イレギュラーが起こると人の心は乱れる
今日も早くに目が覚める。昨日と同じように、朝食を作り食べた後はコーヒーを飲みながら奏を待っていた。
「遅いな。そろそろ出なきゃ遅刻するし、出るか」
誰に言う訳でもない。ポツリと呟いてから家を出る。今日も昨日と変わらず快晴だ。奏が俺を起こしにこないと言うイレギュラーが俺の心をかき乱す。
「あれ?」
学校へ向かう通学路の途中に群生している竹林があるのだが、それの雰囲気が全く違う。竹の先の方に何かがぶら下がっていた。全ての竹にぶら下がっているそれは異様な雰囲気を醸し出している。
「気持ち悪いな」
それを見ながら俺は歩く。いつもと違う。今朝来なかった奏。昨日マグカップを落としてからの妙な不安。
「奏――まさかっ」
俺はすぐに奏に電話を掛けてみるが、どんなに呼び出しても出る気配が無かった。いてもたってもいられなかった俺は奏の家に行こうとしたがそこで思い出す。
「奏の家ってどこだ?」
突然立ち止まった俺に周りを歩いていた人達の視線が集まるのが分かったが、気にもならない。小さい頃から一緒にいた奏の家を知らない事。不自然過ぎるそれが俺の不安をさらに掻き立てた。
「どうすればいい……」
そうは言ったものの、今の俺にはどうする事もできなかった。
「とりあえず学校に行ってみて、それからか――」
俺一人では何も出来ない。それなら学校のみんなを頼るしか無い。そう思った。
俺は走る。全力だ。周囲の目なんて気にしている場合では無い。息も切れて、吸う息に鉄のような何かを感じる。心臓と肺が爆発するのではないかと思うほどだ。
乱雑に教室の扉を開けて中に入る。すでに教室に入っていたクラスメイトが不思議な物を見るような目で見てくるがこれも関係無い。俺は委員長の元へと向かった。
「ハァハァハァ……」
「ど、どうしたの? 何かあった?」
「ハァハァ――か、奏が」
息が切れて上手く喋れない。頭も少しボーッとしており、思考が追い付いて来なかった。
「西条君。落ち着いて。相澤さんがどうしたの?」
額から汗が流れる落ちるのが分かる。額からだけでは無い、全身から吹き出すように汗をかいていた。
「奏と連絡が着かなくて――それが心配で」
「何か心当たりは無いの?」
奏が学校を休んでまで行く場所? 分からない。奏は学校をサボるような奴では無い。
「どうしたんスか? たっちゃん」
「奏が――奏がいないんだ」
焦っている俺を竜二が見て声を掛けたようだった。錯乱している俺は奏がいないと言う事しかできなかった。
「奏スか? 奏なら今日からしばらくは学校に来れないって言ってたっスよ? たっちゃんは聞いてなかったんスか?」
「しばらく学校に来れない? 聞いて無いぞ」
俺は奏からそんな事は一言も聞いていなかった。竜二はどうしてそれを知っているのだろうか。
「奏の事っスから言い忘れてたんスかね」
「天野君はどうしてそれを知っているの?」
俺は落ち着きを取り戻してきた。そして、俺の聞きたかった事を翼が聞いてくれる。翼からしても、どうして竜二が奏のしばらく学校に来れないという話を知っているのかを知りたかったのだろう。
「日曜日に遊んだじゃないスか。その時に学校の話題になって、奏が話してたんスよ」
俺の取り越し苦労だったのだろう思うとホっとする。奏のマグカップを割ったり、今朝、変な物を見たせいで不安になっていたのだろう。そして、俺のスマホのバイブが鳴る。奏から連絡が来たのかもしれないと思いすぐに開いた。
メッセージは奏からだった。“電話に出れなくてごめんね! 休むって言うの忘れてたよ”竜二からの話だけでなく、奏本人と連絡がついた事で、俺は一気に脱力感に見舞われてしまった。
「奏からだった」
俺の言葉を聞いて、安心したように息を吐く委員長。奏が休む事を知っていた竜二は心配などしていなかったようにも見えたが、俺が安心出来たという事が嬉しかったのか笑っている。
「まぁ、その……良かったスね。何も無くて。ところで、どうしてそんなに焦ってたんスか?」
「それは私も気になるわね」
奏の事が心配で焦っていた自分を思い出すと、とても恥ずかしく思える。穴があったら入りたい。本気でそんな事を思う瞬間が来るなんて思いもしなかったのだが、奏が無事だったからそう思えるのは幸せな事なのかもしれない。
「実は、昨日奏が使ってたマグカップを落として割ってしまったんだよ。それが妙に印象に残ってたんだけど、竹林あるじゃんか? あそこの竹林の竹に変な物がぶら下がってて、気味悪くて。それで、何か嫌な予感がして、奏に電話をしても出ないし、それなら奏の家に行こうと思ったら奏の家を知らなくてさ。学校で情報を探るしか無いって思うといても立ってもいられなくなったんだよ」
恥ずかしさもあって少し早口になってしまったが、思った事を全て吐き出す。なんだか、モヤモヤしたものも一緒に吐き出した感じだろうか。
「そりゃ不安にもなるっスね。それよりもたっちゃんが奏の家を知らなかった事に驚いてるっスけど」
「自分でも驚いたよ。幼馴染みのくせに家も知らなかっただなんて」
俺が奏の家を知らなかった事実。今の今まで気が付かなかったが、思い返せば、気が付くと奏がいて、奏が俺の家に遊びに来ていた。奏の家の場所なんて考えた事もなかった。
「私は西条君が相澤さんの家を知らなかったという事よりも、竹林の事が気になるわね。竹の花が咲いていたのだと思うのだけれど、竹の花って百年に一度だけ花を咲かせるらしいから見に行きたいわね」
翼が言うには百年に一度だけ咲くという竹の花。話だけ聞いて見ればロマンチックのようにも思えるが、あれが竹の花だとすれば、とれもロマンチックだとは言えない思う。
「今日、学校終わったら行きたいスね」
「それじゃ、近所だしみんなで見に行くか」
朝に限って言えば、奏の事もあり慌ただしかったが、その後からはいつもと変わらない学校で、一日の授業が終わり、宿題を学校で片付けてから、俺、竜二、翼で近所の竹林へ向かった。
「これが竹の花スか。これが花なんスね」
俺達三人は今竹林沿いにある道路で竹の花の観察に来ていた。委員長によると竹の花は百年に一度咲く物らしいから、とても珍しい物だ。奏がいたら興奮していたに違いない。
「私も写真でしか見た事が無かったけれど、実際に見てみると、確かに西条君みたいに不安にもなるかもしれないわ」
竹林がその花によって薄い黄色で溢れていた。遠めに見れば綺麗なのかもしれないが、近くで見るとそれは不気味の何かにしか見えない。
「こんな所で何をしているんだ?」
竹林を眺めていると、そこに現れたのは環だった。環こそ、こんな所で何をしているのかと聞いてみたいが、何となく予想は出来る。
「この竹林に花が咲いたからみんなで見に来てたんだよ」
「ほう。竹にも花が咲くのか。知らなかったな」
環はそう言いながら竹林を眺める。道行く人が俺達だけを見れば竹林を見つめるおかしな集団に見えるだろうが、この竹の花を見れば話は別だろう。
「そろそろ帰るか」
ただ、珍しい物を見てみたい。それだけの理由で見に来たのだから、長々と居座る事も無い。見る物を見れば帰るだけだ。
「そうね。もしかすると、生きている間にもう見れないかもしれないけれど、近所だから咲いてる間には見に来れるだろうし、もういいわね」
「なんだ。もう帰るのか。私はそれでもいいがな」
環は来たばかりだからだろうが、俺達は割りと長い時間ここで竹の花を見ていた。時間的にも辺りが薄暗くなっているから頃合いだろう。
「私は先に行っているぞ。達弥」
「それじゃ、俺はこっちなんで先に行くっスね」
この竹林のある場所は調度、交差点の近くにある為、竜二とはすぐに別れる。環は恐らく俺の家に行くのだろう。
「あら、西条君は帰らないのかしら?」
「送るよ。委員長。すぐ近くだけどな」
頭を掻きながら笑う。俺は少しでも委員長と一緒にいたいし、比較的治安の良い地区ではあるが、これから暗くなっていく時間帯だ。一人にはしたくなかった。
翼と二人で歩く。竹の花の事を少し話しているうちに委員長の家に着いた。
「ありがとう。西条君。西条君も気を付けて帰ってね」
「ああ。気を付けて帰るよ。また明日な」
「ええ。また明日」
翼を送り届けて、俺は来た道を戻った。風に煽られる竹林を横目に家へと向かい、家に着くと俺の家の電気がついているのが分かった。予想通りだ。
「お帰りなさいませ。達弥様」
「なんだ、達弥。もう帰って来たのか」
俺を出迎える美鈴さん。美鈴さんがエプロンをしていた所を見ると料理の最中なのかもしれない。環の声はリビングから聞こえてきた為、ソファに座ってくつろいでいるのだろう。
「委員長の家は近いからな」
リビングに行き、制服のネクタイを外しながら環に言う。ネクタイを外し終わった所で俺は続けた。
「今日も学校を休んだのか?」
私服姿の環を見れば学校を休んだのだろうと予測は出来る。環の制服姿など見た事が無い為、想像は出来ないが。
「そうだな。学校は出席日数さえあれば卒業は出来るから達弥には関係無いだろう? それは置いておいて、さっき調べたが、竹の花が咲くと次の年は全て枯れるそうだぞ」
百年に一度しか咲かないのに花が咲けば枯れるとは不思議な物だと思う。
「そうなのか。竹ってなんか不敏だな」
「どうして不敏なんだ?」
「花が咲けば枯れるわ、その花も綺麗な花とは言えないだろ? 俺からすれば不敏な物だと思うぞ?」
「それは私達人間の都合に過ぎないな。人間からすれば竹の花は綺麗には見えないが、竹からすれば、そんな事知った事ではないし、理由があって竹も花を咲かせたんだ。深く考える事でも無いと私は思うがな」
こうやって、環と話しているうちに美鈴さんが俺達を呼びに来て食卓へ座った。運ばれてきた料理を俺と環が二人で話をしながら食べる。美鈴さんはいつ食事をしているのだろうかと気にはなるが、俺や環の見ていない所で食べているのだろう。俺と環の会話が少なくなって来た所で環が美鈴さんに話を振った。
「そういえば、美鈴は竹の花は見たことがあるのか?」
「そうですね。竹の花が咲いている所は何度か拝見させて頂いた事はあります」
美鈴さんは何度か竹の花を見た事があるようだ。滅多に咲かない竹の花を何度かでも見た事があるというのは美鈴さんは幸運なのかもしれない。
俺と環は食事を終えた。環が先に風呂に入り、その後に俺が入る。この流れにも慣れてしまい、風呂の中ではリラックスする事が出来た。その後、環とゲームをしたりしながら過ごし、明日もあると言う事で、寝るにはまだ早いと言う時間ではあったが俺は部屋へと戻った。環はと言うと、まだゲームを続ける言い、夜更かしをするようだ。
昨日から妙な不安を煽るような事が多く起こっていた為、環の存在が今日はありがたく思えた。何も無いように装ってはいたし、昨日ほど不安な気持ちにはなっていなかったが、俺の心では不安な気持ちが未だに燻っている感じだ。
「何も起こらなければいいけどな」
ベッドに仰向けに寝転がり、天井に呟くように言葉を投げかける。誰に言う訳でも無いが、口に出したかった。
家の前を走っていく車の音がやけに大きく聞こえる気がした。少し敏感になっているのかもしれない。俺は胎児のように身を縮こませ、何も考えないようにしようと考えながら眠りに落ちていった。