乙女ゲー主人公だって勝利したい!
私は死んだ。
恋人からの理不尽な暴力。それによって私は死んだ。
人生自体は悔いのないものだった。
だが、この最期が人生に汚点を残した。
くやしい。口惜しい。悔しい!
私は渇望した。
私の人生に愛情を!
その願いに応える声があった。それは神の声か。世界の声か。
何者かもわからぬその声に導かれて――私は生まれ変わった。
◆
「逢魔が時学園~愛の血判状~」はコンシューマーゲーム機向けに発売された乙女ゲームだ。
内容は、鬼を退治する退魔士がいる日本で、癒しの巫女である主人公が、退魔士の卵である高校生ヒーロー達のうち一人と仲良くなって、戦いの中で愛を深めて大ボスを倒してエンディングを迎えるというもので、ちょっと変わった現代ファンタジー伝奇ノベル乙女ゲームだ。
正直この作品を発売前情報で見たとき、売る気があるのかと思った。
女子向けにしたいならまずバトルテキストなんかより恋愛の内容が大事だからね。
でも、山ほど……いやちょっと言い過ぎた。小山ほど供給される乙女ゲーム。一風変わった内容のものだって求められる。
それが、バトルものの男性向けエロゲライターが、バトルシーンのテキストを書いた本格バトル乙女ゲーだとしても、需要はあるんだ。
私がそんな逢魔が時学園(略称はお馬)の世界に生まれ変わったと気づいたのは、いつのことだったろうか。普通の子供ならば物心つくかつかないかといった頃だろうか。
私の名前は琴乃宮姫路。お馬の主人公である癒しの巫女と同姓同名だった。
といっても、その名前を知ってゲームの世界に転生したんだーなどと脳みそお花畑なことを思ったわけじゃない。
ゲームの主人公と同名とか名付ける前にググれよカス、などと両親を心の中で罵倒していただけだ。
まだ幼い頃のある日、私は両親に我が琴乃宮家の家系の世間における役割を正式に告げられた。
それは、琴乃宮が退魔士に連なる家系だということ。退魔士とは、日常の裏に潜む悪鬼羅刹を退治するもの。琴乃宮家はその中でも、癒しの術と補助の術に長けた、術士の家系であるという。
なに子供を小馬鹿にした冗談を、と鼻で笑ってみたものの、母の使役する式神を見せられて現実を認めざるを得なかった。
……私がゲームの世界に転生したということを。
そういえば日頃からあなたは琴乃宮家の者ですよちゃんとしなさいとか、貴女は悪を討つものなのですよ悪いことはしてはいけませんとか、それっぽいこと言われていた。
そして動く玩具か動く掃除機かと思っていたけど日常的に式神を動かしてたな。
重大な告白とかじゃなくて、改めて家のことをしっかり言い聞かせただけか。
しかし鼻で笑うとか可愛くない幼児だな私。
ともかく、ゲームの世界に生まれ変わったことを理解した私。
それは、高校入学と共にヒーロー達と出会い、全部で四ルートある大きな戦いに巻き込まれることを自覚することでもある。
ゆえに、油断は出来ない。慢心は出来ない。悪鬼羅刹と戦うことを覚悟しなければならない。乙女ゲーの恋愛要素など期待して軟弱な生活など送れない。
前世のいまわの際に私が願ったのは愛情だ。しかし、今必要なのは乙女ゲームヒロインとしての甘い生活ではなく、理不尽な暴力への対抗である。
乙女ゲー主人公だって努力したい。
少年漫画のような修行をしたっていいじゃない。退魔士だもの。
だから私は、その日を境に動き出した。
◆
退魔士として研鑽の日々を送る私。
そこには幼児特有の甘えや妥協というものが一切無い。ゆえに、私はいつの間にか一族の中で麒麟児と持てはやされるようになった。
そしてある日、私は琴乃宮家の宗家である黒花家、そこのご令嬢と顔を合わせることを許された。
黒花家の令嬢。黒花牡丹。
黒い花という苗字に相応しく、艶やかな黒髪を腰まで伸ばした幼児。私と同い年の女の子で、このご令嬢もお馬のゲームキャラクターだ。
その役割は、聖家ルートにて恋のライバル令嬢となることであったり、大厘寺家ルートにて宗家として主人公を使いっ走りにする上司となることであったり、大団円ルートにて大悪鬼に憑依される悪役となることであったりと様々だ。
ただ作中の言動をまとめてみたネットの考察によると、私情を廃して退魔士として徹底的に振る舞っている、責任感の強い宗家に相応しい人間とされていた。そして黒髪のビジュアルによる立ち絵は美しく、蛇蝎のごとく嫌うプレイヤーもいながら、一部でカルト的な人気を博したキャラクターでもある。
そんな大団円ルートでの悪役な令嬢様の幼き日の姿にお目通り叶ったわけである。
私はその牡丹令嬢に用があった。しかし、用があると言っても分家の小娘でしかない私が勝手に話しかけるわけにもいかない。
機会を待って、ただ黙って顔を伏せていることにする。自己アピールなんてできる空気ではない。
「ねえ」
と、ふと牡丹令嬢が私の方を向いて言葉を発した。
「ねえあなた、てんさいじなんですってね。このわたくしをさしおいてなまいきね!」
牡丹令嬢が私に話しかけている。
待っていた機会に私は口元がにやけるのを我慢して、顔を上げて彼女に答えた。
「いえ、私が持てはやされているのは、琴乃宮の治療術においてでございます。牡丹お嬢様のように鞭を使いこなすことはとても叶いませぬ」
「……? つまりどういうことよ!」
「私は鞭が使えません。下手くそです」
鞭。むちではない。べんである。
教師が黒板を挿す節のある指示棒を太く凶悪にしたような武器である。中国で古来から用いられており、中国の小説封神演義に出てくる打神鞭とか金鞭とかのそれだ。
その鞭が、この世界において退魔士の使う武器として用いられているのだ。
そして琴乃宮家の宗家である黒花家は、鞭をメインウェポンとして使う近接系の退魔士一族なのだ。近接系の家の分家が補助系とか、これもう使いっ走りになるしかないな琴乃宮家。
「あなたべんがつかえないの? おっかしい!」
「はい、ですのでご指導いただけたらと」
「おしえてほしいってこと? そうね、わたくしがおしえてあげる!」
「ありがとう存じます」
大人達がぎょっとした顔をしてるが、子供達の戯言だ。笑って流してくださいな。
これは私には必要なことなんだ。
お馬――逢魔が時学園~愛の血判状~において、基本的にヒロインの琴乃宮姫路が肉弾戦で戦うことはない。
だが、例外が数回……黒花牡丹が落とした鞭をヒロインが拾い、痛烈な一撃をぶちかますことがある。
それは敵を沈めるほどのものではなかったが、確実に逆転の一打となるものであった。
その一打を評し、ヒーローの一人、大厘寺裕二郎がヒロインに向けて「お前、なかなか才能ありそうだな」と述べるのだ。
私は、その才能に賭けたい。
「あなたきにいったわ。ぼたんってよんでいいわよ!」
「はい、牡丹お嬢様。私は琴乃宮姫路と申します。好きにお呼び下さい」
「ええ、よろしくね! ひめじ!」
お嬢様から学び取る。黒花家から全てを吸収する。鞭を使いこなすために。
全ては、悪鬼羅刹をこの手で倒すため。
琴乃宮の術では叶わぬ、この渇望。
乙女ゲー主人公だって勝利したい。
私の人生に勝利を!
勝利。
理不尽な暴力に負けて、失ってしまった前の生。
その屈辱をぬぐい去るには……暴力を力でくつがえすことしかない。
私にまとわりつく死のイメージを払拭するために必要なこと。
それは、理不尽な暴力の化身、悪鬼羅刹との……熱いバトルだッ!!!!
◆
はー。
「ねえ姫路、退魔士クラスでどなたが一番素敵だったと思う?」
はー。
「わたくしは聖巳鶴様が一番輝いていたと思うの」
はー。尊い。
年相応に親友と恋バナをしようとする牡丹お嬢様尊い……。
私達は高校生になった。逢魔が時学園に入学し、退魔士が集められるクラスに入った。
しかしお嬢様は本当に美しくなられた……二次元の乙女ゲーの立ち絵が三次元になるとここまでも美しくなるのかと感慨深い。
さらに、その性格は原作のような芯を残しつつ温和なものとなられた。
お嬢様が尊い存在になられて、私も鼻が高いよ……。
あ、親友って私ね。
「あ、でも姫路は大厘寺家の次男と仲が良いのだったかしら?」
花の咲くような笑顔で、お嬢様が微笑みを向けてくる。
「裕二郎君とは分家同士、戦場を共にすることも多いですが……特に素敵と思ったことは、筋力以外ありませんね」
「まあ、姫路はたくましい方が好みなのね!」
「そうとも言えます」
ちなみに私の周囲で一番力がたくましいのは、宗家の次期当主である牡丹お嬢様である。私では筋力を超えられなかった。
しかし困った。昔、私はこのゲームの世界を大団円ルートで迎える気でいたのだ。
大団円ルートのラスボスは伊吹大明神。基本的に鬼ばかりが敵の原作の中で、一際異彩を放つその存在。
すなわち八岐大蛇である。
そいつと対決する大団円ルートを開くには、大厘寺家ルートの序盤で、全ヒーロールートクリア後の周回時にのみ出る選択肢を選ぶ必要がある。
その選択肢を選ぶと、鬼の吹き出す怪しい首塚を破壊することになる。その結果、牡丹お嬢様に首塚の鬼、酒呑童子が宿ることとなる。
酒呑童子という大物の悪鬼羅刹の魂に触れたされたお嬢様は性格を豹変させ、ヒロインを虐げる悪役ムーブを行うようになる。
その後色々あって、やがてお嬢様は八岐大蛇を復活させ、日本は闇に包まれる。
そして日本の退魔士達の総力を賭けた戦いが開始され、最終的に逢魔が時学園の生徒達が八岐大蛇を討つことになる。
大団円ルートには、お嬢様の犠牲が必要だ。なんとか死なないけれど、精神は鬼に蹂躙され、名家黒花家の立場も危うくなる。
今の私には、とてもお嬢様をそんな目に合わせることなど出来ない。
だから、大団円ルートなんていらない。私は一人の退魔士としてありさえすればいい。
酒呑童子なんて、首塚を破壊して出てきたところを皆で囲んで倒してしまえば良いんだ。
乙女ゲー主人公だって友情を深めたい。
バトルだ勝利だなんていっても、しょせん今の私はか弱い未成年の少女でしかないんだ。友達は必要だ。
私の手で友達をおとしめることなんて出来ない。友情は裏切れない。
だから、なあ牡丹お嬢ちゃん、もっと友情しようや……。
――そんな温いことを思っていたのが悪かったのか。
お嬢様でなく私が酒呑童子に憑依され悪役となり、八岐大蛇を復活させてしまうことになるなんて。私がふぬけていたせいだ。
◆
酒呑童子に憑依された私。その精神は侵食され、知識を奪われた。
お馬の知識。「逢魔が時学園~愛の血判状~」大団円ルートの勝利の道筋への知識を。
その結果、伊吹大明神、八岐大蛇は最悪な形で蘇ってしまった。
本来ならその八つの頭は日本各地の退魔士により封じられ、封印の要である逢魔が時学園にて、学生達が八岐大蛇の胴体を滅することになるはずだった。
しかし、私が憑依されたせいで、日本各地の退魔士達は四人のヒーローが各ルートで倒すはずだった大ボス達を退治するので忙しく、全て出払っている。最悪のタイミングで、封印されていた大ボスを酒呑童子に憑依された私が解放したのだ。
そして、大蛇の頭を封じる者がいないまま学園は破壊され、完全体の八岐大蛇が学園跡地に顕現してしまっていた。
酒呑童子は牡丹お嬢様と四人のヒーロー達の力によって調伏された。だがその傷は深く、悪鬼から解放された私一人が八岐大蛇と戦っている。
絶望的な戦い。
だが、それでも、私が抗うしかなかった。酒呑童子が奪った知識は、私の前世とゲームの知識。転生してからの私の人生の知識はなんとか守り抜いた。
今生で私が積み上げたもの。琴乃宮の術以外の、悪鬼羅刹を殴り殺すための類いまれなる腕が、私にあるという秘密は守り抜いた。だから、私が戦わなければならない。この八岐大蛇と。
「あああああああ!」
こちらを丸呑みにしようとした頭に、私は大声を叫びながら鞭を叩きつける。
愛用の鞭だ。その鉄の芯には百年の神秘が宿り、外側を覆う桃の木は魔を調伏する。鉄の塊すらもこの鞭を振れば破壊を免れない。しょせん八岐大蛇は魔。退魔の力には抗えない。
そのはずだった。しかし、その退魔の力は大邪悪を倒すには到底足りていなかった。
「があああ!」
大蛇の頭による突撃を腹に喰らい、血反吐を口から撒き散らして倒れ込む。
一撃を防ごうと差し込んだ鞭は見事に折れ曲がり、武器としての機能を失ってしまった。
「ここまでなの……?」
かなわない。
及ばない。
理不尽な暴力に、私は負けるのか……。
あまりの無力さに、涙が止まらない。
心が折れそうになる、そのときだった。私を温かい光が包んだ。
「貴女に教えて貰った琴乃宮の結界術。一分は保たして見せるわ」
そう言葉を放ち、倒れ込んだ私をのぞきこむ者がいた。
それは酒呑童子によって仲をずたずたに引き裂かれてしまった、私の敬愛する牡丹お嬢様の姿であった。
「お嬢様……」
「貴女に、これを返さないとね」
結界に守られた光の中、お嬢様が一枚の紙を懐から取りだし、差し出してきた。
「これは……」
「血判状よ」
血判状。それは、「逢魔が時学園~愛の血判状~」の原作にてキーアイテムとなるものだった。各ヒーローのルートでヒロインは、攻略ヒーローと「永遠の愛を誓う」という内容の血判状を作り、呪術的な繋がりでその連携を高め、各ルートのラスボスを倒す。
原作の大団円ルートでは、四人のヒーローとヒロインが「絶対の勝利を誓う」という血判状を作り、伊吹大明神の調伏へと繋げている。
しかし、これは違う。
この血判状は……幼き日の私とお嬢様が、たわむれで「永遠の友情を誓う」という内容で作ったものだ。
だが、これがここにこうやってあるはずがない。
酒呑童子に憑依されて性格が豹変し、ノリノリで悪役ムーブしていたときの私は、これをお嬢様の前で破り捨てていたはずだ。
「どうして……、破ったはずなのに」
「あら、私は天才よ。呪術文書の修復程度わけないわ」
ウインクしながら血判状を私の手に渡してくるお嬢様。
愛おしい。
私はそれをそっと掴むと、大事に、大事に折りたたんで学園制服の胸ポケットにしまった。
「そしてこれを」
お嬢様が、今度は武器を差し出してくる。お嬢様の鞭。黒花家に伝わるという家宝の鞭だ。
お嬢様はもう戦えない。酒呑童子が死に際に放った一撃から四人のヒーロー達を逃がすために身を投げ出し、脚を砕かれている。ヒーロー達はここではない安全な場所で倒れていることだろう。増援は望めない。
鞭の柄を握りしめる。
さっきは心が折れそうになったが、なんてことはない。琴乃宮の治療術をかければ傷なんてなかったのと同じだ。愛用武器は失ったが、新しい武器がある。
結界が消え去ると同時に私は立ち上がり、私は八岐大蛇を睨み付ける。
そして、叫んだ。
「まだだ! まだ私は終わっちゃいない! 伊吹の神よ! 私はここに誓う!」
鞭を片手に、愚直に突進する。
「努力!」
何万回何十万回何百万回と繰り返してきた素振り。その努力の成果をここに証明する。
噛みつこうとしてきた八岐大蛇の頭がはじけ飛び、大きくひしゃげる。
「友情!」
呪力を最大限に注いだ黒花家家宝の鞭がうなりをあげ、横なぎの一閃が頭をいくつも吹き飛ばす。
「勝利!」
乙女ゲー主人公だって勝利したい!
私の人生に勝利を!
その一念で私は今生を過ごしてきた。その思いは、酒呑童子にだって侵されちゃあいない。
――だから私は改めてここに誓う。
「いけー! 姫路ー!」
ここで生きるのは、酒呑童子に読まれていたが、取るに足らぬこととして捨て置かれていた要素。
黒花牡丹お嬢様の鞭を琴乃宮姫路が振るう。「逢魔が時学園~愛の血判状~」の勝利の方程式!
◆
「ひめじー! ひめじー!」
「何でしょうか牡丹お嬢様」
それは幼き日の記憶。
「けっぱんじょうをつくるわよ!」
「血判状ですかぁ。それはまた……呪術的ですねぇ」
「そうよ! じゅじゅつてきなけっぱんじょうよ!」
「文面はどんなのにするんですか? シンプルなほど効果が高いそうですよ」
「むー、むー、どんなのがいいかしら?」
「うーん、永遠の愛を誓う?」
「なにいってるのひめじ、わたしくたちおんなどうしよ!」
「そりゃそうですよね。絶対の勝利を誓う?」
「なににかつつもりなのよ。おかしいわね!」
「でも血判状ってそういうものですよ」
「あいよりもしょうりよりもすごいものにするわ」
「勝利よりもすごいってまた大きく出ましたね」
「そうよ! ゆうじょうだわ!」
「友情ですかー。愛と勝利よりもすごいですか?」
「あいはしつれんでなくなるけど、ゆうじょうはなくならないからつよいわ!」
「勝利は?」
「どりょくとゆうじょうとしょうりはぜんぶおなじだからつよいわ!」
「少年漫画ですねぇ」
「じゃあひめじ、ないようかいて!」
「あ、私が書くんですね。良いですけど。『永遠の友情を誓う』っと。『琴乃宮姫路』」
「『くろはなぼたん』!」
愛よりも強くて、努力・勝利と同じくらい強い友情は、ここに誓われた。