如何にして彼は自身の未来を定めたか
ぱちりと、泡が弾けるような感覚。ありえない筈の再度の目覚め、それ以外には考えられない衝撃に何処までも困惑する。
第二の生を受けた最初に覚えた感情は混沌としていたが、産声に乗せた想いは果たして感謝だったのか。実の所恐怖に対する悲鳴が1番近かったように思える。
自身の死を経て、主観では直後の事である。神や悪魔のような超越的存在に会うこともなく、何かを伝えられる事もない。何かを貰う事もなく、文字の通りに目覚めただけ。
それでもなお、何処からともなく聞こえて来た悲鳴に共感する様に、何処までも深い恐怖に共鳴するように、不安と恐怖に飲み込まれるような何かを感じた。
だからだろうか。ああ、まるで物語のようだなどと思ったのは。生前よく読んだ小説の導入、それも手抜きの三文小説にありがちなよくある双子の弟に産まれたのはまだ良かった。
まるで神に祝福されたかのような兄は、光と闇の二つの属性を扱うことの出来る天才で、絞りかすの弟である私は人間なら誰しもが持つ属性を持たない出来損ない。そのどちらもが普通ではない、人類で初めての存在。
この事実を前にして、一体誰がこの世界が創作物では無いと確信出来ようか。ましてやまるで主人公になるべくして産まれたような兄と闇堕ち不可避の無能な弟である。
ならば私は引き立て役なのかと自分に問えば。主人公の障害にならず、大人しくしていれば安寧たる日常を謳歌出来るかと問えば。自分が主人公では無いという確信が持てるのかと問えば。
そうである保証など何処にあるのだろうか。無能と呼ばれる主人公の逆転劇など何処までもありふれていて、ましてや英雄と呼ばれる程の血統まで保証されている。もしそうであるならば。
私が強くならないせいで、救われる筈の命が失われるかもしれない。私が責任を放棄したせいで、誰かが不幸になるかもしれない。そう、私が主人公本人では無いせいで、世界が滅亡するかもしれない。
で、あるならば。
あり得ざる二度目の生が、本来紡がれる英雄譚の上書きであるならば。
本当の主人公であれば救えた命を見殺しにするような真似など、一体誰が出来ようか。己の不始末を他者に押し付けるような真似を、一体誰が許容出来るのか。
成るしか無いのだ。英雄に、主人公に。