第15話 帰り道
予定が終われば後は帰るだけ。
様々な葛藤を抱えながら顔を真っ赤にしてタピオカ抹茶ラテを飲み終えた秀次は、もっと一緒に居たいと素直な気持ちを陽葵に伝えられるわけがなく、定刻通りに到着した電車に乗り込んだ。
「次は虹橋―虹橋―。お出口は左側です」
夏休み前、学校が毎日のようにあった日。
何故か4か月間も秀次は、本来リムジン登校が当たり前のお嬢様学校に通う陽葵と同じ電車の同じ車両に乗り合わせていた。
虹橋駅で乗車してくる陽葵と、その次の桐山町駅で降りる秀次。
毎日たった5分という限られた時間は寝過ごし事件を経てお互い仲良くなり、肩を並べてお喋りをする関係になってからも変わらない。
しかしそれが帰り道となると話が違ってくる。
「なんだか私が先に降りるというのは違和感がありますね」
「そういえば下校の時は1度も会ったこと無い気がする」
「まあ、学校が違えば帰りの時間が同じになることは滅多に無いですから。だからこそこの状況は新鮮です」
ふわりと薄い笑みを浮かべた陽葵が動かした視線の先を辿ると、ドアの上に設置された電光掲示板が次は虹橋駅に止まると示しているのが目に入る。
当然電車は行きとは逆方向に進むので、帰りは陽葵が先に降りることになる。
とても些細なことだが、今まであり得なかったことなので陽葵が違和感を感じてしまうのも頷けた。
「新鮮……か。確かにそうだな」
そして陽葵が新鮮と言ったのは、電車を先に降りることとはまた違うことに対してだろう。
秀次もそれを分って同意を返すと、隣に座る陽葵が淡く微笑んだ。
サイン会会場の最寄り駅である笠霜駅まで普段使っている電車1本で行けるものの、距離は大分遠く電車でも時間が結構かかる。
お陰でいつもはお互いの都合で5分間の限られた時間しか許されないこの空間を、今日は30分近く共有していた。
行きは現地集合だった為に、陽葵と5分以上電車で隣り合っているのはこれが初めて。
しかし、帰りの電車に乗る時間が長いのは秀次にとって嬉しくもあり悩みの種でもあった。
打ち解けてきたとは言え、異性と何を話せばいいか全く知識が無い秀次はたった5分間の会話でも陽葵から話題を出してもらう事が多い。
そのため事前に会話の引き出しを大量に用意してきたのだが、今日ばっかりは喜ばしいことに秀次の杞憂に終わった。
サイン会の話。オシャレなイタリアンレストランで食べた昼食の話。始めて飲んだタピオカの話。
同じ出来事を共有した2人はいつもの数倍の時間でも会話が途切れることが無い。
あっという間に時は過ぎ、気づけば陽葵が降りる虹橋駅。
点滅をくり返すオレンジ色のLEDランプの文字が解散が近いことを秀次に伝えていた。
「樋山くん」
「は、はい」
最後に何を話そうと必死に考えていると、隣から凛とした声で名字を呼ばれた。
声のする方に振り向けば、上半身を秀次の方向に向けてコバルトブルーの瞳で真っ直ぐこちらを見据える陽葵の姿が映る。
陽葵ももう直ぐ最寄り駅に着いてお別れだと察してのことだろう、表情は柔らかいがどこか改まった感じがする。
「今日は色々とありがとうございました。整理券を用意してくれたり、私の個人的なお願いに付き合ってくれたり、何から何まで至れり尽くせりで申し訳ないです」
「いやいや、お礼言われることなんて何もしてないって。整理券は色々あって友達から譲り受けたものだし、タピオカは俺も飲みたかったから」
「それだけじゃありません。樋山君は私をナンパから助けてくれました」
それもお礼を言われるようなことじゃない、と言いかけて秀次が言葉を飲み込んだ。
屈強な男に囲まれてしつこく言い寄られた朝の出来事を思い出しているのだろう。
先ほどまでは明るい表情を浮かべていた陽葵の顔が少し曇っている。
嫌な出来事を思い出してまでも秀次に感謝を伝えようとしれくれたのだ。ここで謙遜すれば陽葵は食い下がるだろうし、素直な感謝の思いを否定するのも気が引ける。
「もっと早く俺が着いていれば良かったんだけどな。そうすればナンパ野郎も寄ってこなかっただろうし……いや、俺が隣にいたところであいつらは声かけてきそうだな……」
謙遜の代わりに反省点を口にするも、陽葵は納得いかないらしい。
ぶんぶんと長い髪を左右に振れば、不満そうに口を尖らせて秀次の横腹を軽く肘で小突いてくる。
「樋山君の悪い癖ですよ。自分を過度に卑下しないでください。私、樋山君が来てくれて本当に助かったんですから」
「それ翔にも言われたな……直すように努めるよ」
「翔……?」
「いや、気にしないで。俺の友達」
口調と言葉が大分違えども、言ってることは翔に何回か言われてる内容なのでつい名前を挙げてしまった。
知らない名前に首を傾げて陽葵が興味を持つが、内面はともかく見てくれは今朝のナンパ野郎とさして変わらない翔をとてもじゃないが今は紹介する気にはなれない。
根はしっかりしているので、親友が片想いをしている女の子相手に口説いたりはしないはずだが、やはり一抹の心配は残る。
適当に流して話を変えようとしたところで、電車がゆっくりと速度を落としてやがて停車した。
「ご乗車ありがとうございました。虹橋、虹橋。お出口は左側です」
聞き慣れた若い車掌さんのアナウンスは、短いようで長かった幸せな1日の終わりを告げていた。
「改めて今日は本当にありがとうございました。樋山君のお陰でとても楽しい充実した1日を過ごせました」
「それを言うなら俺も今日はめちゃくちゃ楽しかったし充実してた。全部綾辻さんのお陰だ」
「私は何もしていないのですが……」
「いいや、色々してくれたよ」
「そう……ですか?」
何も心当たりがない陽葵は荷物を纏めて席を立ちながら、不思議そうな顔をして首を傾げている。
勝手にやきもちを妬いたり、間接キスを意識したりと今日1日、秀次の心は人生で1、2を争うほど忙しく感情が入り乱れていたのだが、それが陽葵に伝わらないのは当たり前だろう。
昼食の時間に1度負の感情が漏れて指摘されてしまったものの、それ以外は上手く隠しとおしたはずだ。
高身長イケメン作家にやきもちを妬いたことや、間接キスを必要以上に意識したなどと伝わってしまえば、好意を抱いていることがバレバレになる。
今すぐ告白して付き合えたら最高だが、基本ヘタレ野郎の秀次はそんな浅慮で後先考えない勝負をしたくなかった。
今日のように遊びに出かけたり頻繁に連絡を取ることによって、ゆっくりと確実に仲を深めていき、やがては異性として意識して貰らえるように頑張る。
その方針はタピオカ抹茶ラテを巡って間接キスイベントが発生したのにも関わらず、陽葵に全く持って意識されなかったことで強く固まった。
今は全く異性として意識されていない。
それでも連絡先を交換して、一緒に遊びに行く関係にまでなることができた。
「樋山君、また遊んでくださいね」
「もちろん。それじゃあ、また」
「はい、また今度」
ドアが閉まるギリギリまで残って交わされた会話が陽葵との距離が確実に近づいていることを示していた。
冷静になって客観的に見てもただの平凡な乗客Aから友達の樋山秀次くらいには昇格したはずだ。
しかし、目指すは恋人……達成するまでの距離は先が見えないほど遠いように思える。
それでも秀次は今日1日を振り返って自然と顔に熱を帯びるほど幸せな気持ちで溢れていた。
(そういえばナンパから逃げて路地に隠れた時、綾辻さん何て言おうとしたんだろ……)
陽葵と過ごした様々な出来事を思い返す過程で、顔を赤らめて何かを言いかけた陽葵の姿を鮮明にフラッシュバックする。
あの時、聞き逃さなければ……と後悔する秀次の手に握られた携帯がまるでタイミングを計ったかのようにブーブーと振動した。
メッセージアプリの1番上に表示された綾辻陽葵とのトーク画面に新着メッセージが届いている。
『ナンパに囲まれて動けなかった時、私の手を引いて連れ去ってくれた樋山君、とてもカッコ良かったです。だから、あまり自分を卑下しないでくださいね』
陽葵としては他意は無く、秀次の悪い癖を直してほしいが故の優しさによるお世辞だろう。
そうと理解していても、好きな人から送られてきたカッコ良かったの文字に秀次の顔が真っ赤に染まり、頬がだらしなく緩んでしまうのは仕方ないことだった。




