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第9話 誘い方


「来週の月曜日、樹本、真夜先生の、サイン会があるんですけど……うーん、なんか違う気がする」

 

 夏休み初日。秀次が自宅のベッドでうつ伏せに寝転がってスマホを凝視し始めてから、既に1時間が経とうとしていた。


 メッセージアプリを起動し、とある相手とのトーク画面を開く。

 慣れた手つきで文字をフリック入力しては直ぐに消していく、その繰り返し。


 時に1行の単純な挨拶。

 時に10行にもわたる保身の言い訳マシマシの長文。


「樹本真夜先生の小説好きだったよね、サイン会とか興味ある? ……いやー、これじゃないなあ」


 あーでもない、こーでもないと試行錯誤していくうちに迷走の一途を辿っているのは本人も自覚しているが、だからと言って正解が見つかるわけでもない。


「ダメだ、女の子にメッセージ送るって難易度が高すぎる……」


 トーク画面の一番上には、綾辻陽葵の文字。

 それは、このトーク画面が他の誰でもない秀次の初恋の女の子とのトーク画面だと言うことを示している。

  まだ一度もやり取りがされてないトーク画面は真っ新で、デフォルトの無地の背景だけが虚しく表示されていた。

 

 何故か2人で笑い合いながら連絡先を交換したあの日から、秀次は一度も陽葵とメッセージを交わしていなかった。

 

 秀次としては完全にタイミングを見失った感じだ。

 交換した直後に軽い挨拶などを送っておけば、その後も続きやすかったかもしれない。

 しかし、あの時の秀次は連絡先を交換できたという事実しか見えておらず、頭お花畑幸せマックスで学校へ向かったっ切り、陽葵とのトーク画面を開くことは無かった。

 

 事の重大さに気づいたのは終業式の後、翔から――正確には翔が連れてきた黒髪ロングの眼鏡っ子、紗代から貰った樹本真夜先生のサイン会の整理券がきっかけだった。


 家に帰って落ち着いた後、さあ陽葵を誘おうということでトーク画面を開いた時には時すでに遅し。

 そこにはただ虚しく青白い空の背景だけが広がっていた。


「あーあ、綾辻さんからメッセージ送ってきてくれたりしたら最高なのに……」


 秀次がそんな他力本願の思考にシフトチェンジして、枕に顔を埋めた時だった。

 

―ピロリン


 右手に握ったスマートフォンが軽く振動し、単調な電子音が鳴った。

 メッセージアプリのアイコンの左隅に表示される1の文字。

 それらは全て新着メッセージが届いたことを知らせる機能だ。

 

「まさか本当に綾辻さんから!?」


 秀次の甘い妄想を狙ったようなタイミングで送られてきた新着メッセージ。

 期待大でアプリを開くと、一番上に表示されていたのは綾辻陽葵……ではなく、見慣れた佐久間翔の文字だった。


『サヨちゃんと別れたから、今後小説関係の援護は出来ないってのヨロピク~』


 陽葵からのメッセ―ジ前提でトーク画面を見た秀次は、本当にどうしようもないクズ男からの本当にどうしようもないメッセ―ジを見て勢いよくベッドに沈み込む。

 

「昨日の今日で何してんだよ……」


 一応昨日、ファミレスで去り際に大事にしろと釘を刺しておいたが、案の定翔は利用するだけ利用して年上の彼女を捨てたようだ。

 もう会うことは無いだろうが、陽葵と仲良くなる手伝いを間接的にしてくれた紗代に少し同情してしまう。

 そもそも翔が紗代に近づいたのは秀次の為の可能性が高いし、秀次としては何も悪いことをしていないのにほんのりと今回の事に罪悪感を感じていた。


「惚れた相手が実はクズだったらって考えると最悪だな……。綾辻さんは絶対にそんなことないと思うけど……」


―プルルルル……プルルルル……

  

 先ほどの新着メッセージを知らせる単発の電子音とは違う、静かな子供部屋に響き続ける長めの振動と電子音は秀次当てに電話が掛かってきているのを示していた。


「何だ、既読スルーに抗議してきたのか? あれは別に返さなくてもいいだろ……もしもし?」


 先ほどのメッセージの件で完全に翔が電話を掛けてきたと思い込んでいる秀次が、通話相手を表示している画面をろく見ずにベッドから立ち上がって気だるげに電話に出る。


「もしもーし……ってアレ!?」

「……えっ?」


 聞き慣れた親友のチャラチャラとした声が聞こえてくると思っていた秀次は、耳に当てたスマホから流れ込んでくる柔らかい女性の声に思わず驚きの声が漏れた。


「その声……樋山君?」

「あ、あ、綾辻さん!? 何で電話に……」


 何が起こっているのか理解できず、耳に当てていたスマホを見ると、そこには綾辻陽葵の文字と通話中を示す画面が表示されていた。


 何故か陽葵が電話を掛けてきた。

 そのシンプルな事実が秀次の頭を混乱させる。


 ついさっきまでメッセージ送ってこないかな、と淡い期待を抱いていたところにいきなりの電話だ。

 色々なステップを飛び越えてやってきたビッグイベントに対して何の準備もしていない秀次は心臓が頭真っ白、心臓爆発寸前と大変なことになっていた。


「ごめんね樋山君、友達が勝手に掛けちゃったみたいで……。もうっ、あやちゃんに電話するって言ってたのに……」

 

 後半は秀次に向けられたものではなく、恐らく陽葵と一緒に友達に対してだ。

 電話から距離を置いて小声で話しているために聞き取れないが、陽葵が誰かと会話をしているのが分かる。


 話を聞く限り、あやちゃんと呼ばれた子に電話を掛けるつもりだったところ、陽葵の友達が悪戯で秀次につないだといった感じだろう。


 突然すぎて驚いたが、徐々に状況を整理して理解して落ち着くと、電話で繋がっている今が陽葵をサイン会に誘うまたとないビッグチャンスに思える。

 最初のメッセージを送る段階で渋っていた秀次に取って、電話を掛ける何てことは頭の片隅にも考えが及ばない連絡手段だった。

 どう陽葵を誘おうか勝手に手詰まりになっていた現状を打破するために、名前も顔も知らない陽葵の友達が作ってくれたこの機会を活かさない手はなかった。


「朝からごめんね、迷惑だったよね。もう切るから……」

「ちょっと待って!」

「わっ、な、何でしょう?」


 いきなりの大声でびっくりさせてしまったが、陽葵を電話に引き留めることに成功した秀次が大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせる。


 送信ボタンを押すまで何度も修正できるメッセージ違い、電話は一発勝負。

 長々しい言い訳は無し。伝えたい子を簡潔に。なるべく爽やかな声で……そんな様々な確認事項を1つ1つ心の中で自分に言い聞かせ、秀次はゆっくりと口を開いた。

 

「綾辻さん、来週の月曜日って空いてたりする?」

「……ちょっと待っててくださいね」


 少し溜めてから、今度は陽葵が待ったをかけた。


 コトン、と携帯をどこかに置く音がして、その後にパタパタと遠くに走り去る足音が聞こえる。

 どうやら電話は繋げっぱなしで、何やらドアを勢いよく閉める音まで聞こえた。






「もしもし樋山君? 来週の月曜日ですよね、今のところ予定はありませんでしたがどうしましたか?」


 時間にして3分ほどだったが、秀次に取って気の遠くなる待ち時間を経てようやく陽葵が戻ってきた。

 どこをそんなに走ったのか、電話越しに聞こえてくる陽葵の声は興奮気味で息遣いが荒い。 


 そんな初めて聞く陽葵の声に少し緊張が和らいだのか、それとも連絡先を聞いた時とは違い顔を合わせていないからか、すんなりと自然に伝えたい言葉が口から出てきた。


「友達から樹本真夜先生のサイン会の整理券を2枚貰ったんだ。綾辻さん、樹元先生のファンだったよね? 良かったらどうかなって……」

「それは樋山君と……ですか?」

「俺はそのつもりだったんだけど、嫌なら整理券だけ渡して友達と行ってもらっても――」

「嫌じゃありません!」


 自分の言葉を遮った甲高い大きな声に秀次は思わずスマホに当てた耳を疑った。

 決して携帯が壊れたわけではなく、それは間違いなく電波を介して秀次の耳に届いた陽葵の声だった。

 

「ぜ、是非樋山君と樹本先生のサイン会行かせてください。でも本当に私でいいんですか?」

「もちろん! 綾辻さんと一緒に行きたくて誘ったんだし」


 何だか大変なことを口走ってしまった気がするが、陽葵は特に気に留める様子もなく、そう言って貰えると嬉しいです、と受け流してくれた。


「細かい打ち合わせはまた後でメッセージでしましょうか」

「そうだね、後で場所と時間送っておく」

「ありがとうございます。それではまた……」

「うん、また……」


 陽葵が電話を切るのを待ってから、秀次はベッドに仰向けで大の字に倒れこみ、大きな大きなため息をつく。

 それは不幸を嘆くマイナスのため息ではなく、張り詰めていた緊張の糸がほどけ、一気に気持ちが楽になったことによる安心から出てくるものだった。


「よっしゃあああああああああああああああああああああああ!」


 うるさいわね、近所迷惑でしょ! と台所で昼ご飯を作る母親に怒られながら、秀次は天に両手を突き出し勝利の雄叫びを上げた。

 

 

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