で肩を並べて過ごすのとはまた違った、特別な時間。
白い砂浜に押し寄せるさざ波の音と仄かに香る磯の香りは、告白を目前にした焦りや不安、様々な葛藤を孕む騒がしい心を穏やかにし、秀次の気持ちを落ち着かせる。
秀次はこの特別な時間に、陽葵にある言葉を掛けるのをバイト初日から欠かさず心掛けていた。
機会を伺って陽葵と話しながら暫く歩けば、しだいに会話が少なくなり、無言の時間が訪れる。
隣に目を向ければ、見覚えのある白いワンピースを着ている陽葵が何だかそわそわしている。
ワンピースの裾を潮風の成すままにはためかせ、後ろに靡く長いダークブロンドの髪を片手で覆って抑える姿は、フィクションの世界に住む清楚なお嬢様の様で息を呑むほど美しい。
思わず見入ってしまった秀次は我に返り、平常心を保ちながら勇気を出して口を開く。
「今日の服、サイン会の時に来ていたワンピース?」
「気づきました? このワンピース、私のお気に入りなんです。明日着ようか迷ったのですが……色々あって今日着ちゃいました」
少し俯き気味で何かを待つようにチラチラと秀次の方を見ていた陽葵は秀次の言葉を聞いて、待ってましたとばかりに表情が明るくなる。
小走りで秀次の前に躍り出て歩を止めると、両手を目一杯広げ、その場でゆっくりと一回転をした。
ワンピースの裾がふわりと浮き上がり、灰色のアスファルトの上に一凛の白い花が可憐に咲く。
「……どう、ですか?」
「めちゃくちゃ良い。綾辻さんのお気に入りなだけあって凄く似合ってる」
「ありがとうございます……樋山君のお陰でこの服がもっと好きになりました」
「あっ、後付けじゃないからね。サイン会の時も思ってたんだけど、色々あって言えずじまいだったというか何というか……」
「わかってます。樋山君の言葉は素直に受け取る様にしてますから」
自分だけに向けられた、陽葵のとびっきりの笑顔に秀次の心が高く跳ねる。
この笑顔が見たいが為に、初めて陽葵に面と向かって「可愛い」と言ったバイト初日から、秀次は恥ずかしがって隠すことはせず、毎日素直に陽葵の服装を褒めるようにしていた。
お世辞や適当な言葉と思われない様にバイト2日目からは良いと思ったところを列挙してみたのだが、陽葵から勘弁してくださいと涙目で言われたので、それからはシンプルに褒めるだけに止めている。
(私服でこれだけ可愛い綾辻さんが浴衣を着たらどうなってしまうんだろ……。うわ、めっちゃ見たいけど、彼氏でもない俺相手に浴衣なんて着てくれるか? 神様、どうか綾辻さんが浴衣を着てくれますように……)
何やら両手を前で組んで神頼みを始めた秀次は、隣を歩いているのにも関わらず全く気づかない。
夕焼けの空では誤魔化せないほどに、陽葵の頬が真っ赤に染まっていることに。
毎日素直に言葉にして陽葵の服装を褒める。
そのことが何よりも陽葵との距離を縮めていることに。




