第12話 やきもち
「いらっしゃいませー。2名様でのご来店ですね、直ぐにご案内いたします」
にこやかな店員さんに導かれて広々とした4名テーブルに通されると、ソファー席に陽葵を座らせ、自分はアンティークな背もたれ付きの椅子に座る。
まだ午前中ということもあって人が少ない店内を見回すと、細部までこだわっている店内の装飾は統一感があり、静かに流れる聞き心地のいいクラッシック音楽がお洒落な雰囲気を醸しだしている。
「素敵なお店ですね……普段よくこういうお店に行くんですか?」
「いや、その場で適当に調べたら出てきただけだよ」
「なるほど、確かにスマホで何か調べてましたもんね」
陽葵が納得したように軽く頷いて、それからメニュー表を見始める。
メニューを選ぶのに夢中になり、陽葵の意識が完全に他に移ったのを確認してから秀次は小さなため息をついた。
陽葵と早めのお昼ご飯を一緒に食べる、そんな普段なら大喜びのシチュエーションでもイマイチ気分が上がらない。
適当に調べた何て言ったが、本当は家で事前にサイン会会場周辺で陽葵が好みそうな店を入念に調べていた。
サイン会の後、一緒に昼食を食べて解散。
それが陽葵と決めた今日の予定であり、最後に少しでもアピールをしようと良い感じの店をセレクト。
オシャレな店で優雅なひと時を過ごし、まるでデートのような良い感じの雰囲気を作る……そんな甘い妄想をサイン会が始まるまではしていたのだが、今になってはもはやどうでもよくなってしまっていた。
「そんなに樹本先生のこと好きなの?」
「もちろんです」
即答で肯定の意を示し、真ん丸な蒼色の瞳をへにゃり細めて満面の笑みを浮かべる陽葵の顔が鮮明に浮かぶ。
少し恥ずかしそうにうっすらと頬を赤く染めた意味を考えれば考える程、秀次の心は深く深く底の方に沈んでいった。
「ナポリタンにカルボナーラ……アラビアータも良いですね」
「そうだね」
「私ってメニューとかプレゼント選ぶ時に凄く迷ってしまうタイプなのですが、樋山君は?」
「もう決まったよ」
「うう……樋山君は即決できるタイプでしたか。こういう時、他の人を待たせてしまうので凄く申し訳ないです……。直ぐに決めますのでもう少し待っていて貰えますか?」
「わかった」
注文するものが決まったため、適当にスマホを弄りながら会話していたのだが、ふと真正面に目を向けるとメニュー表越しにこちらを見つめる陽葵が目に入った。
「樋山君、何かありましたか……?」
「別にそんなことは無いけど……どうして?」
「気のせいかもしれませんが、サイン会終わってから会話がそっけない気がして……。お顔も暗いですし……」
眉尻を下げて不安げな表情を浮かべる陽葵は、心配というよりも何かに怯えるような……元々小柄な身体を更に縮こまらせ、上目遣いでこちらの様子をを伺うような姿勢を見せていた。
いつも通りの受け答え、普段と変わらない表情を浮かべていると自分では思っていたものの、どうやら知らないうちに負のオーラが溢れ出てしまっていたらしい。
こんなにも胸が苦しくなるのなら、あんな質問をしなければよかったと後悔が募る。
そもそもサイン会に行かなければ……そんな元も子もないネガティブな思考をしてしまうのも、全てはくだらない嫉妬が原因だと自分でもわかっている。
別に彼氏でもないのに、少し仲良くなれただけで調子に乗っていた。
やっぱり陽葵のような美少女には、それ相応のイケメンが釣り合うのだ。
それを陽葵に片想いをし続けている秀次が思ってしまうほどに、今日のサイン会は秀次の心に絶大なダメージを与えていた。
「気のせい気のせい。サイン会の雰囲気に当てられて少し疲れちゃっただけだよ」
「それなら……いいのですが……」
この場で雰囲気を悪くするのは申し訳ないので無理をして張り付いた笑みを浮かべると、余り納得してなさそうな陽葵が歯切れの悪い言葉を返す。
何やら視線を彷徨わせてオドオドし始めたと思いきや、両手で頬を覆ってキュッと目を瞑ったり、メニュー表で顔を隠したりと忙しく動き回っているが何をしているのか分からない。
しばし気まずい沈黙が訪れ、この雰囲気をどうしたらいいものかと秀次が悩んでいると、やがてゆっくりと深呼吸をした陽葵がぱっちりと大きい真ん丸な目を見開き、真っ直ぐ秀次の瞳を見据えた。
「樋山君、この後予定空いてたりしますか?」
「まあ普通に暇だけど……」
「樋山君さえ良ければ、この後一緒行きたい場所があるんですが……付き合ってくれませんか?」
若干俯き加減で遠慮がちに紡がれた言葉にどん底まで沈んだ秀次の心が僅かに浮上する。
断る理由も無いので縦に頷くと、不安気に見つめてていた陽葵の表情が一変してパッと明るくなった。
思い返せば少し前までは、今の様に陽葵の豊かな感情が秀次に向けられることは無かった。
それは小説にのみ向けられるもので、秀次は4か月もの間、遠目から覗き見るしか出来なかったはずなのに。
今は肩を並べて話し、連絡先を交換して、休日に2人きりで出掛けるまでになった。
元々は毎日5分間だけ同じ空間を共有する1億年に1人の超絶美少女とただの平凡な乗客A。
そう考えると、今この状況は出来過ぎた話だった。
(高身長イケメンの小説家に嫉妬とか馬鹿らしい)
嬉しそうに「ありがとうござます」と呟いた陽葵の太陽のように眩しい無邪気な笑顔が、曇りがかった秀次の心を明るく照らした。




