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第18話 看板娘


―プルルルル……プルルルル……


 電話を掛けた相手が応答するのを待ちながら、更衣室にひっそりと置かれている木製のベンチにフラフラと歩きだす。

 壁に背を預けてぐったりとだらしなく座り込めば、まもなく耳に当てたスマホからもしもーし、と陽気な声が聞こえてきた。


「もしもし……翔?」

「どうした秀次。電話何て珍しいじゃん。バイトは終わったのか?」

「今丁度終わった。まさにフィーバータイムだったわ……」


 ついさっきまでの激務を思い出せば、自然と長めのため息がこぼれ出てしまう。


 注文を聞いて、厨房に伝え、完成した料理を運ぶ。

 たったこれだけの簡単作業だと思っていた甘い幻想は開始数分で打ち砕かれることとなったのだ。


 可愛らしいピンク色の法被を着た陽葵が店頭に姿を現した瞬間、それは始まった。

 

 既に満席で賑わっていた店内から野太い声が一斉に上がり、何故か拍手が巻き起こる。

 それに呼応したかの様に外から新たな客が雪崩込み、店前には長蛇の列が。


「1週間前に陽葵ちゃんがバイトとして来てくれてから客入りが凄くて凄くて。最初は何とか回してたんだけど、見ての通り収集付かなくなったってわけ」


 ガハハハハ、と愉快そうに笑う大地曰く口コミが瞬く間に広がり、海の家「はなび」に可愛すぎる看板娘がいると話題になったらしい。

 陽葵目当てに遠出して来る人ほどその人気は凄まじく、ほとんど男性で占められたお客さんが閉店になるまで途絶えないほどの大盛況を作り出していた。

 

 陽葵を一目見ようと列を成すお客さんに、飛ぶように売れる料理の数々。

 その様子はまさしくフィーバータイムと呼べるだろう。


 お陰で大地と秀次はノンストップでひたすら接客に奔走する羽目になり、キッチンも必死の形相で注文を作り続ける。


 この異様な大盛況を起こした張本人の陽葵はと言うと、大地に言われて帰った客のテーブル片付けのみを担当していた。

 本人は自分も接客に加わって助けになりたいと申し出ていたのだが、それを大地が頑なに拒んだと言う。


 何でも秀次が来るまで陽葵も接客をしていたのだが、そこである問題が発生したらしい。

 

 夏の暑さに浮かれて常識が飛んでいったのか、勝手に陽葵の写真を取ろうとする人や、声を掛けてナンパを始める輩が出てきたのだ。

 その度に大地が割り込んで陽葵を守っていたのだが、やはりこちらも人手が足りなくなってくる。


 そういう訳で、陽葵は客の接触をなるべく少なくするために接客から外して別の仕事を。

 信頼に出来る人間に陽葵のボディーガードをしながら、接客を手伝ってもらおうとナンパ対策を打ち出した大地だったが、大きな誤算が一つあった。


「まさか翔に断られるとはねー。代わりに秀次君が来てくれて本当に良かった。何でも翔の親友なんだろ? しかも陽葵ちゃんと知り合いと来た。これほど今回のバイトに打ってつけな人は他に居ないよ」


 ニカッ、と眩しい爽やかな笑顔で言われてしまえば、ボディーガード何て荷が重いとは言いにくい。


 つい最近、陽葵をナンパから守ったことがあるものの、あれは何かのメーターが吹っ切れたことで出来たことだ。

 「この子、俺の彼女なんで」何てもう二度と言える気がしない。

 思い出すたびに羞恥心で居たたまれなくなり、穴があったら入りたい気分になるのだ。


 しかも海でナンパするのはイカツイかチャラい兄ちゃんと決まっているのか、陽葵に声を掛ける人達は誰も彼もあまり近づきたいビジュアルをしている。

 基本は筋肉マッチョの大地が盗撮やナンパに対応するのだが、どうしても大地が手を離せない時は秀次が勇気を振り絞って行くしかなかった。


 そんなこんなで雪崩れ込むお客さんの対応に、陽葵に近づく不届き者への対処を必死に続けていると、気づけばいつの間にか閉店時間を迎えていて、心身ともに疲れ果てた秀次はまさに満身創痍と言った様相だった。


「電話越しでも相当忙しかったんだなってわかるわ。ま、とにかくお疲れちゃん。臨時で頼んで悪かったな」

「ちゃんと悪気はあって何よりなんだけどさ。翔、もう1つ何か俺に言う事無いか?」

「あー? 何だろ。補習の予習するために借りたノート失くしたこと? それとも昨日バッグにこっそりとお菓子のゴミ入れたこと?」

「どっちも初耳だわ! それも大いに言うべきだけど、俺が言ってんのはもっと重大な事」

「うーん、心当たりが沢山あってわからん……正解は?」

「しらばっくれんな。お前、いつの間に綾辻さんと知り合ってんだよ」


 思わぬ形で白状された翔の悪行にイラっときて、つい語感が強くなってしまうが秀次は別に怒っているわけでは無い。寧ろ感謝カンゲキ雨嵐。稼いだバイト代で何でも好きなものを奢ってやろうと思ってるくらいだ。

 

 怠惰な夏休みを打破しようと始めたバイト先に大好きな女の子がいるなんて超絶ハッピーな展開は偶然には起こり得ないだろう。

 だから、これは翔の仕業に違いないと秀次は確信していた。

 元々翔がただ単に健全的なバイトのお誘いをしてくるわけが無く、何か企みがあるのではと踏んではいた。まさかそれが陽葵と同じ店で働けるだなんて嬉しすぎるサプライズだとは微塵も思わなかったが。


 翔が張り巡らせている女の子のコミュニティに麗秀学院のお嬢様がいて、そこから陽葵に繋がった……と言った感じだろう。

 色々と相談に乗ってもらった関係で、翔は綾辻陽葵という名前と通っている学校、大まかな外見は知っている。一般人がリムジンで登校するようなエリートに近づけるか疑問だが、コミュ力お化けの翔なら十分可能に思えてしまう。


 陽葵に直接聞いたか、その友達に聞いたのか定かではないが、翔が秀次の為にバイト先を聞き出してくれたと考えるのが妥当だろう。


 しかし、当の本人は暫く間を置いてから、


「どういう事だ? 俺、お前の初恋相手と友達になった記憶何て全くないけど」

「いやいやとぼけんなって。お前から頼まれたバイト先に綾辻さんがいるんだよ。これが偶然の訳無いだろ?」

「それマジで言ってんの!? 何その超最高な職場。秀次、やっぱこれは奇跡、いや運命だ。このチャンスを活かさないでか!」

「……本当に知らないのか?」


 何言ってんだこいつ、と言った感じの懐疑的な声から一気にテンションマックスになった翔が思わず耳からスマホを遠ざけてしまうほど騒がしく一方的に捲し立ててくる。


 後で詳しく聞くから秀次はデートの誘い方を考えろ、と言い残し、これ以上疑惑を追及できないまま電話を切られてしまった。


「翔は無関係……? じゃあ本当に綾辻さんとバイト先が同じになったのは偶然? そんな事があり得るのか……?」

 

 奇跡、運命と言った言葉で片付けていいのか、まだ翔に対する疑惑が抜け切れない。

 

 翔は基本的に聞かれたら素直に話すが、例外として嘘を付くときもある。

 その例外は、秀次の為と思って付く善意の嘘だ。


 似たようなことが前に何回かあったからわかる。


 その中でも印象に残っているのは中学3年の夏、突然金髪に染めてチャラチャラとし始めた翔に何があったんだと聞いた時。

 高校デビューと一言答えた翔が浮かべた笑顔は間違いなく偽りの作られたものだった。


 文武両道、模範的な行いで指定校推薦を決めていた翔が、突然チャラくなりクズ男なった本当の理由は今も分からない。

 こういう時は無理に聞き出そうとせず、翔から話してくれる時をひたすら待つに限る。


 だから今回も翔が知らないと言えば、秀次はそう受け取るしかない。


 本当はやはり翔が陽葵のバイト先を知っていて、秀次をそこに誘ったという疑惑は疑惑のまま。


 疑惑が真実だった場合、秀次は感謝しかないので翔が隠す理由が分からないが、何か彼なりの理由があるのかもしれない。


「おーい、秀次君。もうそろ店閉めるぞー?」

「わかりました! 直ぐ出ます!」


 そんな推測しても意味のないことを考えているうちに大地から間接的に早く店を出ろと言われ、あまりの激務に疲れ果て、着替えてベンチに座ったまま散らかしっぱなしだった荷物を纏め始める。

  

 いざ立って久々……と言っても十数分ぶりに身体を動かせば、全体的に動きがのっそりとしている。

 ロボットの様にぎこちない手足の動きは傍から見れば滑稽な芝居のように見えるだろう。

 

 帰宅部に加え通学に自転車を遣わず、基本インドア派で家でダラダラしっぱなしの秀次に取って、今日の激務は身体が悲鳴を上げるには十分すぎた。


 初日のバイトで既に筋肉痛レベルまで疲労が経っていてるのが嫌というほど分かり、自分の身体の情けなさが悲しくなってくる。


「少しは鍛えた方がいいかも知れない……。ジムとか通ってみるか……いや、どうせ俺は続かねーな」


 誰も居ない事を良いことに独り言を紡ぎつつ、疲れた身体に鞭を打ち、ぷるぷると震える手足を動かしてようやく帰る準備が出来る。


 男子更衣室を出れば、スタッフルームは既に消灯されていて人影はどこにも無い。

 隣の女子更衣室も電気が消されているし、どうやら最後まで残っていたのは秀次のみだったようだ。


 最寄り駅が近い陽葵がもしかしたら待っててくれるんじゃないかと淡い期待を抱いていたので、少しの挨拶すら無しに先に陽葵に帰ってしまったのはショックだったが、今日は寧ろそれで良かったかもしれない。


 電車で1時間弱掛かる帰り道を何の心の準備も無しに陽葵と過ごすのは無理が過ぎる。

 翔の言うようにデートに誘うなんてもってのほか。


 そもそも陽葵と初めて遊びに行った日から、距離が縮まるどころか離れてしまっているのだ。

 カッコ良かったです、なんてメッセージに悶えまくって調子に乗ったのも束の間、それ以降何回かやり取りをしたっ切りで連絡は途絶えてしまった。

 

 ファミレスでバイトに誘われた後、それを翔に相談したところ、ヘタレ野郎特有の気にしすぎだと何度も言われた。


 しかし実際、バイト先で同じになったというのに終始陽葵はよそよそしかったのだ。


 勇気を出して盗撮、ナンパから守った時に小さくありがとうと呟かれるくらい。

 秀次が僅かな合間時間を縫って陽葵に声を掛けようとしても、背を向けてそそくさとどこかに行ってしまう。

 

 翔の言うように気のしすぎかもしれないが、やはり本人からするとどうしても避けられてる感は否めない。


「お疲れ様でーす」

「ほいほーい。いやー、秀次君が来てくれて本当に助かったよ。フィーバータイム凄かったろ? あれが今後毎日続くからよろしくね」

「はい……頑張ります」

 

 最後に店を閉めるために秀次が出てくるのを待っていてくれた大地にペコリとお辞儀をして店を出れば、あれだけ賑やかだった海水浴場がもぬけの殻になっている。


 海水浴場が営業を終えるのと同時に海の家も閉めるので当たり前なのだが、目に写る幻想的な景色に人一人いないというのは不思議な気分だ。

 夕焼けに照らされてオレンジ色に染め上げられた青い海と白い砂浜は、思わず店の前で立ち止まって呆けてしまうほど美しく綺麗だった。


「綾辻さんと見たかったな……」


 ポツリ、と自然に本音が零れ出た。

 

 目の前の絶景を好きな人と肩を並べて一緒に見れたらどんなに幸せだろうか。


(ロマンティックな場所で愛の告白……なーんてね)


 奇跡だの運命だの連呼する翔の影響だな、と柄にも合わない思考に苦笑すれば、程なくして重たいため息が勝手に口から出てしまう。


 明日から今日と同じかそれ以上の激務が続くと思うと気が重い。

 陽葵と一緒に働けるだけで疲れやストレスが吹っ飛びそうなものだが、何故か気まずく距離が遠くなってしまった現状では寧ろ精神的に苦しいものがある。


 はあ、とまたため息をついて、帰路に着こうと一歩を踏み出した時だった。


「あの……私の名前呼びました?」


 聞き覚えのある心地の良い透き通った声が背後から聞こえた。


 





 

  

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