自分の感情
喫茶店金木犀の一人息子である、橘千尋は人生最大の悩みに直面している。
自分の心の中に分からない感情が芽生え始めたのだ。特定の人物に対して抱く感情であり、確認のしようがないのだ。
こんな時には我が父に聞くのが一番だ。答えをすぐにでも教えてくれるのではないか?そう考えていた時期が俺にもありました。
「父さん……初恋っていつだった?」
金木犀の店内にて、この店のマスターである父さんに聞いてみたのだ。それなのに父さんは笑いを堪えるのに必死でニヤニヤしている。
「僕の初恋は高校1年だったねぇ。一目惚れだったんだよねぇ」
「それって母さんのこと?」
「そうだよぉ。でも、その気持ちに気付いたのはもっと後になってからだったねぇ」
父さんは頬を弛ませ、少し遠い目をする。昔の事を思い返すときはいつもこうするのが、父さんの癖なのだろう。
「好きって気持ちっていうのはね、誰かに教えられたり、教えたりするものじゃないと僕は思うんだよねぇ」
「なんで?」
「それって、本当に自分の感情なのかなぁ。無理やりとまでは言わないけれど、誰かに言われた言葉を鵜呑みにすると、それは本当の感情じゃ無くなるんじゃないかなぁ……って父さんは思うんだよねぇ」
確かにそうかもしれないと俺は感じた。自分自身分からない感情を他人が分かるわけ無いのだ。
父さんからは答えが聞けなかったけれど、ヒントは貰えたんじゃないだろうか。問題は俺自身ということになる。
親子二人、コーヒーを飲みながら話を続けていく。幸いお客さんは居ない。安心して話を続けられる。そう思っていた矢先、カランカランと鈴の音が静かな店内に響いた。
お客さんが来たのだ。父さんは急いでカウンターへ戻る。俺も飲み終わったカップを2つ、カウンター裏の流し台へ持っていく。
「いらっしゃいませぇ。お好きな席へどうぞぉ」
「いらっしゃいませ」
「窓際の席、構いませんか?」
笑顔で接客を行う父さんの横で、ドクン……と一際強く鼓動する俺の心臓。原因は分かっている。今入ってきた一人の少女のせいである。
別に何かされたわけではない。
この少女こそ、俺の感情を揺さぶる張本人なのだ。
「カフェオレのアイスお願いします」
「かしこまりましたぁ。千尋、アイスカフェオレ1つお願い。ん?千尋?」
「え?あ!あぁ、カフェオレ1つ只今お作りします」
いけない。窓際の席に座る少女に釘付けになっているとは……。読書をしている姿は何故だか眩しく見える。そんな少女の元へカフェオレを持っていく。
「お待たせしました。アイスカフェオレです」
「えっ!あああ、ありがとうございます!」
「それではごゆっくり」
「はい!」
あぁ!なんて可愛いのだろう!カフェオレを飲む姿も可愛らしい。
カウンター裏からジィッと見つめてしまう。父さんが近付いてきて耳元で囁いてくる。
「あの子が好きな子なのぉ?」
「なん!なんで?」
「分かりやすいねぇ。流石、父さんの子供だよぉ」
しまった……顔に出ていたのだろうか。気を付けないといけないなぁ。いやまあ、それが出来たら苦労しないのだが。
しかし、本当に可愛い人だと思う。あの子と一緒に居られたら、毎日が幸せだろう。
そんな妄想をしながら、コーヒーカップを磨く。この感情は誰のものでもなく、俺だけの感情なのだ。今はこのままで充分なのだ。それ以上求めてはいけない。
何故なら、あの少女の事を考えていない、自分勝手な感情だからだ。この感情は決して好きというものではない。自信はないが、今はそう言い切れる。