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第11話 サイン会


「ここまで来れば大丈夫だろ」


 駅前のロータリーから一目が多い大通りをひたすら歩いたところで、少し道を外して路地裏に入る。

 何やら得体の知れない謎の視線を感じるが、例の派手な髪と服装をしたナンパ野郎の姿は見えない。

 そもそも強引に陽葵を連れ出した時から3人組が追ってくる気配は無かったが、万が一の事を考えると安心できず、ついつい陽葵の手を引いて駅からずいぶん遠くまで来てしまっていた。


「樋山君、ちょっと痛いです……」

「えっ? あっ、ご、ごめん!」


 少し落ち着いてからようやく心身ともに落ち着けると、不意に左隣からか細い声が聞こえてきた。

 痛い、その意味を理解するのにコンマ数秒かかり、初めて自分が今まで陽葵の手を握っていたことに気づいた秀次が反射的に自分の手を引っ込める。


 ナンパ野郎から逃れるために必死過ぎて、ここまでずっと陽葵の可愛らしい小さな手を握りしめていたことに気づかなかった。

 ここに来る間、妙に視線が集まることや周囲がこちらを見て何やら呟いているを不思議に思っていたがようやく合点がいく。

 

 夏休み中、主に学生で賑わう街並みで芸能人顔負けの飛びっきり美人の手を引く平凡な男。

 陽葵だけでもすれ違う人々が思わず振り返るほどの注目度なのに、そこに不相応な秀次が加わったことで余計に人目を引いたのだ。


 道行く人のひそひそ話は陽葵に対する賞賛の声と秀次に対する懐疑の目だろう。

 逃げるのに夢中で聞こえなかったものの、大体内容は察しが付く。

 秀次もそれなりに身なりを整えてきたが、陽葵と釣り合いが取れるとは微塵も思っていなかった。

 外行き用に薄く着飾っているは陽葵はいつもに増して可憐で美しく、平凡な男が少しオシャレをしたところで隣で並んで歩く、況してや手を繋ぐなど周囲から見て浮いてしまうのは目に見えていた。


 仄かに人肌の温もりが残る掌を握って開いてと何度か繰り返していると、次第に自分がやらかした一連の痛々しい行動が蘇ってくる。


「本当にごめん。その場の勢いでつい……」

「何で謝るんですか?」

「いや、その、俺なんかが彼氏ヅラしちゃったり、手に触れてしまったというか、なんていうか……あ」


 改めて列挙すると羞恥心で居たたまれなくなり、威勢よくナンパ師に突っ込んでいったあの時の男らしさは何処に行ったのか、秀次はヘタレ野郎に逆戻りしてしまう。


 そんな秀次の発言を良しとせず、全力で首を横に振った陽葵がその蒼い瞳を秀次に真っ直ぐ投げかけて珍しく強めに否定の意を示した。

 

「謝る必要も謙遜する必要もありません。あの時、樋山君が助けに来てくれて私は凄く助かりました。ああいったことは初めてで、本当はとても怖くて不安だったんです」

  

 「ありがとうございました」と膝に手をついて丁寧に腰を曲げる陽葵が顔を上げると、少し急ぎで歩いたからか、それともナンパから解放されてようやく安心したのか、ほんのりと頬が赤色に染まっているのがわかる。


 あんだけイタイ発言と行動をして真っ向から感謝されるというのは何だかとても歯がゆい気分だった。

 完全にやらかしたと思っていたが、陽葵は不快感を覚えていないようだし、ドン引きというわけでもないらしい。


「それに……」

「それに?」

「……ったですよ」


 伏し目がちにポツリと呟かれた言葉は大通りの喧騒にかき消されて聞き取れず、もう一度聞き直そうにも陽葵はそれ以上何も言わずに秀次から顔を逸らしてしまった。

 

「そろそろサイン会の会場に向かいましょうか。逆方向に進んでしまいましたし、急がないと時間ギリギリです」

「そ、そうだね……それじゃあ行こうか」


 黒と茶を合わせたような暗めで、それでいて鮮やかに光沢を放つ長い髪を風になびかせ、陽葵が舗装された歩道を歩く。

 すれ違う人達が男女問わず横目で陽葵を見るが、本人はさして気にする様子が無い。

 

(一体何を俺に言おうとしたんだ……)


 何やら顔を赤らめて呟かれた陽葵の言葉を聞き逃したことに後悔しつつ、先を歩く陽葵を少し後から追った。

 



 

 集合時間ギリギリでサイン会の会場に着くと、広々としたスペースに既に長い列ができていた。

 移動中に陽葵から樹本真夜先生について、若い女性から圧倒的な支持を受けていると聞いていた通り、列に並ぶ9割近くが女性で占められている。


 陽葵はその理由を樹本先生の作風と感情移入しやすい登場人物にあると推測していたが、秀次は会場に足を踏み込んでからこの読者層の偏りは他の所に原因がある確信した。


「ゆきちゃんへ……はい、どうぞ」

「キャー! ありがとうございます!」


 あちこちで飛び交う黄色い声に1点を見つめてうっとりとしている参加客の顔、およそ小説家のサイン会とは思えない雰囲気をこの会場は醸し出していた。

 男性アイドルの握手会に迷い込んでしまったと勘違いしてしまいそうになるほどの様相で、数少ない男の参加者である秀次は非常に居心地が悪い。


 陽葵も陽葵で他の参加者と違って目がハートになっている訳ではないものの、普段より2段階ほど表情が明るくなっている。

 

「樹本先生に会えるの楽しみ?」

「大ファンなのでそれはもちろん……私、そんなに楽しそうなオーラでてましたか?」

「まあ近くにいる俺が気づく程度には」

 

 秀次を見つめるコバルトブルーの瞳はキラキラと輝いているし、桜色の唇が僅かに曲線を描いているので陽葵が浮かれているのは結構まるわかりだったのだが、陽葵自身は自覚がないらしい。

 本人はあくまで無表情を保っていつも通り振る舞っているつもりだったらしく、浮かれているのを秀次に見抜かれて不思議そうに首を傾げていた。





「次の方どうぞー」

 

 サイン会は時間制のお陰で長蛇の列がスムーズに進み、あれやこれやと話しているうちにすんなり秀次たちの番が来た。


「樋山秀次くんへ……はい、今日は来てくれてありがとうね」

「どうも……」


 横長のテーブルの真ん中に座り、慣れた手つきでサインを小説の表紙に書いていく樹本真夜先生を間近に見て、秀次は何故こんなに若い女性が集まるのか初めて納得がいく解答を得た気がした。


 幼さの残る中性的な若々しいイケメンフェイスに、座っている状態でもわかる細く長いモデルスタイル。

 大分高めに見積もっても、年齢は20代後半くらいだろう。まだ大学生だと言われても信じてしまうような若い作家。

 俳優レベルにカッコいい高身長イケメンが書く、甘酸っぱい恋愛小説を執筆……これほど若い女性から圧倒的支持を受けるのも容易に頷けた。


 特に話すことも無いので早めにはけると、最前列でうずうずとしていた陽葵がスタッフに呼ばれた。


「綾辻陽葵さんへ……どうぞ、大切にしてね」

「もちろんです。ありがとうございます」


 樹本先生が爽やかなスマイルと共にサインを入れた小説を渡すと、陽葵がまるで小動物を抱きかかえるかのように憧れの先生のサイン本を優しく両手で包み込んだ。


「あのっ、私、樹本先生の著作は全て目を通しています!」

「それは嬉しいね。特に好きな小説とかある?」

「難しいですね……強いて1つ選ぶとしたら『君が桜色に染まる時』ですかね」

「お目が高い。あの小説は僕自身かなり気に入ってるんだけど、余り人気が無くてね……。ファンがいてくれて嬉しいよ」


 秀次はサインを貰って直ぐに出口に向かったが、本来は5分程の交流タイムがある。

 ファン歴が長い分募る話があるのか、陽葵は作品の感想や自分なりの考察を作者である樹本先生にぶつけていた。

 どうやら最初の会話で息が合ったらしく、樹本先生も応戦して陽葵と同じように意気揚々と次々に口を開く。


 恐らく外見で人気を集めているこの状況は不本意なのだろう。「名前で呼んでください」や「頭を撫でてください」などいよいよアイドルのイベントじみてきたサイン会にも嫌な顔一つ見せず対応していたが、実際は余り気分のいいものではなかったはずだ。

 ようやく外見ではなく作品のファンが来たことに喜びを抑えきれないのか、陽葵と会話する樹本先生は本当に楽しそうな表情をしたいた。


「先生、そろそろお時間です」

「えーっ、もう時間なの? もう少しこの子と話したいのに」

「そう言われましてもルールはルールなので」


 こっちが本当の姿なのか、子供の様に不満を唱える樹本先生と同じように、時間を忘れて熱く語り合っていた陽葵も話したりなさそうに残念そうな顔を見せる。


 いくらサイン会を行っている本人の頼みと言えど、後ろに並んでいる人を待たせるわけにもいかず、直ぐにスタッフが次の人を呼んだ。


「それじゃあね。陽葵ちゃんだっけ? 良かったらまたイベントに足を運んでよ。その時はまた語ろうじゃないか」

「はい、それは是非。沢山話せて嬉しかったです、今日はありがとうございました」


 樹本先生は名残惜しそうに陽葵に対してひらひらと手を振ると、再び爽やかイケメンスマイルを浮かべ、目をハートマークにした(外見の)ファンの要望に応え始めた。

 

 同じように樹本先生に向かって小さく手を振り返した陽葵と一緒にサイン会場を出る。


 大事そうにサイン本を抱えながら隣を歩く陽葵は、見たことが無いほど幸せな顔をしていた。


「そんなに樹本先生のこと好きなの?」


 自然とそんな質問が秀次の口からこぼれでていた。

 

 くだらないやきもち。

 

 心底楽しそうに小説について語り合う陽葵と樹本先生はまさしく美男美女のお似合いカップルといった感じだった。


 秀次とは似ても似つかない爽やかな高身長イケメン。

 しかも相手は大人気作家で、陽葵は大ファンと来た。

 

 何だか別れ際も良い感じだったし、このままイベントを通じて仲良くなっていっていずれは男女交際に発展……。


 大分勝手な妄想でも、自分と陽葵が付き合うよりも大分現実味がある気がする。

 

「もちろんです」


 そう即答した陽葵の頬が僅かに桜色に染まるのを見て、秀次のガラスのメンタルは音を立てて崩れ始めた。




 

 

 

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