第17話 バイト
翔に頼まれたバイト先は夏シーズンのみ営業し、稼ぐだけ稼いで店閉まいする所謂海の家と呼ばれる系統のお店だった。
何でも翔の親戚が店長を務めているらしく、人手が足りない期間限定で新たな従業員を募集していたらしい。
最初は翔が誘われたのだが、女の子とのデート優先の翔が引き受けるはずも無く、代わりの人材として秀次に白羽の矢が立ったという事だった。
バイト経験は無いが、業務内容は注文確認と料理を運ぶだけらしく素人でも心配ないだろう。
何より家から一歩も出ずに自分の部屋でダラダラと無駄な毎日を過ごすよりは、バイトをして汗を流す方が心身ともに良いだろうし、きちんと給料も出るのでやりがいはある。
翔からとは思えない健全的なお願いを素直に承諾するのは躊躇われたものの、裏は無いと言い張る翔を信じて臨時のバイトを引き受れば、早速明日から勤務して欲しいと言われて反射的にため息が出た。
断っていたら一体どうするつもりだったのか。
翔なら断られたら断られたで勧誘失敗と親戚の店長に伝えて終わりの気もするし、女の子とのコミュニティを活かして無理やりにでも人員を確保するやり方も考えられる。
やっぱ秀次なら暇だろうし引き受けてくれると思った、と能天気に笑う親友の脛をもう1度蹴って、その日は解散となった。
「ここ……だよな」
そしてバイト初日。
翔から送られてきた住所を頼りに電車を2本乗り継いで1時間ほど揺られた末に着いたのは、地元では知らない人はいないであろう人気スポットである海水浴場。
シーズン真っ盛りと言うことで親子連れから若いグループまで老若男女、沢山の人で白い砂浜のビーチは賑わっている。
水平線を横目に水着やビーチグッズが売ってる購買や、フランクフルトやかき氷などの様々な屋台が並ぶスペースにに足を運べば、バイト先の店名である「はなび」と書かれた看板が直ぐに目に入った。
丁度お昼の時間帯と被って大繁盛の様で、店内は海水で髪を濡らした水着の男女で賑わっている。
「樋山秀次君?」
滅多に行くことがない海の雰囲気に戸惑い、店の入り口でウロウロとしていると店内から突然から大声で名前を呼ばれた。
振り向けばスキンヘッドに捩じりハチマキを巻き、背中に祭と大きく書かれた青地の法被を着たお兄さんがこちらに手を振っている。
真っ黒に日焼けした肌に筋骨隆々の逞しい身体を備え、ファッションと相まって如何にも海の男と言った感じの男性だ。
「あっ、はい。樋山ですけど……土尾さんですか?」
「そうそう。土尾大地28歳。海の家営んでるのに名前は山っぽいってね、聞いてねえか! ガハハハハハ……あっ、みなさーん! ただいま彼女募集中なので気軽にお声がけくださーい!」
翔から教えられていたバイト先の店長の特徴と一致したので恐る恐る名前を呼んでみれば、店内の喧騒を掻き消すような豪快な笑い声と共にパンチの効いた自己紹介が飛んで来た。
店全体に響き渡った大地の言葉に一気に客が湧き、あちらこちらからヤジが飛び交う。
それを両手を上げて賞賛の様に受け止めながら、人の好さそうな笑顔を浮かべた大地が秀次のところまで歩いてくる。
「翔から話は聞いてるよ。早速で悪いんだけど中入って接客してくれない? やり方は裏で簡単に説明するからさ」
「わかりました。……見たところ土尾さんの他に接客がいない気がするんですけど、そんなに人足りてないんですか?」
「いやー、この人数なら俺が1人で回せんのよ。問題はこの後」
「この後……ですか? 見たところ既に満席でこれ以上忙しくならなそうですけど……」
大地に連れられて店内に入れば、4人テーブルとカウンター席が全て埋まっている。
カウンター席の向こう側で料理を作っている従業員は忙しそうにしているものの、人手が足りない様には見えない。
大地がこの満席状態を1人で回せるなら接客だけの為に誰かをを雇う意味が無いように思えてしまう。
首を傾げて頭にハテナを浮かべる秀次を見て、大地がニヤリと小麦色の肌から真っ白な歯を覗かせた。
「これ以上は無いと思うじゃん? 俺もそう思ってた。でもあの子を雇ってから状況が変わったんだよ」
「あの子?」
「もう直ぐシフトの時間だからそろそろ裏から出てくるはず。よく見とけ、フィーバータイムが始まるぞ」
秀次の2倍はあるんじゃないかと疑うほどの太い腕に肩をガシッと捕まれ、体の向きを無理やり変えさせられると、視線の先にスタッフオンリーと書かれたドアが目に入った。
翔からは何も聞いてなかったが、どうやら秀次に他にもう1人従業員を雇っていたらしい。
フィーバータイムの意味はまるでわからないが、大地の口振りからして何やら凄い人なのは間違いないだろう。
大地が秀次に掛かりっきりのためにカウンターにどんどん溜まっていく料理の心配をしつつ、入り口付近でまだ見ぬあの子待っていると、1分も経たないうちに従業員専用の木製のドアがゆっくりと開いた。
「あっ、店長。お疲れ様です。今から接客入りますね……」
バタン、とドアが閉まると同時に愛嬌のある太陽の様に眩しい笑顔が固まり、スタッフルームから出てきた女の子が停止した。
鈴を転がすような聞き心地の良い声で紡がれた言葉が徐々に小さくなって途切れる。
段々と明るい笑顔が困惑の表情に変わり、まるで幽霊を見るかのように秀次を指さして身体を小刻みに震えさせ始める。
驚きで開きっぱなしの小さな口が上品にもう片方の手で隠されているために、本当に怪奇現象を見ている人の様な格好だ。
「陽葵ちゃん、今日も頼むよ! この子、新しく接客として雇った樋山秀次君。人手が増えたから遠慮は要らない。じゃんじゃんお客さん呼びこんじゃって!」
ダークブロンドの長い髪にコバルトブルーの瞳。そんな日本人離れした特徴を持った芸能人顔負けの超絶美少女。
大地が名前を呼ぶまでも無く、スタッフルームから出てきた女の子は秀次が会いたくて会いたくて仕方が無かった綾辻陽葵に違いなかった。
「な、何で樋山君がここに……」
「綾辻さんこそ……」
「ん? 何、2人も知り合いなの? それなら話は早い、仲良く一緒に働こうじゃないか! 夏に汗水垂らして働くのは最高だぞ! 料理に垂らすのはNGだけどな、ガハハハハハ」
呆然と立ち尽くす秀次と陽葵の中心で、イマイチ状況を掴めていない大地が豪快に笑い飛ばした。




