人相が悪いからってその人が悪いとは限らない
チャイムが鳴り、ざわついていた教室が静寂に包まれた。これからホームルームが始まる。そして、洋介の話が本当なら、これから転校生が紹介されるはずだ。翼に呼ばれている俺は、翼がどんな話をするのか、転校生が俺の予想する誰かで正しいのか。それとも――自然と心臓の鼓動が早くなる。
あのお嬢様が転校生だとして、この教室に現れた場合、奏の誤解は解けているはずだが、確実に翼から誤解されるのは間違いないだろう。そして、ホームルームが終わった瞬間から俺は纏わり付かれ、翼の元に行けなくなる可能性だってある。翼の元に行けなかった俺の翼からの株は急降下で下がっていくだろう。ただでさえ翼からの印象は良くないと思っているのに、さらに印象が下がると俺の恋はただの片道切符の一方通行で終わるに違いない。そうなったときに立ち直れるのか分からないし、奏への感情も恋といった感じではない。奏と過ごしていても、今日、翼と話をしたときのように恥ずかしくて話しにくいとかそんなことは無いのだ。
ガラガラと教室の扉が開く。入ってきたのは担任の中村先生だけだ。転校生は連れていない。洋介の情報が間違っていたのか。
「お、今日はきちんと来てるんだな。西条。今日は急な天候の変化に注意すべきだな。ガハハハハ」
先生の言葉で静寂に包まれていた教室に少しだけ笑い声が広がった。このクラスの人間はやはり、俺が遅刻しないと何かが起こる呪いでもかかっているのかもしれない。ここまで言われると意地でも遅刻したくなるものだ。明日から遅刻なんてしないように学校に来ようと思う。
「冗談はここまでた。西条。明日からも遅刻しないように来るんだぞ?」
「はーい」
話のネタにされて、ふて腐れる。これがオイシイと思う人もいるだろう。洋介なんかはネタにされてオイシイと思っていそうだ。冗談を言われたら冗談で返すくらいのことは普通にするだろう。
先生から冗談を言われた瞬間は多方面からの視線が俺に突き刺さっていたのだが、今もどこか視線を感じる。誰だろうと視線の主を探すと、すぐに見つかった。俺の右斜め前方、教室の真ん中辺りに座っている翼だ。翼は俺と目が合うとさっと逸らす。なんなのだろう。
「で、遅刻も欠席もいないな。それじゃ、今日はみんなに大切なお知らせがある。今日からこのクラスに新しい仲間が加わるんだ。仲良くしろよ? 入っていいぞ」
「えー。嘘? マジ? どんな人かな? イケメンだといいね」
と、女子が
「いやいや、ここは美少女だろ? こんなタイミングで転校生なんか美少女転校生に違いないって」
と、男子が
男子も女子も己の主張は曲げないぞ! という強い意思を感じる。特に洋介だ。美少女美少女と連呼し、周りの男子を先導している。
「どうした? 入ってきていいぞ?」
中々入ってこない転校生。おそらくは環だろうが、これは、俺をヤキモキさせて楽しんでいるに違いない。自己紹介ではこう言うんだ。 "私は運命という環に導かれてこの学校に来た。そうだろう?“達弥”と、キリっとした感じで、俺に指を指しながら高らかに言うんだろう。
そして、俺は今気付く。俺の席の隣、空白があったように思うが、いつの間にか机が設置されていた。遅刻も欠席もいないはずなのに誰も座っていない。昨日のうちに誰かが設置したのだろう。
俺の中で嫌な妄想が膨らんで来た。
『良いではないか。よし、私が達弥に勉強を教えてやろうではないか。私たちは運命によって巡り合わされた関係なのだ。勉強を教えることくらい私に任せてくれ』
環はそう言って俺にベタベタと纏わり付く。
『こらー。今は授業中だぞー。イチャイチャすんなよ。先生泣いちゃうぞ』
独身の先生は俺たちを見て嫉妬するに違いない。
『西条君? 三住さんが待っているわよ。私なんかより三住さんの所に行ってあげたら?』
翼にはこうやって突き放されてしまう。
『ほら、今日はシェフを呼んでいるぞ。達弥。なにが食べたいんだ? 言ってみろ。達弥の為ならば私はなんだってするさ。なんせ、一緒に寝た仲だからな』
『うひょー! 達弥と転校生ってそんな仲だったの? 達弥も手が早いね。羨ましいぜ! このっこのっ!』
『たっちゃん! 信じてたのに! やっぱり環ちゃんとそんな仲だったのね。知り合ってすぐにそんなことするなんて見損なったよ』
環はあらぬ誤解を学校中に撒き散らしながら歩き、洋介には茶化され、誤解の解けていたはずの奏は単純だから周りに流されて誤解が再燃。再炎上して教室が修羅場と化す。お金持ちでお嬢様の環の噂はあっという間に広がって、それにあやかりたい人たちがファンクラブを結成して、環親衛隊とか言いながら俺を襲う。環はそれを見て
『達弥、なかなかの人気者なのだな。やはり私たちの運命は決定事項だったのだよ。これからも楽しい学校生活をエンジョイしようじゃないか』
そんなことを言いながら、さらに俺に纏わり付いて、ファンクラブは暴走。俺の居場所はだんだん無くなっていくのだろう。そこまで未来の妄想を繰り広げた所でようやく転校生が入ってくる。
その姿は環とは似ても似つかなかった。
「天野竜二君だ。親御さんの仕事の関係でこちらに引っ越してきたらしい。お前ら仲良くやるんだぞ」
教室に再び静寂が訪れる。教室に入ってきたのは、坊主頭で目つきの悪い、どこからどう見ても、確実に一人は殺っているだろう雰囲気を纏った人物だった。
「えっと……ちょっと入りにくかったんスけど、皆さんの期待添えられず申し訳ないっス。天野竜二って言います。よろしくっス」
「じゃあ、天野はあそこの空いてる席に座ってくれ」
天野竜二はゆっくりと俺の方へ近づいて来る。不機嫌そうな顔で俺の方へ近づいて来るのは、席が隣だからだ。天野竜二はすっと背筋を伸ばして席に座った瞬間俺を見て言った。
「たっちゃん?」
俺は天野竜二という人物に記憶が無い。記憶は無いが、俺の顔を見るとすぐに、幼い頃のあだ名で俺を呼んで来る。転校生が環では無かったのは良かったが、見におぼえのない人物に昔のあだ名で呼ばれるのはなんだか気持ちが悪い。
「たっちゃんっスよね? 遊び場の――俺の兄貴と遊び場の取り合いになってたっスよね?」
「ごめん。憶えてないわ」
どんなに記憶を遡っても、天野竜二という名前は浮かんでこない。俺はこんな人物全く知らないのだ。
「憶えてねぇんスか? 近所で有名だったガキ大将の兄貴の後ろにくっついてたんスけどね」
まじまじと竜二の顔を見た俺は、竜二に言われてから、とある事に気付く。
前に見た不思議な奏との頃の思い出のような夢を思い出した。あの時、悪ガキ集団の後ろにいた取り巻き君なのだろうか。兄貴の後ろにくっついていたとも言っているし、記憶には無いが、悪ガキ集団の後ろで一番大人しかった子どもの顔と、今の竜二を見比べると、面影が重なった。
「思い出したかも。いつも悪ガキ集団の1番後ろに立ってなかった?」
「そうっス! 思い出したっスか。たぶん、たっちゃんの思ってる悪ガキっスよ! 俺」
どこか、ジグソーパズルの無くしていたピースが埋まったようなスッキリとした気持ちになる。もやもやとしてたものが埋まっていく感覚が嬉しい。
「おい西条。すぐに仲良くなるのはいい事だが休み時間にしろよ」
「あ、はい。すみません」
しかし、天野竜二はどうして俺の名前を知っていたんだろう。俺は全く知らなかったと言うのに。
「と、まぁ、こんな所だ。それじゃホームルーム終わるからな」
担任の中村先生がホームルームの終わりを告げると、教室内がさわがしくなる。転校生恒例イベントの質問攻めは起こってはいない。それは天野竜二の人相のせいだろう。顔と雰囲気で損をしているタイプの人間なのかもしれない。
「たっちゃん。ちょいと時間いいスか?」
「あぁ、ごめん。少し用事があるから後でいい?」
「いいっスよ。久しぶりに会えたもんで嬉しくなったっス。俺のことは竜二って呼んでくだせぇ」
竜二に分かったと片手を挙げて合図を送った後、翼の元へ向かう。話とは一体何なのだろう。告白などと違うだろうが、何の話なのか気になってしまう。
「あ、委員長? さっきはどうしたの?」
「西条君? そうそう。さっき、ダサイダーVの録画がって話してたじゃない? 一昨日の話から西条君は気付いてると思って言うけど私、ダサイダーVを見てるの。でも、あれって深夜番組でしょ? だから、録画して見てたのよ。その……今度DVDに焼くから」
いつもの落ち着いた雰囲気ではなく、焦ったように早口に言う翼がとても可愛く見えた。照れ隠しなのか恥ずかしいのか。しかし、俺もダサイダーVを見ていたとして、誰かに自分が見ていると、翼と同じようになっていたかもしれない。
「そ、そっか。やっぱり委員長も見てたんだね」
「……うん」
会話が続かない。もっと話したいのに会話を続ける為に何を話せばいいのか分からなくなってしまう。奏や洋介相手なら、なんともないが、翼相手にはどうしても吃ってしまう。これまではそんな事も無かった。
「あのっ!」
「委員長」
翼と俺の声が重なり、ざわざわとした教室内だが、俺と翼の周りだけ静寂が辺りを支配したように感じた。空気がやけに重く感じる。
「ご、ごめん。先にどうぞ」
「私の方は大したこと無いから西条君先に言って」
「いや――俺の方も大したことじゃないんだ。そ、そろそろ授業始まるし、昼休みにも話そう」
俺は逃げた。翼と話せるのは嬉しいが、翼と話す事への照れくささや恥ずかしさが勝ってしまいそそくさと逃げるように自分の席に戻る。しかし、まだ五分以上も時間が残っており、話をするくらいできたはずだ。
「さ、西条君! 昼休みね」
「お、おう。昼休みな」
笑顔で返事をしたつもりだったが、俺の顔は引きつっていたと思う。上手く笑えなかったと実感できて、自分でも情けないと思いながら俺は席に戻った。
「なんか初々しいっスね。あの子の事好きなんですか?」
「なっ!? そ、そんなわけないだろ? 俺が委員長を好きだなんてどこから出てくるんだよ」
竜二は案外鋭いのかもしれない。それか、俺が分かりやすすぎるのか。分かりやすいなら、洋介あたりにもバレて茶化されているはずだ。俺は分かりやすいんじゃない。竜二が鋭いんだ。
「でも、たっちゃんとあの子見てたら分かるっスよ。青春してるなーって思うっス」
「青春ってなんだよ。それよりも竜二さ、その敬語みたいな話し方どうにかならないわけ? なんかむずむずするんだけど」
俺が翼の事を好きだと言う話題を変える為、竜二の話し方に話題の舵を変える。正直な話、この竜二の話し方に違和感を覚えた。
「あぁ。そりゃ仕方ないっスよ。俺は昔から兄貴とその仲間とつるんでたんス。俺以外は全員年上だったんスよ。この喋り方が癖になってですね、戻らないんスよ。社会に出れば敬語で喋るのは当たり前っスからこのままでもいいかと思うんスよね」
竜二の喋り方は決して敬語では無いと思うのだが、それよりも、怖面の竜二から敬語っぽい喋り方で喋られると、俺があらぬ勘違いを受けてしまうかもしれないのだ。
「いや、なんか竜二が俺を敬ってるように見えてさ。同級生なのに敬われる理由も無いし」
「俺はたっちゃん尊敬してるっスけどね。そういう事でいいじゃないスか。授業始まっちゃいますぜ」
俺のどこを尊敬しているのだろうか。俺は自分の知らない所で竜二にとって尊敬されるようなことをしていたんだろうとは思うが。
「そ、そうだな。あと、委員長のことは秘密にしといてくれよ」
「当たり前じゃないっスか。俺はそんな野暮なことしませんぜ」
ヒソヒソと話しているうちに始業のチャイムが鳴る。転校生が環でなくて良かったが、ある意味では幼馴染みが転校生でやってくるという展開に驚いてしまった。何よりも、翼と上手く喋れなくなった俺は情けないのだろうか。