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第20話 約束



 陽葵に頼まれた通りに一定の距離を保ったまま歩き、駅に着いた時には太陽が沈みかけていて、辺りは薄暗くなっていた。

  

 近くにいるのにお互い他人のように無言で歩いた時間は寂しかったが、お陰で心を落ち着けることができたのは僥倖だ。

 潮風が肌を優しく撫でれば、火照った身体も少しづつ冷めていった。


 先に駅に着いていた陽葵の顔は普段通り、雪のように真っ白で傷一つ無い。

 日焼け止めをしっかり塗っているのか、日焼けとは無縁の肌色をしている。


 やはりあの時、陽葵の顔が真っ赤に染まっていたのは、夕焼け空の下で辺り一面がオレンジ色に染められていたからだろう。

 

 可愛いの言葉に照れたわけでは決して無い……はずだ。


「すいません、変なお願いしちゃって。もう大丈夫ですので……」

「そりゃよかった。電車もう直ぐ来るみたいだし乗っちゃおう」

「わかりました。今、カードを用意しますね」


 何故距離を開けて歩かされたのかわからないが、陽葵も陽葵で落ち着いたらしい。


 普段通りの様子で会話をすれば、カバンをゴソゴソと弄って如何にも高そうなレザーの長財布を取り出した。

 そこから引っ張り出してきたのは、全国的に有名な交通系ICカードだ。


 電子マネーをこのカードに入れておけば、改札で認証機にタッチするだけで勝手に交通費を払ってくれるという仕組みの文明の利器。

 最近ではコンビニや自動販売機でも使え、スマートフォンのように普段手放せないアイテムとなっている。


 秀次もその例に漏れずICカードを持っているので、ポケットから取り出して陽葵に続いて改札を抜けようとすると、ガシャン、と勢いよく何かが閉まる音がした。

 それと同時に聞き慣れない素っ頓狂な声も。


「あれっ!? ピッてするだけって聞いていたのに!」


 改札前でオロオロとしながら止まっている陽葵を後ろから覗き込めば、認証機が赤色に変わり、不快な警告音が鳴り響いている。

 こういう時は、ICカードに入れた残金が足りない証拠だ。

 

 券売機に行ってチャージすればいいだけなのだが、陽葵は何故かその場から動こうとしない。

 それどころか、何度もカードを認証機にタッチしてその度に改札にストップされている始末。


「樋山君、どうしましょう!? 改札が壊れてしまいました……」

「大丈夫、改札は壊れてない。寧ろ正常に機能してるから安心して」

「で、でも、今まではピッ、てすれば通れたんです! それがピッてしたら通せんぼされちゃって……」

「それはカードの残金が足りないからなの。あっちの券売機でチャージすれば使えるようになるよ」

「チャージ……?」

「マジか……」


 可愛らしく首を傾げる陽葵だが、その無知さには可愛さどころかちょっとした恐怖を感じる。


 陽葵がお嬢様というのは通っている学校からも、時々見せる育ちの良さからも感じていた。

 それを指摘すると陽葵が露骨に機嫌が悪くなるもの。

 とにかく陽葵は普通であることを好む。

 

 陽葵がわざわざ電車で通学するのも普通の一貫だと思っていたが、まさかチャージを知らないとは。

 そんな女子高生は絶対に普通じゃない。

 いくら何でもお嬢様レベルが高すぎる。


「ここをこうして……そこにお金を入れれば……」

「なるほど、こうやってカードにお金を入れればいいんですね」


 手順を説明しながら実践すれば、直ぐにチャージされたカードが出来上がる。

 

 恐る恐る再び同じ改札にカードをかざして無事に反対側に通り抜ければ、陽葵の顔がパッと明るくなった。


「樋山君、ちゃんと通れましたよ! これでこのカードはマスターしました!」

「それは良かったけど……綾辻さん、切符って知ってる?」

「あー、もしかして馬鹿にしてます?」

「いやいやそんなつもりはない。一応、一応ね?」

「チャージは知りませんでしたが、切符くらいは知ってますよ。ピッ、てしない人が改札を通る時に使う小さな長方形の紙ですね」

「まあ、認識はそれでいいんだけど……使ったことは?」

「一度も無いですねー……私にはこれがありますので!」

 

 陽葵が若干ドヤ顔で自慢げに先ほどマスター? したICカードを見せてくる。


 つまるところ、陽葵は切符の買い方を知らないのだろう。


(切符についても教えておいた方が良さそうだな……)


 流石に紙幣しか使ったことないので、硬貨の使い方が分かりませんなんでことは無いはずだ。

 タピオカ店で普通に使っていた……気がする。

 チャージを知らないという予想外のお嬢様度を見せつけれた後だと、一度見ているはずなのに確証が持てない。


 何にせよ今はもう改札を過ぎてホームに来てしまったので、切符の買い方講座はまた今度だ。


「ご乗車ありがとうございましたー。月ヶ浜ー月ヶ浜ー。お出口は右側です」


 停車した電車に乗り込み、空いている席に陽葵と一緒に座る。


 ここから電車を2本乗り継いで、約1時間の帰り道が始まる。


 秀次も陽葵も午後からのシフトで閉店時間まで働くことになっているので帰る時間は一緒だ。

 もしかしたらこうして陽葵と毎日一緒に帰ることになるかも知れない。


 陽葵と一緒に居れるのがめちゃくちゃ嬉しい反面、そんな長時間何を話せばいいのか秀次は考えるのに必死だった。


「そういえば綾辻さん。なんで俺を店の前で待っててくれたの? あっ、もしかしてこうやって一緒に帰ろうとしてくれたってこと?」

 

 冴えない頭をフル回転させて捻りだした話題は、秀次が気になっていたことだ。

 わざわざ店から出てくるのを待っていてくれた以上、何か自分に用があるはず。

 後でちゃんと話すと陽葵は言っていたし、ここで聞いてもいいはずだ。


「もちろんそのつもりでもありましたが……本命は違います」

「本命? まだ何かあるのか?」


 最寄り駅が近いというだけの理由だろうが、陽葵が一緒に帰るために待っていてくれただけで十分嬉しいというのにまだ何かあるらしい。

 返答を待って横目で陽葵を見れば、スカートの布を両手でキュッと握って何やら言いずらそうにモジモジしている。


「……樋山君、今週の日曜日の夜って空いてますか?」

「今日みたいに昼から閉店まで土尾さんのとこでバイトあるけど、それからなら暇だよ。確か綾辻さんも日曜までシフト入ってるよね」

「はい、バイトが終わってから樋山君と行きたいところがあるのですが……」

「行きます、どこでも行きます」


 サイン会の日にタピオカを飲みたいと言われた時にのように、思わぬ陽葵からの誘いに胸が跳ね上がる。


 悩む余地などなく食い気味に即答すれば、陽葵が目を丸くしてきょとんと呆気に取られた表情を浮かべた。


「まだ行く場所も言ってないのにいいんですか?」

「もちろん! うわー、今から楽しみだなー。今週は激務の連続で気が重かったけど、一気に活力湧いてきた」


 どうやら陽葵は秀次がこんなにあっさりと了承してくれるとは思っていなかったらしい。

 人目を憚らず、大袈裟にガッツポーズをして喜んでいる秀次の姿も予想外だったのだろう。


 陽葵は秀次に気づかれない程度に小さくホッ、と息を吐いて胸を撫でおろした。

 その表情は安堵の色に包まれている。

 

「17時に営業が終わるから結構夜遅くなるけど、どこ行こうと思ってるの?」

「それは……その……」


 突然降りかかってきた陽葵からのお誘いに喜びの気持ちが抑えられず、興奮気味で陽葵に予定を聞けば、さっきと同じように俯いてまたモジモジしてしまった。


 バイト先でよそよそしい態度を取られたと思えば、秀次が店を出るのをわざわざ待っててくれた。距離を開けて歩いてと避けられたと思えば、チャージで子供のように無邪気にはしゃぐ。

 そして今度は急に縮こまってしおらしくなると来た。


 感情の起伏が激しく、表情豊かなところは秀次が好きな陽葵の一面なのだが、ジェットコースターのように目まぐるしく変わる今日の陽葵の様子は初めて見るものだった。


 さっきまで雪色だった真っ白な頬が薄っすらと赤みを帯びている理由を秀次が知る由も無く、黙りこくってしまった陽葵の返事を待って視線を彷徨わせれば、天井から吊るされた車内広告が目に入った。


「月ヶ浜花火大会……確かこの辺で一番有名な花火大会だよね。そういや俺たちのバイト先が丁度月ヶ浜じゃん。当日解放されてるか分からないけど、海辺から見る花火は絶景なんだろうなー……」


 車両内の広告をほとんど埋め尽くしている月ヶ浜花火大会の文字。


 田舎過ぎず都会過ぎず。

 月明りに照らされた夜空に、程よく地上をライトアップする人口の光。

 月ヶ浜に打ちあがる1万発以上の花火はそれらを明るく包み込み、見るものを虜にすると全国的にも評判だった。


(綾辻さんと行けたら最高なんだろうな)


 チラッ、と隣で俯いたままの陽葵を覗き見て、浴衣姿を想像してみる。

 それだけで幸せに心が満たされ、頬が締まりなくだらけ切ってしまうのだから募らせまくった片想いというのは恐ろしい。


 夜空を明るく照らす満開の花火の下で、愛の告白を……そんなロマンティックな妄想を全力で振り払いつつ、秀次は花火大会の開催日を探した。

 

 月が浮かぶ夜空にハート形の花火が打ち上っている写真を背景に、車内広告には場所やアクセス、駐車場の場所など様々な情報が所狭しと並んでいて、その中でも一際目立つ色とフォントでお目当ての数字と文字が記載されていた。


(開催日は今週の日曜日か。綾辻さんを誘って一緒に行けたら……ってあれ?)


 花火大会の開催日を見て、ある考えが思い浮かぶ。


 今週の日曜日、その日は……

 

「樋山君!」

「は、はい!」


 花火大会の広告を見上げて考えを巡らせて入れば、隣からいきなり大きめの声で名前を呼ばれた。

 顔ごと視線を隣に向けると、上目遣いでこちらを見上げてくる陽葵とぴったり目が合う。


 スカートの裾は相変わらず両手で強く握られていて、海のように深い青色の瞳は不安気に揺れている。

 さっきよりも頬が紅色に色づいているのは気のせいだろうか。


 陽葵の様子は今からとても大事なことを言うような雰囲気が醸し出されていて、秀次はただひたすらに次の言葉を黙って待った。


 電車が揺れる音だけが静かな車内に響き、暫し時が止まったような長い時間が流れる。


「……私と、月ヶ浜の花火大会に行ってくれませんか?」

「行きます!」

「そ、そんな即答しなくても……でも、嬉しいです。断られたらどうしようってずっと思ってて」

「綾辻さんの誘いを断るわけ! うわ、めちゃくちゃ楽しみになってきた! さっそく予定決めよう、予定!」


 感情駄々洩れで捲し立てる秀次に陽葵は呆気に取れられているのだが、歓喜のメーターが振り切ってテンションがおかしくなった秀次が気づくことはない。

 

 スマホで早速、花火大会の楽しみ方など調べて始めた秀次の横顔を見つめ、陽葵はようやく心底嬉しそうな表情を浮かべていた。


「バイトが終わったら、店の前で待ち合わせして一緒に行きましょう……約束、です」


 少し恥ずかしそうに、照れ笑いを浮かべながら陽葵が右手の小指を差し出して来た。


 日本に古くから伝わる、約束を誓う時に行われるゆびきりのポーズだ。


 促されるままに、向けられた小さく細い小指に自分の小指を絡めれば、陽葵は満足そうに可愛らしくあどけない笑顔を見せてくる。


 それは秀次が陽葵に一目惚れをした、優しく、柔らかく、そして朗らかな笑顔……とは比べ物にならないほど、言うなれば天使のような最高の笑顔だった。


 跳ね上がる心臓、内側から溢れ出す熱。


 長い間募らせた陽葵への恋心は既に抑えきれなくなるほど大きく膨らんでいた。


(……花火大会で綾辻さんに告白しよう)


 秀次は密かに決意を固め、小指と小指の小さな繋がりにギュッと強く力を込めた。

 



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